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偽書・シオン賢者の議定書とは⁇(1)

史上最悪の偽書

 『シオン賢者のプロトコル(議定書)』(以下『プロトコル』)がはじめて世に出たのは19世紀末のロシアだった。
 その内容はシオンの賢者(あるいは長老)と呼ばれる謎の人物たちが秘密会議を開き、世界の政治を裏から操り人知れず征服して、最終的に「ユダヤ王」のもとに世界を征服する計画を立て、その方法や最終的な世界観を取り決めた24の項目からなる議定書である。

 これはもちろん質の悪い偽書だ。製作者は不明であるが、研究者によってかなり疑わしい人物の名は上がっている。最初はロシア国内で読まれることを目的としていたが、これが他の言語に翻訳されると、たちまち世界(主にヨーロッパとアメリカ)に広まった。

 しかし、フランス、イギリス、アメリカなどは1920年代には偽書と知れ渡り、一部の狂信的反ユダヤ主義者か、陰謀論信者以外は相手にしなくなったが、ドイツは第一次大戦の敗戦や世界恐慌の不安の中で台頭してきたナチス党が、この『プロトコル』を根拠の一つにして、反ユダヤ主義をむき出しにし、独裁体制をとるや大勢のユダヤ人を絶滅収容所送りにして虐殺した。

 つまり、『プロトコル』が大虐殺ジェノサイドを引き起こす手引きになったのである。

 この史上最悪の偽書は、どのようにして生まれたのだろうか。
 イギリスの歴史家ノーマン・コーンの『シオン賢者の議定書プロトコル ユダヤ人世界征服の神話』(内田樹 訳)から、その謎をたどってみたいと思う。

『シオン賢者の議定書 ユダヤ人世界征服の神話』
ノーマン・コーン著
内田樹訳
ダイナミックセラーズ


元ネタあり

 『プロトコル』が偽書といえるはっきりとした根拠がある。
 実は元ネタといえる文書が存在するのだ。

 1864年にブリュッセルで初版が出た『モンテスキューとマキャヴェリの地獄の対話』という本で、著者はモーリス・ジョリという。この本はフランスのナポレオン三世のアマチュア独裁政治を批判する目的で書かれた。

 ジョリは現代の政治を、歴史上の人物━━モンテスキューとマキャヴェリに対論させるというアイデアを思いつき、モンテスキューを健全な政治的立場、マキャヴェリをナポレオン三世の立場に設定した。

 そしてモンテスキューは自由主義を、マキャヴェリは独裁制の効能を説く。

 モンテスキューは自由主義の下では独裁制は不道徳であり、実現不可能という。マキャヴェリは大衆には統治能力がなく、抑制が効かないので、強力な支配者が必要という。

 『地獄の対話』はフランスで出版するのは危険なので、ベルギーで印刷してひそかにフランスに持ち込み、地下ルートを通じて配布されたという。
 しかしジョリは当局に逮捕され、禁固刑になり、著書は発禁処分になった。ジョリは失意のうちに自殺した。

 『プロトコル』の160余りの節のうち、五分の二が『地獄の対話』からの盗用だという。文章の一部、または第七プロトコルなどは一章丸ごと剽窃だし、盗用個所の順番、章の順番もほぼ同じという。
 『プロトコル』のほうは最後にメシアの預言が出てくるところが、剽窃者のオリジナルといったところか。

 『プロトコル』は独裁制の立場を語るマキャヴェリの言葉をより多く採用する。
 『地獄の対話』は現代の第二帝政の批判だが、『プロトコル』ではマキャヴェリの言葉を、未来の予言と改変している。

 ジョリは独裁者は権力の本性を民主制の後ろに隠しておくのが得策とマキャヴェリに語らせる。それが『プロトコル』では、あらゆる民主制は専制支配の隠蔽物なのだ、となる。

 『プロトコル』は『地獄の対話』のなかの都合の良い部分を取り出し、ところどころ書き換えているだけなので、中には矛盾も多い。もともとフランス第二帝政の批判を目的としたものなので、よく読めばユダヤ的でない部分もある。

 それでも『プロトコル』は一部の人々にユダヤの陰謀疑惑を信じさせる効力はあった。
 もちろん、根も葉もない荒唐無稽な偽書と考える人も少なくなかったが、この偽書を広めた者たちの意図は、社会不安の元凶をユダヤ人に向けることなので、ユダヤ人を痛めつける理由さえあれば、皆がそれを信じていなくても構わなかったのだ。


 次回は、『プロトコル』がどこで、どのように成立したかについて解説していこうと思う。

                               つづく

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