加島牧史

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能登被災地訪問日記 八

三月に入り那須の宮大工の中島さんが建物の被害調査に輪島まで来るというので、元さんと二人能登まで行く事にした。三月を入り北陸は雪な降ったので雪道を覚悟したが上越北陸道は雪がなく予定より早めに能登道に入る事ができた。一月には能登道は寸断され通行止めになっていた。どこまでいけるのだろうと進むと穴水町手前の腰越までいけるではないか。道路はかなり復旧が進んでいるようだった。  夕方龍昌寺に着き坂の下に車を止め雪道を徒歩で上がると一面雪で真っ白な龍昌寺の境内かあらわれた。ここだけは雪が

    • 能登地震救援記 その7

      その七  朝10時、皆に送られて龍昌寺の坂を下りる。遼雲と固い握手の交わし、風ちゃんと赤ゃんらをのせた車と共に出発する。理由なんかないぜ懸命に生きろよと心のなかで叫んだ。酒田の角を右に曲がり走ること三分。反対側からきた軽トラが止まるとこの先の崖が崩れて通れないと言う。確認のため先に進むとカーブの横の道の山が崩れ巨木が二本倒れて道路を塞いでいる。人力で動かさせる代物ではない。横道を探るが雪で覆われている。反対側は道路法も通行止めだ。  あちゃー帰れなくなった。あっという間に被災

      • 能登地震救援記 その6

        その六  余震が何度か襲ってきた。その度目が覚めまた眠りに落ちた。朝の五時頃に目か覚めた。まだ暗いなか一人でミルクティーをつくる。どうするか考えはじめた。  昨晩義援金をどう集めるかを話しあった、クラウドファンディングか個人の繋がりをフェーズブックで訴えるか。問題点を上げ早く方向性を決めなくてはならなかった、あーちゃんはの家の黒電話は停電でも繋がる。しかしあーちゃんが家にいられないため外からの電話を受けることができなかった。江崎の麦にあーちゃんの家の電話を庫裡やまで引けるかと

        • 能登地震救援記 その5

          その五  スマホの写真の順番を眺めると着いたのは4時頃みたいだ。長い緊張した運転と見慣れない被害の風景を通ったからだろうか、記憶が混乱している。夕食前に龍昌寺の被害を確認している。   まずは高台にある福田さんの家に向かった。元さんの家の玄関は外れ斜めにひしゃげている。窓から家に入ると家財道具が壊れて散らばり足場もない。キッチン居間リビングとすべての部屋一面が混沌としている。山側の家半分の柱は垂直に立っているのだが、谷側の柱は約10センチ落ちている。家全体の半分が斜めに落ちて

        能登被災地訪問日記 八

          能登地震救援記 その4

          その四  とりあえず手に持てる食材を持ち通い慣れた坂を歩いて上がる。右手の路肩が崩れ落ちポッまどカリと見しらぬ空間が広がっている。その上の道は斜め亀裂が走り幅一メートル、50センチの高さで割れておいる。これは人力では埋められない大きさだ。さらに幾つかの盛り上がった道を上がりきると、夕暮れの薄明かりの中に龍昌寺の本堂と庫裡屋の建物が見えてきた。  窓から漏れ来る光に導かれくりやのドアをひらくと台所のくりやに皆はが集まっていた。ストーブが炊かれた部屋は温かく、そこには明るい皆の顔

          能登地震救援記 その4

          能登地震救援記 その3

          その3  五日目朝を向かえた。朝食を済ませ皿を洗っているとソウル君が現れた。僕たちにガソリン30リットルを持って行って欲しいと持って来たのだ。いつも通る穴水町に抜ける海岸寺は道は渋滞する可能性高いとのことだった。皆考えることは同じで物資を親戚や知り合いに届けようと動き始めていた。相談の上棚までもどり西側のルートをとり志賀町を抜け門前町から三井町に行く道をえらんだ。上棚を抜け暫く走り現金を引き出そうとコンビニに寄ったかやっていなかった。それからすべての商店の明かりが消えていた。

          能登地震救援記 その3

          能登地震救援記 その2

          そのニ 翌四日朝神経が高ぶって寝不足の頭を動かして、寝袋毛布カセットコンロシャベルなどをプリウスに積み込み兎に角出発。直ぐに加藤さわからメールが入り携帯用の充電器を持って行って欲しいので寄ってと。加藤さんの家に寄り餞別まで頂いて近くのホームセンターへ向かう。ガソリンとの携行缶を買いに走る。与呂見の皆は余震のため車中泊をしているためガソリンが欲しいとのことだ。金沢に着いてから携行缶買えない可能性があるためこちらだ買わなくてわならない。第三京浜を登り環八をで柳井さんからメール、ユ

          能登地震救援記 その2

          能登地震救援記 その1

          元旦の夕刻、今年はおせちを造れなかったので夕飯を作ろうとしていた時いきなりTVが能登の地震を報道しはじめた。一体何が起きているのかテレビを注視していると、元さんが川崎大師の托鉢から帰ってきた。「能登が大変だよ」と僕は叫んだ。2日になりどうすることも出来ないの元さんは淡々とし托鉢に出かけ僕はテレビからながれてくる情報をただ見ていた。龍昌寺とは連絡が取れずいま起きている現象と報道からいったどうなっているか推測するほかなかかった。             3日目になってようやく情報

          能登地震救援記 その1