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喪失
僕とあなたは二人で海を見ている。
波が寄せて引いて砂浜は均されてしまった。
僕は元の砂浜の様子を思い出せない。
そもそも覚えていたかだってわからない。
だけれども何かが失われてしまったことはわかる。
白く砕ける波にのまれて最小単位まで分解されて散り散りになってしまったなにかが。
僕はとても悲しい気持ちになる。悲しい気持ち?
生きていることや生きていたことがだんだん嫌になっていく気持ち。
何かに出会い、何かに触れるということはいつしかそれを失うということ。
その喪失に自覚的に気づけるかはさておき。
それは避けられない。僕もあなたも世界のあらゆるものと連続しながら生きているのだ。
別れと喪失は同義じゃない。別れなくても喪失は経験する。
手中の花束がいつしか萎れているように。
すべてのものは(僕を含めて)移ろいゆく。
過去の僕も今の僕も確かに僕ではあるけれど、それは決して同じじゃない。
得ては失って僕たちは同じところへはもう戻れない。
喪失を何かで満たすことはできない。
喪失というのは器ごと失うことで、失った器は二度と手に入らないし、前の器に似せて新しい器を拵えても、それは結局別物に過ぎず、前の器からしたら不完全なものでしかない。
新しい出会いや喜びは喪失と同じ秤に載せられるようなものではない。
僕は喪失を抱え、増えていく喪失を喪失していくことで心を保たせている。
僕は今喪失のさなかにある。
いつか僕という存在が喪失してしまうのだとしたら?
いつかあなたという存在が喪失してしまうのだとしたら?
きっと僕らはどこへだって行けるしどこへだって行けない。
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