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【本の話】本棚ってさ・・・

昨日は天気が悪かったので寄席に行くのを諦めずっとおうちで本棚整理。
並べていて思ったことを滔々と。
今回も脈絡なく徒然なるままに書きました。
こんな感じ。

・自分の家の本棚って自分の知識や興味の集大成だよね
・大学生になってから作品のづくりのための研究はよくするようになったけど代わりに小説をあんまり読まなくなったのよ
・ノベライズ求めに行く!
・でもいつ本読もう。世の読書人はどうやって捻出してるんですか。
・文章は改稿を重ねるたびに読みやすくなっていく。町にたとえてみました。

字数でいくと約2,800字。気になるところをどうぞお読みなすって。


並べて思う、私の履歴の大集合

本の並べ方っていろいろありますよね。
作者のお名前の順、出版社順、サイズ順etc.
私は基本フィーリング順で並べるんですけど。でも分野は分けますね。今回はそういう気分でした。
漫画の棚、新書の棚、雑多な棚、実用書の棚、とくに大好き?大切な本のコーナー、てな感じです。
でもそれらをどういう組み合わせでどこに入れるか、これにずいぶん悩みましたね。綺麗に「この子の横はこの子だ!」ってのが見つかるところとそうでないところがあって。横に並んだときの高さ、色、サイズ、そのまたお隣と並んだときの相性、そのコーナーの印象・・・。いろいろ考えました。
実家から本を送ってもらってね、私が実家から離れて以来帰省の時にしか会えなかった本たちと一人暮らしをしている間に出会った本たちが初めて顔合わせをして大集合ってな感じになってるのを見て嬉しくなっちゃいました。
こうして自分の中に積み上げられてきた書籍、智慧の大集合を見ると自分もしかしたら結構本読んできた方なのかもしれないなと思ったり。
読書は量じゃないし、積読してるものだってたくさんありますよ。それでもこの本を手に取った、そのときの私の興味の根源は私のなかにあるもんで。そういった自分の興味の変遷というか履歴が一挙に自分ちに集まったわけじゃないですか。自分を構成しているものがやっと身の回りに揃ったなって感じです。嬉しい。

私のこの数年の読書事情

思えば大学に入り、とくに戯曲を書き始めてから自分の興味の分野は際限なく広がってきたように感じます。戯曲を書くためにある程度の研究は必要だしというか研究して自分に蓄積し寝かせて、ある程度の専門性を持っていないと話に絡めることができないというか、そういった分野を専門にしている方、あるいは一般よりも深い興味をもってご自身で研究なさっている方が作品をご覧になったときこちらの知識や要素が浅かったら失礼になるじゃないですか。だから———まあだからと言って自分の創作のための研究が専門性があり深いのかと言われたらそうではないかもしれませんが、まず調べる、その分野に触れるってことをしようとしてきました。
でも逆に、そういった興味でしか本を読まなくなった。
実家から来た本たちと在学中に買った本たちを見ていると思い入れが浅いというか、その本との思い出のベクトルが違うんですよね。思うにビジネスライクなお付き合いをしている方と親戚や親友のような近い、安心のある距離の方というかそういった違いがあるように思います。ビジネスの方も好きですけど。
じっくり本を読まなくなった、というのが大きいのかな。それに大学生になってから小説をめっきり読まなくなったんです。もの書きしているくせに読まないとは何事かっていう話だけど。代わりによく手に取るようになったのは実用書とか新書、あるいは論文。どこかで小説を敬遠している節があるように思える。面白いと言われる話が無いと思っているわけではない。でもなんだろう、文章の相性、展開、そういうものの合う合わないを早々に諦めてしまっているのかもしれない。やっぱり小説って波が起こるまで時間がかかるではありませんか。そこにたどり着くまでちまちま読むのに退屈を感じてしまうんでしょうね。たぶんこれも「自分で見た方が早い」とか思うが故の傲慢さでしょう。まったく。本ねえ。いや、小説か。
小説ねえ。なんか面白い小説ないですか。

ノベライズ談義

そうそう、昨日話したノベライズの話ですが今日求めに行こうと思います。
「わたしの幸せな結婚」ていう作品のノベライズをこの前ブックオフで見つけたので求めてみようかと。
この作品、私は漫画を1巻もってて、絵が綺麗だから好きなんですけど、アマプラでアニメが視聴可能だったから昨日半分くらい見て、そんで映画もあったので、メディアミックス展開がたくさんなされているなあと思ったのでノベライズを読もうという気になったんですね。
他にも映像のノベライズなどがあったら買い求めようと思います。

小説って言っても結局自分の好きな作者の方の作品を見るばかりになってしまうんですよね。それこそ好きな方の本はたくさん読みます。
貴志祐介さん、秋吉理香子さん、恩田陸さんあたりはすごく好きです。
そうそう、三島由紀夫を読みたい。
というのも「悪手、喝采」の感想で「三島っぽい」と言われて。恥ずかしながら私三島由紀夫は未履修です。「金閣寺」「潮騒」あたりは読んでみたいと思っているのでこのあたりも買い求めましょう。

読書時間の捻出に悩む

あとはいかにして本を読む時間を捻出するかですね。世の読書人は一体どこからそういった時間を捻出しているのだろう。やはり移動中か?
しかし私の場合移動中は音楽を聴いて作品のことを考えていたり、最近は落語を聴いている。そこを削れと申すか。ためしに今日は本をカバンに忍ばせて出かけてみようかな。
好きな本を10分読むだけでストレスが30%くらい解消されるとか言うからな。うん、せっかく私の好きなものたちがここまで大集結しているのだから持ち歩いてみようではないか。
ほんとにね、自分の本棚見てるとワクワクするんですよ。そりゃあ自分で選んだ自分の興味の履歴だもの。「私ったら私のことわかってるわあ」と見るたび関心。

今日もここまで脈絡なく書きました。

私的改稿論

文章てのは校正を重ねるたびに読みやすくなるもんだと思っています。
昨日次の芝居(PINK)に出演する方とお話しまして、そこで
「だんだんわかりやすくなっていっていてすごい。
最初は長く抽象的だったがだんだん部分的に確かにわかりやすくなっている。」
と仰っていただいて。
まあそりゃそうだろう、生まれたて、初めて行った世界や町は右も左もわからない。だがそこにしばらく住むと勝手細部がわかってくる、見えて来る。だから稿を重ねるたびにわかりやすく、部分的に細かく具体になっていくのは当然である。と私は思う。というかだんだんシャープに、スリムになっていくんですよね。自分の中で情報の整理もついてくるというか、より良い言い換え、変換が見つかりそれで行間が埋まって行く感じがするというか。
だからこの数日このnoteに書いてる文章も直せばきっとよりわかりやすくなるはずですよ。
でもこういう、特にゴールを決めず、自分の中の連想に基づきそのとき浮かんだ言葉を垂れ流すってのもまた乙ですな。台本もレポートも、他人に送る文章だってある程度構成を考えて研鑽しなくちゃいけないじゃないですか。それもいいけど、こうやって本当に何も考えずに書く、それこそ独り言つってのもいい。
新鮮で楽しい。

いつまで続くかわからないがまあいけるとこまで行きたいですね。

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