どう大学生活を面白くするか?—4年間をふり返って
実は(?)、この3月で大学を卒業します。
自己紹介には大学生と書いて何年生かまで書かずにいましたが
なので、大学4年間をふりかえって思ったこと考えたことを書こうと思います。とくにこれから大学生となる人をイメージして、大学でこんな感じで生活していけばいいんじゃないかということを書こうと思います。
メインテーマは、「大学生活を自分なりに楽しむための方法」のつもりで書きます。(きれいに書ける気がしないので保険をかけます笑)
この4月から新しく大学生になる人、まだ大学生の人、これから大学に行こうかなと思っている人 etc… 興味があれば読んでくれると幸いです。
大学って結局、自分次第
他の方々がいろいろなところで言われるとおり、やっぱり大学は自分次第なところが大きいです。
「単位を取る」と言っても、がんばって秀を取るのか、ひとまず単位さえあればなんでもいいと思って可で取るのか、どちらを選ぶかは自分次第です。(とはいえ、秀を取りたいと思ってがんばって必ずしも秀が取れるわけじゃないですけど)。別に可ばかりを取ったからと言って、ぐちぐち言ってくる大人もいないですし、最低限でも単位を取っていれば変に目をつけられることもないですし。さらに言えば、卒業のために必要な単位数ピッタリで卒業するのか、興味あるものや教職、その他の資格のために追加で多く取るのかだって自分で決められます。
もっと広いところでは、サークルや学生団体、ボランティア、自主ゼミ、研究室活動への参加・・・ これらはすべて基本的には自分でやるか、やらないか決められます。
もっともっと極端なことを言ってしまえば、大学を辞めることだって自分次第で決められます。(さすがに辞めるとなったら親の説得は必要でしょうが、留年など重ねて在籍可能年数を超えればもはや辞めるしかない状況にはできます)
結局、すべて自分の意思次第でどうにでもできる可能性が大きい。
というのが大学だったなと思います。
だから、どう楽しむかも自分次第で、自分で決めるしかありません。
「学生」という肩書
「学生」という身分、肩書はマジックワードだと私は思います。
学生と言えば何でも許される ・・・ とまでは言えませんが、うまくその肩書を使えばたくさんの経験ができます。しかも、失敗しても学生というマジックワードでなんとかできる。
自分もこども食堂や居場所づくりをやってみました。
正直に言って、うまくいったとは言えません。
運営体制を安定化できずにあまり活動できなくなったり、補助金をもらったけど十分な活動成果を挙げられなかったり…そんなもんです。
でも、助けてくれた方々はみなさん、「学生のうちにこれだけのチャレンジができたんだから」とか「失敗してもいいんです。主体的にやってみることが大切なんです」と言ってくれました。また、なかなかうまくいかない運営についても「大学生だからなかなか難しいよね」とか「続けるとなるとハードルは高くなるんだから」と励ましさえ言ってくれる。
たぶんこれが社会の中で仕事として、もしくは1人の責任者としてやったとしたら、なぜうまくいかないのか、なぜこんな結果になったのか説明責任を果たしなさいと言われると思います。場合によって、もう二度と援助なんてしてもらえないかもしれません。
だから、これもよく言われることですが
学生のうちにやりたいことやって、失敗するなら失敗しておく方がいいと思います。
その試行錯誤を面白がってみるのも1つの楽しみ方かもしれませんし、そんなスリリングな楽しみ方は学生だからできると思います笑
と、ここまでだとかつてだれかがどこかで言ったことをなぞっているだけなので、ここから先は私の思うことを私の言葉でなるべく書こうと思います。が、その分だけクセのある個人的な考えになりますが…
いろんな楽しさ・面白さを知る(メイン)
苦み(にがみ)のある楽しさ・面白さについて
そもそもですが
楽しい、面白いと思う瞬間はいろいろとあると思います。
私がここで言いたい楽しい、面白いとは
少しばかりの”苦み”もある楽しさ・面白さ
ということです。
楽しいこと・面白いことと聞いて真っ先に思うことは各々の趣味とか好きなことでしょうか。
好きなテレビやYouTubeを見る、趣味のなにかに没頭する、友達とご飯に行く、どこか好きなところへ出かける、好きなものを買う、推しのライブに行く、どうでもいい話でしゃべり続ける・・・
きっと人それぞれに色々あると思います。
じゃあ、少しばかり”苦み”のある楽しさ・面白さとはなにか?
”苦み”とは、苦しさそのものというわけではないです。
うまくいかない、これでいいんだかわからない、なんか理想通りにならない…そういうスッキリと「あぁ、楽しい」と思うことを少し邪魔するものです。
さきほど挙げた楽しさ(好きなYouTubeを見る、友達とご飯に…とか)は、たしかに楽しいです。リフレッシュという意味でも自分だけの時間を守るという意味でも大切かなと思います。
でも、そういう少しばかりの苦みを感じない楽しさだけだと、経験値は上がらない、視野が広がらない、成長しないというのも事実だと思います。
なので私は少しばかり”苦み”も感じる楽しさ・面白さを知ることが必要かなと思っています。楽しいの中にある、うまくいかない、これでいいんだかわからないという”苦み”を感じて、悩んで、考えていくことで自分を少し成長させてくれるはずです。
じゃあ、私にとっては苦みのある楽しさ・面白さはなにか?
・専門領域の学問(特別支援教育や心理学)を学び、研究すること
・哲学対話などを通して他者と交わり、他者と共に居る空間をつくること
・地域づくり、コミュニティづくりを通して人とまちと関わること
・多様性を考えながら個人的な実験をすること(このnoteもその1つ)
このあたりが私にとっての苦みのある楽しさですかね。
これらは決して純粋に楽しさ・面白さをダイレクトに感じることはできません。地域づくりなんて、たった1回のイベントをやったからそれでいいとはならずに何回も何年も関わることで面白さに気づけるものなんだなと4年間を終えた今、改めて思ってます。
そして、どれも考えたり、関わっていく中では難しいこともありました。すでに書いた通り、うまく行かずに失敗だったかなと思うような部分も多々あります。
でも、それでも、やってみて楽しかったし面白かったです。
哲学対話でのファシリテーターなんて何度やってもうまくいかない、わからない。それでも、そういう場をつくることを通して他者の考えに触れて、他者の紡いだ言葉を聴いて感動して、触発されて私自身が思ってもいない考えが出てきたりする。そういう楽しさ・面白さを知ってしまったから続けてきました。そこでの経験が私にとってはとても重要なものになったことは確信しています。
苦みのある楽しさは意識高いことに捉えられることも
私にとっての苦みのある楽しさ4つを見てどう感じるでしょうか。
そうだよねぇー。私もそう思う。それって面白いよね。と思ってくれる人はまぁ少ないと思います笑
一方で、意識高い人だなぁ。そんなこと自分にはちょっと。面白いんだろうけどそこまでは熱中しない。とか、そう思う人もいるかと思います。とくに今、なんとなく変わりたい、経験値を増やした方がいい、視野を広げたい…と思っている人にとっては、ここまでの話は少し嫌かもしれません。(本当にそうならごめんさい)
でも、私はやって楽しいんです。面白いなぁーと思いながらやっています。
だから、人からそれだけやっててすごいねとか、意識高いんだねとか言われたり、時には薄っすら一線を引かれたり、そうだとしても私は楽しいからやってきました。
そして、その楽しさ・面白さの中にある苦みによって考えたこと、経験したことは間違いなく自分にとって貴重なもので、成長させてくれた気がします。
なので、苦みのある楽しさ・面白さを最初から意識高いこと、そう人がすることと決めつけて遠ざけるのではなく、自分なりの楽しさ・面白さを見つけてほしいなと思います。
楽しさ・面白さの見つけ方(きっかけ)
見つけ方のきっかけはシンプルです。
面白そうだな、興味あるなと思ったらひとまずやってみる
それだけです笑
それがハードル高いんだよ!と言われそうですが、もうそれしかないんですよね。
やっぱり苦みのある楽しさ・面白さは自分でやらない限りはわからないです。いくら仲のいい友人がやっている面白そうなイベント企画があるからって、それが自分にとって合うかどうかなんてわからない。
そもそも地域や社会にどんな活動があるのか、自分の興味のある学問分野がなんのかなんて自ら知ろうとしないかぎりはわかりません。だって無数にあるんですもん。
大学生という段階まで成長してきて、だれかが常にそばにいてこれに興味あるんじゃない、これきっと合うよとかマネジメントしてくれることなんてないですし。
だからもう自分でとりあえずやってみて、足突っ込んでみて、楽しいかどうか判断するしかないです。
もしやってみてなんか違うなと思ったら、「他にやりたいことできたのでそっちに集中します!」と言って乗り換えればいいです。これも”学生”という肩書の特権です笑
楽しさ・面白さの見つけ方(コツ)
今さっき言った通り、まずはやってみることそれは必須です。やってみない限りはなにも始まりませんので
ただ、やってみようと思ってやり始めてからも少しコツというか注意点があります。
それは
苦みがあるんだ
ということを忘れないこと。
すでに書きましたが、苦みがあるということはそう単純に楽しい・面白いとはなりません。興味ある、やってみようと思ってやり始めたけれど、うまくいかない、なんか理想とちがう、失敗した…そうなることは必然です。それが”苦み”なので。
でも、その苦みの部分を感じたとき、苦みの部分だなと思って受け入れる。避けるのではなく、積極的に対面していく。楽しいと思えることですべて上手くいく!とはいかないと冷静に俯瞰する。
そうやって、じっくり、ゆっくり、マイペースで楽しさ・面白さを見つけて味わおうとしていくことが必要です。
その苦みを感じつつも、どうすれば面白くなるか、自分の目標や理想に近づくかを考えて自分の手でやっていくから楽しさ・面白さに気づけていく。それは自分にしかわからない楽しさ・面白さだったりします。
1点、補足ですが、あまりにも合わないなと思ったら無理しないでください。当然のことですが、人付き合いがあまりにきついとか、やりたいと思っていたことと全然ちがう、明らかに理不尽とかそういう苦みは良くない苦みですから。良くない苦みに覆われれば、それはもう絶対に楽しく、面白くはなりません。だからその見極めは大切です。でも、それは肌感覚で感じ取るものもあるし、その見極めもまた経験の中で身につくものだったりもします。
「好きなことを仕事にする」の本当の意味
よくメディアなどでは「好きなことを仕事にできれば最高。だから子どもや若者は自分の好きなことを見つけてほしい」という言葉を見かけます。
ただ、ここで言う”好きなこと”とは、苦みのある楽しさ・面白さだと私は思います。
芸能人や著名人、研究者やメディアに取り上げられてインタビューを受けている社長や起業家・・・
みなさん、楽しそうで熱中していて、きっと好きなことを仕事にできた人なんだろうなって思います。
でも、そういう人たちだって仕事などする中でうまくいかないことや失敗だってあったはずです。でも、自分にとっての苦みのある楽しさ・面白さを見つけていて、その楽しさ・面白さの味わい方を知っているんだろうなって思っています。だから、うまくいかないことや失敗があったとしても、それを含めて楽しく、面白くやっていけるんだろうと思います。
なので、「好きなことを仕事にする」とは、苦みのある楽しさ・面白さを自分なりに見つけていくことだと私は解釈しました。
ちょっと自己反省(蛇足)
ここまで偉そうに自分の楽しさ・面白さを見つけようと言って、自分にとっての楽しさ・面白さも書きましたが、自分自身はそれで十分に満足してるか?と問われれば微妙です…笑
後悔にも近いですが、もっと自分が楽しい・面白いと思うかもしれないことにもっと積極的に足を突っ込めばよかったなって思っています。
コロナだったし…というと言い訳ですが、海外留学とか挑戦しなかったし、もっと飛びぬけたことだってできたんだろうと思います。周りにはそういう人もいます。だから、とことんやり尽くせたかどうかは何とも言えません。
でも、たぶんですがやりたいことをすべて4年間に詰め込むのは限界もあるし、いろいろと制約だってあります。だから、今の私の環境においては十分に自分なりの楽しさ・面白さを見つけて、自分なりに大学生活を楽しんだと思っています。(今はそう思えています)
まとめ
さすがに今回は長くなりましたね。もうちょっとコンパクトにまとめたかったんです…
さて、ここまで長々と書いてきて最後になにを言うんだと思うかもしれませんが、
大学生としてどう大学生活を楽しみたいかなんて人それぞれ価値観はちがうと思います。
なにが正しくて、なにが良いなんて知りません笑
だからこそ、自分なりの楽しさ・面白さを見つけることを経験できるかが重要だと思っています。
好きなYouTubeを見る、友達とご飯や飲みに行くことと対比させて否定するかのような文脈にしてしまいましたが、それらは決して間違いだとは思いません。それもまた楽しいことであることに違いはありません。私だって、それはそれで楽しみますし、大切な時間です。
でも、なんとなく周りもそんな感じだからとか、とくにそれ以上の楽しさ・面白さを見つけるのはめんどうだからとか、自信ないし、そう思ってなにもしないのは勿体ないと私は思います。チャレンジしないのは大学生として少し損してるかもしれません。
せっかく大学生をやっていられるなら、自分なりの楽しさ・面白さを見つけて自分だけの大学生活を楽しんだ方がいい経験になるはずです。
ですので、これを読んでいるまだ大学生の人、これから大学生になる人は自分なりの楽しさ・面白さを見つけてください。
今回はかなりの長文でしたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。また別の機会で、もう少し個人的な学生生活のふり返りも書きたいなと思い始めたので、それもどこかで。
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