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将門を祀る?椙森神社(中央区)

 東京メトロ日比谷線の小伝馬町駅で下車して、人形町駅方向に少し歩くと、椙森すぎのもり神社の鳥居が見えてくる。
 堀留町という地名は、江戸時代に東堀留川や西堀留川などの運河があったことに由来していて、諸国の物産を扱う船問屋が集まっていた場所という。
 現在は繊維、衣料を扱う会社が多くあるとか。

 御祭神は倉稲魂命、素戔嗚尊、神大市比売、大巳貴大神。相殿に恵比寿大神を祀る。創建は承平元年[931]ごろという。

 ここは天慶三年[940]藤原秀郷が平将門の乱を鎮めるために、戦勝祈願したところだ。秀郷は乱鎮定のお礼として白銀の狐の像(聖徳太子の手作り!)を奉納した。この像は今でも社宝として伝わっているという。

 ここにも烏森神社と似たような伝承があったということだ。
 椙森神社から以前記事にした兜神社まで700m位である。烏森神社までは3~3.5㎞くらいだろうか。秀郷は将門の首を京都へ運ぶため、ここを通過したのだろうか。

町火消は組の手ぬぐいがかかる
手水舎

 元文元年[1466]江戸城主、太田道灌がここで雨乞い祈願をしたところ、大いに霊験があった。道灌は喜んで山城国伏見稲荷を勧請して、椙森稲荷伍社大明神として祀ったという。

 烏森神社、柳森神社と合わせて江戸三森と呼ばれ、江戸時代には諸大名の崇敬も集め、境内では花相撲の興行もあって大いににぎわったそうだ。

 特にこの神社では、富くじが行われていたことで有名だ。富くじとは宝くじの元祖である。
 富くじの目的は主に江戸時代に頻発した火災の復興支援である。
 境内には富くじを記念した富塚の碑がある。

  

 現在いまでも宝くじを三宝にのせて富塚に捧げて祈願する人がいるという。三宝は神社がちゃんと用意してくれている。

金ぴかの三宝
独占しないでね

 社殿も手水舎も神楽殿も真っ白なのが印象的だが、実はコンクリート造り。以前の社殿は関東大震災で焼失。コンクリートで再建したおかげで、太平洋戦争の空襲でも焼けずにすんだという。火事は怖いね。

  

 相殿に祀られている恵比寿神は日本橋七福神でもある。十月には境内でべったら市もたつ。江戸では恵比寿講の祭りにはなぜかべったら漬けがつきものだ。あの甘い漬物と恵比寿様に何の関係が・・・ま、いっか。普段、よく食べるというものではないが、思い浮かべると唾がじんわり口中にあふれて、食べたいなと思う不思議な漬物である。(個人の感想です)


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