見出し画像

ツインレイ(生と死の関係):「夢の次元」と、映画「ツゴイネルワイゼン」の関係

ツインレイとの、「出会いの場」は、私は、「夢の次元」だ。でも、実は、「たましいの記憶の解凍」で、わかったのだが、彼とは、19才の時に、一度だけ、会っているのだ・・。いや、「姿をみた」のは、彼のほうだ。
同じ年齢だった、私と彼。私と彼は、「みえない世界」で、小さい頃から、繋がりあっていたのだ。ずっと、ずっと、私を守ってくれる「男の子」と、私は、「白昼夢」のなかで、いつも、「交流」していた。記憶はない。ただ、いつも、「白昼夢」をみていた・・という記憶だけはある。そして、私は、「呼ばれるの。彼に、呼ばれるの・・。」と口走っていた・・。小さい頃から、ある理由があり、私は、顕在意識と潜在意識が、激しく「乖離」していた・・。

彼との「再会」というのだろうか・・・?!間違いなく、きっと、「再会」だろう。でも、私は、彼の顏は、「大人の彼の顏」を、小さい頃から、みて、知っていた・・。潜在意識では、知っていたのだ。物理次元で、ツインレイと会う方は、きっと、お顔や表情など、「知っている」し、「懐かしい」と感じるだろうと思う。みんな、懐かしく感じるのだと思う。

「夢の次元」。それは、本当は、「現実の次元」だ。「意識」の世界が、本当は、私達の「現実世界」なのだ。
本当は、「この世」は、「かりそめの世」であり、「夢」の次元なのだ。
私達は、「みんな夢をみている。」状態なのだ。
それを教えてくれる古い映画がある。「ツゴイネルワイゼン」という映画だ。「生きている人は、死んでいて、死んでいる人こそは、生きているよう」。私達の、この世界の「真実」が、この映画にはある。そして、「エロティシズムな映像美」なのだ。「官能美」である。「死と生は、常に一緒。」そして、「生と死」は、「エロティシズム」と関係が深いのであることが、理解できる映画なのだ。
これは、「ツインレイ」の世界そのものと、深い関係がある。
3次元の「ツインレイ」の関係は、常に、「生と死」の関係になりやすい。
私達の前世をみてみると、必ず、「人生の最後」のほうに出会い、「愛しあい、殺し合う関係」で、終わるのだ。まさに、「ツゴイネルワイゼン」の世界、そのものだ。しかも、愛しあっているぶんだけ、すぐに、殺し合うのだ。
すぐに、「宇宙」に還り、「光」に戻る。私達は、いつも、仲がいい。そのため、「オラクル動画」での、「ツインとの関係性」をみた時も、「たくさんのシンクロが、2人の間に起こっていて、この2人は、非常に仲が良いですね!いつも、シンクロしています。」と言われたのだ。その通りだ。そして、私達は、途中から、「修行僧」、「修験者道」で、厳しい修行をたくさんしている。あっけなく死ぬときもあった。
なので、死んだら、すぐに、「光」に還るのだ。修験者道にいる「御霊」達のカップルは、「光」に還りやすい。みんな、たいてい、「輪廻」に、ひっかかるのだ。そして、何世紀にもわたって、グルグルする。もちろん、私達にも、そんな時が、何世紀にも渡り、あったのだ。ただ、途中から、修験者道に入っているために、すぐ「光」に還れるようになっていたのだ。これは、「御霊磨き」の賜物だ。だから、すぐ、地球に戻り、また、延々と、3次元社会の、「道」をゆくのだ・・。
物理次元で出会うと、3次元社会のあらゆる「掟」を破り、すぐに愛し合い、「危険な関係」になり、殺し合い、死ぬのだ。
すぐに切る。彼は、すぐに、私を殺めるのだ。
だから、「今回は、絶対に殺めない。」、「地球最後の卒業のご褒美。」、多次元の、高次の存在達には、「いいか、君たちには、地球次元上昇の大きな手伝い(サポート)をしてもらう。」、「地球最後にしたければ、これをしないと、卒業できないのだ。君たちは、「純粋培養」でできているんだ。このためだけに、つくられたのと同じなんだよ。」そう、宇宙で言われ、私達は、地球に、この「地球次元上昇」の「大きな役割」を果たすために、ずっと準備してきて、今、ここで、この次元で、「出会っている」のだ。でも、これは、少し、3次元社会風に言うとこうなのだが・・。実は、私達は、2人とも、自分自身で、もちろん、「選択」して、地球に降りてきたのだ。彼は、「自信家」なのだ。「絶対に、僕たちには、できる。」と言い、「選択」して降りてきた。私も、同じなのだ。ツインレイは、そうして、ずっと、長い期間、この「地球次元上昇」に向けて、磨いてきた「御霊」達なのだ。ツインレイが、「統合」できるのは、5次元社会だからだ。でも、誰でもに、もちろん「ツインレイ」は、いるのだ。高次にいる方もあるし、今回、私達のように物理次元で出会う「約束」をして、降りてきた方もある。みんな、自分自身で、「選択」してきたのだ。私達は、みな、「イザナギ」、「イザナミ」から生まれた23音が、「対」になって、46音になり、「46対」の「染色体」になり、その「染色体」のなかの、折りたたまれている二重螺旋構造を持つ「DNA」を持って生まれてきたのだ・・!そして、これから、36層の全てが「覚醒」するに、いたるかは、わからないのだが、「可能性」というのは、常に、私達のなかには、あるのだ・・!だから、私達は、「完璧な存在」であり、実は、「失敗もない」のである。ただ、「失敗」と、「ジャッジしている」だけなのだ。私達は、これを憶いだすタイミングにきているのである。

この「鈴木清順」監督の、映画、「ツゴイネルワイゼン」は、本当に、名作だ。よくできている・・というほかはない。海外でも、高い評価をされているのだ。
「ツインレイ」は、「殺し合う関係」だから、「赤い血」も関係ある。鈴木監督の「映像」は、「赤い」印象がある。日本の「赤」は、強烈なのだ。ほんの少ししか、「赤色」が、でていなくとも、「血」のような「赤」が、印象に残るのだ。また、「食」も、「愛しあう」に、深い関係があることだ。大好きではない人とは、「食事などできない」。そう、私は、強く思うタイプなのだ。そんな「食」に関係あることも、この映画には、でてくる。そんな素敵な映画なのだ。
「愛している人の骨までしゃぶる」というのは、青地(主人公で、士官学校のドイツ語教師)の友人の、高等遊民(優秀で経済力があるために、その日暮らしをしている)の「中砂」という「その日暮らし」の「男」が、言う言葉だが、まさしく、「殺して、愛している人の骨までしゃぶる」という世界観をもっているのだ。これは、「愛の本質」をついている「言葉」かもしれない。
こうした「愛の本質」という要素を、「生と死」の狭間で、含んでいるのが、3次元社会のツインレイとの関係なのだ。
5次元社会になると、「意識」が上り、「愛」も「昇華」するので、「無条件の愛」に変化するのだ。
 「ツゴイネルワイゼン」では、中砂と青地が訪れた芸者の店で、「小稲」という芸者に会うのだが、小稲は、自殺したばかりの弟の葬式帰りで、そのままで、座敷にでてよいという、青地と中砂の前に、姿をあらわしたのだ。そして、2人の前で、弟の自殺話や葬式の話をした。しかし、中砂の目には、「美しい細い骨」を持つ、美しい小稲が映っていたのだ。

ある日、小稲と中砂と青池は、3人で会う。宿の店で、お酒を飲みながら、話をする。そして、話していくうちに、青地が、「人を殺してきた。人を殺して、逃げてきた」という彼に、小稲は、近づき、青地と、官能的に愛し合うのだった・・。

歳月が流れ、中砂は、結婚した。「小稲」に瓜二つな細君の、「園」という女と一緒になったのだ。良家の子女らしい。そして、青地は、結婚報告を受け、この2人を訪ねたのだか、この日の夜、夕食後、中砂が、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を聞かせるのだ。この盤には、サラサーテが、伴奏者に何か言うのが、聞こえると言うのだが、何をいっているのか、まったく、青地や中砂にも、わからなかったのだ。そして、教授をしている、「制限」に囲まれている青地は、自由奔放な友人の中砂が、再び、旅に出たのを、羨ましそうに、みるのだった。
中砂は、園を置いて、旅に出て、小稲と逢い、そして、青地の家にも、たびたび訪れて、青地の妻の周子とも逢うのだった。周子の肉体を貪りながら、中砂は、「腐りかけがいいのよ。何でも、くさりかけの時が、一番うまいのさ」と、「死」の「肌ざわり」を、際立たせる場面がある。そして、周子は、腐りかけた水蜜桃を、味わい、皮の裏まで舐める。周子は、ある時、ゴミの入った中砂の瞼と、眼球に、舌を這わせるのだ。「死」の持つ「幽玄さ」を、成熟したのち、朽ちてゆくどうしようもない、「退廃的な美とエロティシズム」を描写しているのだ。そして、退廃的だが、「官能的」とも言える「官能美の世界」だ。ツインレイの持つ、官能的な、美の世界に通ずるものがある世界観だと、私は、感じるのだ。
そして、園は、中砂の子どもを授かる。「豊子」というのだが、ある日、園は、中砂が持ち込んだスペイン風邪を悪くして、死んでしまう。そして、中砂の様子を、みにいく青地だが、今度は、小稲が、中砂の家で、乳母として、「豊子」を抱いているのに、驚く。まるで、「現実」と「非現実」が、「錯綜」する「世界観」なのだ。しかし、「この世」は、「みえない世界」と、「みえる世界(物理次元)」の、どちらもあるのが、「本当の真実の世界」なのだ。ただ、この3次元社会では、「信じない」という「信念」、「観念」を持っているために、そして、「みえない世界」をあるのが、「良し」とされていない「社会」なので、私達の目には、自分の「信じている世界」しか映らないだけなのだ。
本当は、このような「二つの世界が在る」のだ。それが、「真実」だ。そして、ここ、この「現実の世界」は、「夢の世界」であり、「夢幻(イリュージョン)の世界」なのである。。

ツインレイ体験は、このようなことも、教えてくれるのだ。それは、やはり、彼と、出会い、「霊性開花」というものがあるからだ。そして、「宇宙意識」に繋がるため、今までみてきた世界とは、違う、いや、「本当の真実の世界」が、みえてきたのだった。

最後に、中砂は、事故死のような「形」で、死ぬ。青地は、中砂の「骨」のことが気になり、解剖医に「遺体の肉だけ剥いで、骨だけにするのは可能か」と尋ねた。小稲から、「中砂の骨は、真っ白だった」と青地に、告げるのだった。
小稲が、ある日、青地の元へと尋ね、死んだ中砂が貸していた本を返してくれと、数日間にわたり、難しい本などを持っていった。青地は、そのことに疑問を持つ。
小稲は、青地に相談をした。豊子が、死んで、顔を知らないはずの中砂が、豊子と、「夢」で、何かを話しているのだ・・と言う。豊子は、中砂が、青地の妻の周子に、何かを預けた・・と話すのだと、青地に話す。
青地は、周子に聞くが、周子は、中砂との関係を否定しながら、「ツゴイネルワイゼン」のレコードを隠しもっていた。それを、夫である、青地に渡す。
青地は、小稲の元を訪れ、「ツゴイネルワイゼン」のレコードを返す。
小稲は、中砂への想い(愛)から、中砂の「残したもの」に、「執着」していた。特に、中砂の娘の「豊子」への愛情は、異常だった。
小稲は、中砂低に入ると、「愛の執着」から、だんだん、「もののけ」のようになっていった。
ふと、「豊子」がいないことに、小稲は、気づく。小稲が、狂ったように、豊子を探す。
青地は、「豊子は、病死した。」と呟く。
小稲は、青地の後ろから、「もう、後戻りは、できませわね・・」と怪しげに囁くが、青地は、振り向き、小稲のほうをにらみ、「あんたは誰だ」と呟く。
青地は、中砂邸を出る。そこには、大きなトンネルのような通り道がある。
いつも、そう、まるで、「此岸」と「彼岸」を結ぶかのような洞門だ。
青地は、いつものように、そこを通り抜け、帰途についた。
「赤い柱」の神社の側を通る青地の耳に、「鈴の音」が、聞こえる。
神社の赤い「太鼓橋」を渡っていると、目の前に豊子が、あらわれた。
「おじさんのお骨をちょうだい」と、豊子は、言うのだった。
「何、そんなに驚くの?お父さんは、元気よ。おじさんこそ、生きていると勘違いしているんだわ。さぁ、約束だから、お骨をちょうだい。さぁ、まいりましょう。」と言うと、「草履」の、鈴を鳴らしながら、その向こうへかけてゆく。青地がみると、その「草履」の裏には、「三途の川」を渡し賃の「6文」が、みえる。
驚き、怖くなった青地は、「太鼓橋」をひき返す。
橋を渡り終えてみると、そこは、海であった。
そして、豊子が、「白い菊」で飾られた小舟の側で、青地に、「おいでおいで」と手招きしていたのだった・・。

そう、青地は、すでに死んでいたのだ。気づかなかっただけなのだ。
でも、この場面は、象徴的な場面である。私達は、気づいてないだけで、「もう、すでに死んでいる」のだ。そう、「この世は、あの世」だ。だから、「かりそめの世」なのだ。本当は、何もないのだ。
「物質」にみえるだけで、「物質」は、実は、「波動」であり、「振動」なのだから、中身は、すかすかなのだ・・!科学的にいえば、「量子力学」の世界だ。

そのような「真実」を憶い出していくのが、私達のいく「5次元社会」なのだ。だから、まったく、3次元社会の、今までの「生き方」は、通用しないのだ。だからこそ、「ツインレイ」は、そこで、「統合」できるのだ。
「意識の世界」である。今までの「制限」、「観念」は、もう通用しない。だから、ひたすら、「自己統合」して、「自分軸」に一致することが大切で、それが、「たましいの自立」、「たましいと一致する」ということで、ここが、一番、ツインレイにとっても、大切で、重要なところなのだ。ここを通り、「無条件の愛」に、私達は、進んでゆくのだ。だから、「形」も関係ない。「エネルギー」が深く、関係してくる。「みえない世界」からのアプローチが、重要で、たくさん「神秘体験」があり、「死と再生」も経験する。これは、「意識」の上での、「生と死」であり、「変容」なのだ。
「受け容れ」が、最後に、すごく重要になってくるのだ。このようなことを、全て、「受け容れ」ざるおえないところまでゆき、「意識変容」があるのだ。何もかも、全て、「反転」するように、変わるのだ。

このように、この映画は、ファンタジーのジャンルだが、私達は、実は、「ファンタジー」という世界で生きている・・とも言えるのだ。本当に、そんな世界だ。だから、私は、小さい頃から、彼と、白昼夢で話しをしてきたし、いつも、彼は、私を守る存在だということが、臆いだされてきたのだ。
そして、彼とも、「ビジョン」の中で、遊んでいる。

「ツゴイネルワイゼン」。「生と死」の世界、「エロティシズム」な、「官能美」の世界、それゆえに、「退廃的なエロティシズの美」という要素も含まれている。そして、「この世の真実」も。ぜひ、みてほしい作品だ。特に、ツインレイの世界に、興味がある方には、そして、「5次元社会」を「選択」した方にも、みて、感じてほしい作品である・・。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?