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四谷怪談の現場を歩く(7)

民谷家の惨劇(前)

もう一つのヨツヤ

 東京メトロ副都心線の雑司が谷駅に来た。長いエスカレーターを何本も(たぶん四本)乗り継いで、漸く地上に出た。都電荒川線の鬼子母神前駅のすぐそばである。(ほとんど駅が上下に重なっているのに、なぜ同じ駅名にしないのだろう。ややこしいことに、都電の方は鬼子母神前駅の次が雑司ケ谷駅なのである。どう考えても、後からできた副都心線の駅名の付け方が不親切だ)

都電鬼子母神前駅
鬼子母神の参道


 鬼子母神堂の参道を目白通りに向かって歩く。この参道に沿った商店街と、目白通りを渡ったところの一角は、江戸時代「四ツ家よつや(切絵図では四家)」といった。ここを鶴屋南北は、民谷伊右衛門とお岩の住む場所に設定した。

上:江戸切絵図(国会図書館蔵)
下:google map(赤で囲んだところは筆者の推定です。多分不正確)

 民谷家には代々伝わるソウキセイという妙薬があった。そのソウキセイを奉公人の小仏小平が盗み出奔した。
 傘貼り浪人の民谷伊右衛門が小者を雇う余裕などあるのだろうかと疑問だが、これは実説の御先手組の御家人の生活を再現したものかもしれない。
 小平の元の主人の小塩田をしおだ又之丞は塩冶判官の家臣で義士であったが、体を壊して歩けなくなっていた。小平は小塩田を家にかくまっていた。小塩田の体を治し、何とか仇討の本懐遂げさせたいという忠義心から、小平はソウキセイを盗み出したのだった。

 按摩の宅悦と小平の父親の孫兵衛が、伊右衛門から叱られている。宅悦の口入で、小平は伊右衛門に雇われることになったのだ。
 孫兵衛が帰った後、伊右衛門の子分格の浪人、秋山長兵衛、関口官蔵、そして中間の伴助が小平を捕まえて伊右衛門の家に引っ張ってきた。皆で寄ってたかって小平を拷問する。
 そこへお槇がやって来たので、伊右衛門たちは小平を縄で縛りあげて、押し入れに押し込んだ。

 民谷家の隣はなんと高野の家臣の伊藤喜兵衛の別荘だった。お槇は喜兵衛の孫のお梅の乳母である。主人の言いつけで、産後体の調子を崩したお岩の為に、見舞いに訪れたのだ。

 実は喜兵衛には恐ろしい企みがあった。お梅が伊右衛門に一目ぼれをしてしまい、喜兵衛は孫可愛さに願いをかなえさせてやりたいと思っていた。また、先日の浅草寺境内での伊右衛門と左門のやり取りから、伊右衛門が元塩冶の家臣だったこと。彼が忠義よりも物欲に忠実な男だということを見抜いていた。彼を取り込んで、塩冶方の動きを探れないものかと考えていた。
 そこで、お槇に出産祝いの酒肴、お岩のためと称して薬を持たせたのだった。この薬がとんでもない代物と後に分かる。

 お岩は隣家に一度お礼に行ってくれと夫に頼む。伊右衛門は自分は元塩冶家臣で浪々の身。隣は高野の家臣で羽振りがいい。だから一人では心細いという。(こういう気の弱い所があるのも、民谷伊右衛門を複雑な悪党に仕立てている)秋山たちが一緒に行ってやる(そして自分たちもご馳走にありつく)と言ったので、男どもは伊藤家に向かった。

 そして、お岩と赤ん坊。宅悦が後に残った。
 
 

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