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211. なんで自分の作品が愛おしく感じるのか、気づいた話。

自分の作品は、どれも愛おしいです。

恥ずかしく思う気持ちもあるけれど、それでも愛おしく感じます。

だから、

自分の作品は、自分の「人生」の大切な「一部」になっているんだ。

最近、つくづくと実感していました。

今日、「作品」と「人生」との関係を表した図解を見て、ハッとしました。

作品の「中心」には、作者の「人生」がある。山田太郎さんのnote『【図解1489】作品の中心には「作者の人生」がある』より

そうなんだ。

作品は、自分の人生の大切な「一部」だと感じていたけど、

その「一部」の場所は、

「はじっこ」じゃなくて、「中心」なんだ

だから、自分のつくった作品の一つひとつが
自分の子どもみたいに愛おしく感じられるんだ、と気がつきました。

「人生」は「作品」の、「はじっこ」ではなく「中心」にあるのだと気がつきました。だからこそ、作品をこんなに愛おしく感じるのだと思います。


さらに、別の図解から、
作品(コンテンツ)の「中心」にある「人生」は、誰にも真似できないものであることにも気づかせてもらいました。

作品(コンテンツ)の「中心」にある「人生」は誰にも真似できない。山田太郎さんのnote【図解1202〜1208】今週の落ち葉拾い(2/14〜2/2)より

自分が書きたいと似たようなことを
すでに誰かがかいているんじゃないか、
だとすれば、書く意味はあるのか、と思うときがあります。

でも、やっぱり意味はあると改めて思うからです。
なぜなら、自分と全く同じ人生を歩んでいる人はいないからです。


そして、そもそも

作品を発表できるのは、「生きているうち」だけ。
作品を発表できるのは、「生きている」からこそ。

だから、作品を発表できること自体が尊い。

ということにも気づかせてもらいました。 

何をもって「作品」とするかは人それぞれでしょうが、少なくとも「作品を発表できるのは生きているうち」というのは、一見当たり前ですがクリエイターにとっては特に深い意味を持つ言葉のように思います。

山田太郎さんのnote『【図解1489】作品の中心には「作者の人生」がある』より


作品は、生きた証。

作品の「中心」には、
誰にも真似できない自分だけの「人生」がある。


だから、作品を愛おしく感じるのだと思いました。

生きていることに感謝したくなりました。

作品を愛おしく思う理由。作品は生きた証であり、作品の中心には自分だけの人生がある。


大切なことに気づけたので、
これからは創作をもっと楽しんでいけそうです。

山田太郎さん、貴重な気づきをありがとうございました。


ここまで読んで下さった方にも心から感謝しています。


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