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わがまま時代

さて、いざNOTEを始めるぞ!と意気込んではみたものの、何から書いてみたら良いのかも分からなかったので、ひとまずは自分の人生を振り返って、それを一つ目の記事にしていきたいと思います。

私の思い出せる最も古い記憶となると、3歳頃ですかね。幼稚園時代です。
タイトルにもあるのですが、まぁー~わがままでした!

3人姉弟の末っ子長男に生まれた私は両親からの寵愛をたっぷりと受け、欲しい物は絶対手に入れるマンとしてスクスクと育ちました。
身体的にも早熟傾向があり、周りの友人達より頭一つ抜け出た体躯を誇っていた為、前述のわがまま放題な性格も相まり、田舎の極狭いコミュニティではありましたが近所の(同世代限定の)ガキ大将を気取っていました。

でもまぁ当時は恥ずかしいと思っていましたが、今となっては「可愛らしいな」と思う部分もあって、それは、ずばり「マザコン」だったんですよね。
幼稚園年代ですから、年相応と言えば年相応なんですけれども、当時は幼いながらも周囲に対して優位性を誇示していた部分があったので、そんな自分の情けない部分を認めることが出来なかったんですね。

母のことは本当に大好きで、当時世界で一番素敵な女性は母であると本気で信じていた為、父以外の男の人が母に近寄ると「まぁ~たどこぞの馬の骨がお母さんにお近づきに来やがった!許さんぞ!」といった感じで敵意むき出しにしてました。まぁ、ヘタレだったので何も出来ないんですけどね。

そんな母には随分大変な思いをさせたと思います。
・幼稚園から帰ったら、絶対スーパーに買い物に連れて行って欲しいマン(お菓子やおもちゃを買ってもらう為)。

・ガチャガチャは欲しい物が出るまで絶対に止めないマン。

・家に帰ったら気が済むまでおんぶしてもらうマン。

・母や姉と遊ぶ時は絶対にチヤホヤしてもらうマン。

改めて書き連ねると、やっぱり恥ずかしいですね。
まぁ思い出せないだけで、他にも何がしかのわがままがあっただろうなと思います。
今となっては母も認知症の兆候が出ているので聞きたくても聞けないわけですが、たまに帰省してくる姉からは、私の子供と一緒に遊びながら沢山そういった話をされます。

けれども本当に、そういった甘えられた環境があったから、家族から沢山の愛情を受けることが出来たから、今現在私も家族に沢山の愛情を向けられる人間に成ることが出来たなと思っています。心の底から感謝しています。

他人の家庭のことってあまり知る機会も無いと思うんですけど、妻の家庭環境なんかも、私と結構似ている節があったみたいです。
妻は上に3人の姉と兄が居り、末っ子として存分に家族に甘えて育ったみたいです。というか、私の知る限りではベトナム人は子供に対してめちゃくちゃに甘い!
甘やかされて育った私が言えたもんではありませんが、それでも、そこまでするかというくらいに甘過ぎます。
具体的な行動でというか、考え方ですね。そこそこ大きくなっても赤ちゃん扱いしているみたいな。
でも、だからか、やっぱり日本人とは家族観が違うかなって感じることはとても多いです。私としても大変な感銘を受けましたし、そのような子育てを実践していきたいとも思いました。

さて話を戻しまして私の幼稚園児時代です。わがままであったことに加えて、もう一つ外せない要素として、サッカーとの出会いがあるのですが、ちょっと長くなってしまったので記事を分けますね。

次回「サッカーにハマる」


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