能登地震救援記 その5

その五
 スマホの写真の順番を眺めると着いたのは4時頃みたいだ。長い緊張した運転と見慣れない被害の風景を通ったからだろうか、記憶が混乱している。夕食前に龍昌寺の被害を確認している。 
 まずは高台にある福田さんの家に向かった。元さんの家の玄関は外れ斜めにひしゃげている。窓から家に入ると家財道具が壊れて散らばり足場もない。キッチン居間リビングとすべての部屋一面が混沌としている。山側の家半分の柱は垂直に立っているのだが、谷側の柱は約10センチ落ちている。家全体の半分が斜めに落ちてしまっている。そとに出て基礎を見ると基礎から柱がずれ落ちている。地面に亀裂が走り、亀裂が雨水で広がらないようトタンが被されていた。温が「もうこの家に住めない」と言った。なんとも返答ができなかった。
 さらに高い岡の上にある江崎さんちのテラス
は家から外れ斜めに落ちている。眺めの良かった一階の大きな窓が壊れ外れておりブルーシートで覆われている。中に入ると瓦礫と化した家財かすべて空間を埋め尽くしている元々モノかが多い家だったからだろうか、すべてのモノにまつわる歴史や思い出が壊され散らばっている。片付けるというより、そこにかってあったもの、その空間をつなぎ止めていた結び目が壊れて破棄されたかのやうだった。
 板谷のアーチやんの家も同じようにだった。外環は保っているが家の中はガチャガチャに壊れていた。あーちやんもあの家にはもう住めないと言う。地震がよほど恐ろしかったのだらろう、あーちゃんはその晩も車の中で寝ていた。
 あーちゃんの家から陶芸の窯に向かって亀裂が走っている。江崎さんの陶芸の窯は無惨にも崩れ落ちている。煙突は外れており斜めに傾いている。「もう一度これを再建する気はないよ。版画一本でやるしかないな」と江崎は言った。
 西川さんの家は外環に被害は見られなかった。新しか建てた家だからだろうか。家の中には立ちいらなかった。
 龍昌寺の本堂の壁はかなり剥げ落ちていた。村田家の土台は基礎のブロックの中心か左に15センチずれ辛うじて水平線を保っていた。これらの家々が倒壊を免れたのは山の地面が固く、揺れを増幅しなかったのだろう。すべての家々の家財内装は壊れ構造の柱がずれていた。    
 石組で作った古墳型の共同の墓地の添乗がおち、立ってた石碑や地蔵はすべて壊れて倒されていた。
 そんな中でもまったく変わらないものがあった。それは女の人達のおしゃべりだった。あたしゃ地震なんて知らんとばかりに、楽しげにたわいのない会話を大きな声でやり取りをしていた。落ち込む気分と明るい声か奇妙なコントラストを作っている。地震の揺れは人の思い枠をも壊し妙に風通しのよい繋がりを再ていた。龍昌寺の庫裡やは皆の避難所となりまた新たな絆が結ばれ始めていた。
 それと赤ん坊の鳴き声だった。フーチャんか最近生んだあおの鳴き声と長男の楽の笑顔だった。何も無いんだよ、初めからなをも無いんだよ、と明るい声が胸に染み渡ってくるようだった。

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