211. なんで自分の作品が愛おしく感じるのか、気づいた話。
自分の作品は、どれも愛おしいです。
恥ずかしく思う気持ちもあるけれど、それでも愛おしく感じます。
だから、
自分の作品は、自分の「人生」の大切な「一部」になっているんだ。
最近、つくづくと実感していました。
今日、「作品」と「人生」との関係を表した図解を見て、ハッとしました。
そうなんだ。
作品は、自分の人生の大切な「一部」だと感じていたけど、
その「一部」の場所は、
「はじっこ」じゃなくて、「中心」なんだ
だから、自分のつくった作品の一つひとつが
自分の子どもみたいに愛おしく感じられるんだ、と気がつきました。
さらに、別の図解から、
作品(コンテンツ)の「中心」にある「人生」は、誰にも真似できないものであることにも気づかせてもらいました。
自分が書きたいと似たようなことを
すでに誰かがかいているんじゃないか、
だとすれば、書く意味はあるのか、と思うときがあります。
でも、やっぱり意味はあると改めて思うからです。
なぜなら、自分と全く同じ人生を歩んでいる人はいないからです。
そして、そもそも
作品を発表できるのは、「生きているうち」だけ。
作品を発表できるのは、「生きている」からこそ。
だから、作品を発表できること自体が尊い。
ということにも気づかせてもらいました。
作品は、生きた証。
作品の「中心」には、
誰にも真似できない自分だけの「人生」がある。
だから、作品を愛おしく感じるのだと思いました。
生きていることに感謝したくなりました。
大切なことに気づけたので、
これからは創作をもっと楽しんでいけそうです。
山田太郎さん、貴重な気づきをありがとうございました。
ここまで読んで下さった方にも心から感謝しています。
読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。