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海外青年協力隊に行った人の話①

私の身近で3名、海外青年協力隊として飛び立った人がいる。


1人は中学3年の時の技術の先生。

何かを見透かしているようなギョロッと大きい目で
仏頂面でいつも何かに不満を持っている雰囲気をまとっていて
迂闊に近づくと何もしてなくても怒られそうな圧を感じていた。


失礼な話だが、あまり何かに熱意を持っているようには見えなかったので
日本に家族を置いて海外青年協力隊に行くと聞いたときは正直かなり驚いた。



その先生の最後の授業の日。




細かいニュアンスは忘れたが
「お前らみたいなやる気のない奴らに教えるより
もっと有意義なことに時間を使おうと思った」
といった内容のスピーチをして去っていった。



先生に面と向かってディスられた衝撃は
25年くらい前の話だけど未だに記憶に残っている。



やはり仏頂面の内側には
不満が溜まっていたのだ。


確かに、
先生には大変申し訳ないが積極的に授業を受けている生徒は少なかったように思う。



少なくとも私は
与えられた課題をやらなきゃいけないからやる、ぐらいの感じで

工作はそれなりに楽しかったけど
何か飛び抜けたクリエイティブなアイデアがあるわけでもなかったし、

どちらかと言うとバランスを考えずに好きな色をランダムに塗って
我ながらセンスのなさにガッカリしたものだった。



もっと色々考えて創作を楽しんだらよかったと今更ながら思うが
中学生当時は前のめりで一生懸命に授業を受けることが
なんとなくダサく感じてしまっていたのだった。




目立たず、でも反抗的でもない、
良くも悪くもない
イエスでもノーでもない存在でいようと
無意識に思っていたように思う。




先生はきっと
ドラマや映画のような
生徒と魂と魂をぶつけ合って
生きている実感を日々感じながら
教師という仕事をしたかったのだろう。



それはそれは
教え甲斐がなかったに違いない。



その後の先生のことは詳しくはわからないが、
2年後くらいに日本に戻ってきて
また教師をしていたと聞いたことがある。




もう今はすっかり定年になっているはず。



先生が発展途上国で
現地の人たちと
魂のぶつかり合いができたことを
願ってやまない。


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