能登地震救援記 その1

元旦の夕刻、今年はおせちを造れなかったので夕飯を作ろうとしていた時いきなりTVが能登の地震を報道しはじめた。一体何が起きているのかテレビを注視していると、元さんが川崎大師の托鉢から帰ってきた。「能登が大変だよ」と僕は叫んだ。2日になりどうすることも出来ないの元さんは淡々とし托鉢に出かけ僕はテレビからながれてくる情報をただ見ていた。龍昌寺とは連絡が取れずいま起きている現象と報道からいったどうなっているか推測するほかなかかった。           
 3日目になってようやく情報がはいって来た。与呂見の皆が雪の上で焚き火を囲んでいる写真が更乃経由で送られて来たのだ。どうやら余震がすごいらしく家入ることが出来ないらしい。そうこうするうちにカナンから電話が入り、澄子さんと二人で穴水病院の駐車場にいて布団を借りて二晩そこにいる。持っていたチーズケーキしか食べていない。龍昌寺の温とは連絡がつかないと言う。さてどうしたものかと思案するが、兎に角元さんも帰らなくてはならない以上、澄子を向かえに出るしかないと結論された。              つづく

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