能登地震救援記 その6

その六
 余震が何度か襲ってきた。その度目が覚めまた眠りに落ちた。朝の五時頃に目か覚めた。まだ暗いなか一人でミルクティーをつくる。どうするか考えはじめた。
 昨晩義援金をどう集めるかを話しあった、クラウドファンディングか個人の繋がりをフェーズブックで訴えるか。問題点を上げ早く方向性を決めなくてはならなかった、あーちゃんはの家の黒電話は停電でも繋がる。しかしあーちゃんが家にいられないため外からの電話を受けることができなかった。江崎の麦にあーちゃんの家の電話を庫裡やまで引けるかと聞くと可能だと言う。これで今日から連絡が可能になる。この現状を伝えるためには電波のあるところまで出なくてはならない。 
 無理やり4日に出たのは.8日の天気予報か雪だったからだ。今日のうちにここを出ないと帰れなく可能性があった。海岸沿いの雪はたいして積もらないのだか与呂見は違う。低い山なのだかここは多いときには2メーターからの雪が積もるのだ。若いころ雪なか友人の家から龍昌寺に戻ろうと出て吹雪に襲われたことがあった。坂道のカーブでスリップし側溝に脱輪し身動きがとれなくなっで青くなった。たまたま通りかかった四駆のジープに引き上げでもらいたすけられた。その後もホワイトアウトでまったく視界か奪われた。一気に積もった雪か道路を多い尽くし龍昌寺からわずか3キロの地点で遭難しかけたのだ。
 昨晩の濃密な暗闇での時間を思い起こしていた。あーちゃんはあっこではもう住めんから本堂かエリちゃんの家さむしかないわ、と言っていた。あの強烈な揺れを元旦から浴び続けているのだ。無理もない。自分の中が壊れなんとも言えない場に追い出されているのだ。
 遼雲さんは「こんなの普通じゃやってられないよ」と言い多くを語らなかった。次々とか起きてくる事態に対じするこで背一杯だ。事態はそれをも茫然のなか懸命に立ち尽くしていた。 
 温くんとふーちゃんはこれからの行く末に思いを走らせていた。いままで保留にしてきた決断のど真ん中に立たされていた。皆明るく元気であったがそれぞれが暗澹たる思いを抱ええいる。自分の思いとはまた別の場に立たされ見えなくとも確かにある壁に向かい立っていた。  
家が壊れて起き出されただではなく、かってあった自分からも計らずとも追い出されてたのだ。しかしなにかは生きはじめた。今まで使わなかった何かが起動し始めていた。
 しばらくすると皆が起きてきた。このぐずぐずした煩悶なと蹴散らすように朝が始まり本堂では朝歌が始まった。遼雲が大鍋で15分の卵いりインスタントラーメンを作ってくれた。それを三杯掻き込み帰り支度を始めた。ふーちゃんと赤ん坊、楽が金沢のジアンさん宅に避難することになり千尋の車と一緒に10時に出ることになった。

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