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181.「今」が「幸せ」ならそれでいい、「幸せ」だけは自分で決められるものだから。

価値判断は「相対的」であることが多いと思う


「駄作」でもいいから、書きたいものを書いていきたい。

そう発信した後、心がもやもやしていた。
「駄作」かどうか、決めるのは誰なんだろう。

自分にとっては、「成功」かどうかよりも、「幸せ」かどうかが大事。

そう発信した後、心がもやもやしていた。
「成功」かどうか、決めるのは誰なんだろう。


もちろん、どんなことだって、自分で決めてしまえばいいんだと思う。

ただ、自分で決めるにしても、
「駄作」かどうか、「成功」かどうかは、
「相対的」な価値判断になりやすいと思う。

たとえば、
スキが少なかったら駄作?
スキが多かったら駄作でない?

収入が少なかったら失敗?
収入が多かったら成功?

でも、その多い少ないって
どこの誰と比べるかによって、コロコロ変わるでしょう。

私はその「相対的」な価値に振り回されたくないと思っている。

でも「幸せ」かどうかは、その人自身にしか分からない。

「幸せ」かどうかは、「自分」がそう思えればいいだけ。
自分が「幸せ」と思えるのなら、間違いなく「幸せ」なのだから。

幸福度調査とかもあるけど、
「幸せ」はそれぞれの人が心で感じるものであって、
他の誰とも比べようがないものだと思っている。

「今」が幸せだったら、いいんじゃないか。

刹那的な考えだけど、そんなことも思った。

今、私は帰省中。

あと何度、こんな風に帰省できるんだろうか、
いつまで両親が元気でいてくれるだろうか、

ちゃんと両親のように
我が子を育てあげられるだろうか、とか

先のことを考えて、不安を抱いた。

でも、今日、両親や子どもたちと一緒に過ごして
幸せだったこと、それは本当だから、
その幸せをただただ噛み締めたいと思った。

私にできることは、未来を信じて
「今」の幸せをめいっぱい味わうことだけ。

未来に不安がいっぱいでも
今、ただ一つ誇れるのは
胸を張って「今」私は「幸せ」だと言えること。

そんな「今」をこれからも積み重ねていきたいと思います。

「今」が「幸せ」なら、きっと大丈夫だと信じています。

人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、連続する刹那なのです。そしてふと周りを見渡したときに「こんなところまで来たのか」と気付かされる。
(中略)

ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、それでいいのです。

岸見一郎・古賀史健著『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』


未来が不安だらけでも「今」が「幸せ」ならきっと大丈夫。
私にできるのは「今」をダンスをするように精一杯生きることだけ。

 作図にあたっては、山田太郎さんのnoteを参考にさせていただきました。


本日は以上です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。