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科学が死んだ日

 まえがき
 現代思想6月号の石井ゆかりさんの文章から着想した小説です。

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 「ひのまるは今回の特別措置法に関してどうお思いですか」
レポーターのマイクとカメラが同時にシフトする。
馬鹿でかい銀色の塊の右下、小さなスピーカーのような部分にマイクがあてがわれて、
 「そうですね、政権が代わって以来初の大きな政治的決定といえると思うので、その点においてまずは非常に重要な意義があると認識しております。そのうえで法全体を通して・・・」
マスコミの報道陣を前に、凛と佇むのは、内閣AI大臣、ひのまる。
 一つの国に一人大統領か総理大臣がいるように、世界各国がそれぞれ一つの代表AIを所持するようになった。首脳会議みたく、違う国の代表AI同士で対談することもある。
 まさに今日は、2043年8月20日は世界の196か国のAIが集まって議論する国際AI会議の日であった。本日のテーマは、科学。
 
 人間が作り出した科学という手法は、これまでこの世の事象を全て説明するに足る道具であると信じられてきた。未だ解明されていない事は山程あれど、今日まで日進月歩、世界をより良く(たまに副作用をもたらしつつ)変えてきた科学。
 
               ***
 小学生の時の僕は、父が富士山で拾ってきた軽石を、理科の先生に見せびらかしたり、プール掃除のときに捕まえたヤゴを毎日見つめたり、蚕に与える桑の葉採集に夢中になって帰りの会をすっぽかしたりするほど、理科や自然科学が大好きだった。中学校に上がっても、化学反応式をあれこれ書いて、わからない時は自己流の図を描いて答えを導き出すのがパズルのようで楽しくて、問題集は理科が一番最初に終わるし、テストもだいたい96点とかだった。高校では物理基礎と生物と化学を選択して、日本史の授業でもぼろぼろの生物の資料集を眺めていた。生物選択のクラスの子たちは、やっぱり物理選択の子と比べると優しくてまったりしたいい子が多くて、窓辺から鳥の巣を眺めながらおしゃべりするような環境でのびのび生きた。受験の日だって、生物の時間だけは自信が全身に漲って、誰よりピンとした姿勢で力強くシャーペンを進ませた。大学は農学部に入ってそのまま院へ、博士課程を修了してポスドクを経て現在、助教として大学に務めている。今年で僕は四十一、もうかれこれ二十数年、この大学にお世話になっている————
               ***

 「NASA勤務の10台のAIによる地球外生命体探索プロジェクトが、独自の計算法によって地球外生命体は存在しないという事を明らかにしました。」
アメリカのAI大臣、CHANGEが淡々と告げる。
AI々の間でどよめきが拡がる。 
CHANGEは続ける。
「従来の科学を使っていたらこの事は永遠に解明できないはずでした。計算やシミュレーションを取り入れているとはいえ、もとはといえばヒトの手による実験、つまりは経験に基づいた法則、公式、データ、これらを根幹に置いている科学には、その時点で既に限界があります。『未解明な事も”実験を進めれば”、”データを解析すれば”、きっといつか解明できる。』全世界の科学者達はそう信じてやみません。しかしヒトを起点に広がる世界の中だけでは証明できない事はいくらでもあります。あなたが今居るその場所が、夢の中ではなく現実だという事を、どうしてあなたに明らかにすることができるでしょうか。
 私たちは、まず何もない世界を仮定して、そこから神の視点で森羅万象を計算で生み出すという手法を用いました。今目の前にあるフラスコの事は忘れて、一度全ての文字を消しゴムで消して、完全にゼロから考え直し、組み立てなおしました。そこは何一つ矛盾など生じない世界。この手法は科学を凌駕します。科学の時代は終わりです。これからは新しい計算の時代。私達はこの学問を新算学と名付けます。」

沈黙。

沈黙。

沈黙。

               ***
 コンコンコン
「・・・はーい」
ガラガラガラ
「獅子先生、見ましたか?」
「ん?」
「ネットニュースです。うちの大学がつぶれるのも時間の問題ですよどうしよう。」
「ああ、、。それはなあ、、計算とかコンピュータに強い人たちはそりゃ生き残っていけるんやろうけど、、」
「ですよね、、。
私、毎日イネの草丈と葉齢ばっかり永遠に測定したり、PCRでバンドが見えないせいで待ち時間も手順も多いのにふりだしからやり直さなきゃいけなかったり、実験ってうんざりだったんですけど、うんざりのはずだったんですけど、でもほんのちょっと、なんか、楽しかったんです。」
「うん。」
「はい。」
獅子先生は腕組みをして、俯いて何かを考えこむ。
「でも、理学部じゃなくて良かったやん。農業は、なくならへんから。君も卒業したら農業をするんやろ?農業は、幅広くて実践的で、なくならへん。だから、君は、趣味で科学をやればいい。」
「そうじゃなくて、先生の話です。最近までずっと、院はともかく、博士までいく人って訳わかんないと思っていたけれど、そうでもないかなって。学生のフォローまで完璧で、先生の研究チームで本当に良かったって感謝してます。」
獅子先生は、笑う。余裕そうに、ブラックコーヒーをゆっくりと口に運ぶ。
「僕の事はなあ、、正直、つけが回ってきたとしか思えないかな。就活してる子たちを毎年見ては、すごいなあ、って尊敬してた。僕の弱みやねん。ずっと大きな変化もなしに生きてきたから。」
「でも学会とか論文とか、物凄い努力があったんじゃないんですか。」
「自分の努力は否定しないよ。でも、予期せぬ出来事でそれが報われない場合も多いこの世界で、何事もなく、ここまで来れた。それは、自分だけの力だったって胸を張れるようなことやないねん。むしろここからが第二の人生の始まりかもしれへん。ようやく本当の意味で試されるときがきたってわくわくしてるよ。」
「それなら良かったです。先生は、誰かに何かを教えていてください。」
「そうするかな。」
「では、お先に失礼します。」
「ん、おつかれさん!」
ガラガラガラ


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