能登地震救援記 その2

そのニ
翌四日朝神経が高ぶって寝不足の頭を動かして、寝袋毛布カセットコンロシャベルなどをプリウスに積み込み兎に角出発。直ぐに加藤さわからメールが入り携帯用の充電器を持って行って欲しいので寄ってと。加藤さんの家に寄り餞別まで頂いて近くのホームセンターへ向かう。ガソリンとの携行缶を買いに走る。与呂見の皆は余震のため車中泊をしているためガソリンが欲しいとのことだ。金沢に着いてから携行缶買えない可能性があるためこちらだ買わなくてわならない。第三京浜を登り環八をで柳井さんからメール、ユニクロのヒートテックを用意したのて寄ってくれとこと。それらを受け取り関越道に乗る。冬の北陸へ行くのにどこかで雪を踏みしめる。この場合関越道が最適と判断したのた。                                昨年の暮れ、思いきって初めてスノータイヤに履き替えた。これでスノーシューにもいけるなと。お陰で止まることなく夕刻に富山につく。携行缶にかゾリン70リットルを入れ積み込む。プリウスの荷台にガソリンを積むのはあまり気分のいいものではない。揮発性ガソリンに引火したら自爆テロになるからだ。おかげでタバコも吸えない。富山からは下道を走り途中ほのスーパーによりインスタントラーメンや肉、ありとあらゆる必要そうな食品を六万円分買い込む。出発直前にM氏から寄付をいたたいた献金を使わしていただき、それを使わしていただいた。高岡市から氷見市まではなんら変わらない街頭と商店の明かりが灯り普段と変わらない。氷見から七尾に向かうと、カーナビが普段通らない山道を指示しはしめた。海側の道は通行止めになっているのだ。真っ暗な山道をカーナビだよりに一時間。ようやくわじゅさんの光雲寺にたどり着いた。11時間の道のりだった。

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