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学びの意義ー社会人大学院生となった経験からー

俺、このままでいいのかな

病気になり、長期入院を余儀なくされた11年前。点滴に繋がれたまま天井を眺めていると、ふと思いました。

もっと仕事のために、将来のために学ばなきゃいけない気がする。
そんなことをぼんやり。
当時はあまり浸透していませんでしたが、今でいうところのリスキリングでしょうか。意識し始めました。

これをきっかけに僕は社会人として働きながら、大学院に通うという選択をします。この時、34歳。
今回はそのお話について書いていきます。

大学院進学を決めた経緯

入院中、自分のことを考えたり振り返ったりする時間ができて現状に問題意識を持ったんです。
当時の僕は大学職員としてキャリア支援センターで働いていました。様々な学生と接してきて気になっていたことがあります。それが、就活を意欲的にする学生と、全くしない学生。この違いについて。
そもそも就活を頑張ろうとしない学生はそれ以外も無気力である場合も多い。そんな彼らは、僕たちのサービスすら受けようとしない。どうしたら彼らに過不足ない就活支援ができる?
彼らが無気力な要因は何なのか知る必要がある。

社会課題と向き合うためにはアカデミックな世界は外せない。
僕自身がもっと学びを深めなければいけない。

それらを悶々と考えていたことが、僕の学び直しのスタートです。
仕事で感じ始めた疑問が起点となったわけです。

大学職員だったので、専門分野の教授と接する機会がありました。
こういう社会問題があると思う、こんなことを学びたいとか色々相談していたら、大学院に来ると色々できるかもねとという話になったんです。
僕の場合は、職場が大学なのでその大学院に通いやすかったですし。
学び直しの手段は色々ありますが、条件が整っていたため僕は大学院を選択しました。

ちなみにこの時、僕には既に家庭がありました。子供も幼かったので、妻からは心配されましたね。条件が整っていると書きましたが、仕事をしながらだとやはり帰宅時間は遅くなるし、学費問題もありますから。
職場でも、応援してくれる方もいましたが、なんとなく嫌な感じで見てくる人もいました。
まあ、どこの集団にもありますよね、意識が高いような人を排除する動き。

それでも僕は学ぶことを選びました。
もっといい仕事をしたい、そして問題の改善に努めたいという意識から、学ぶことは絶対必要だと感じたからです。

当時を振り返って

大学院生としての二年間は、9時から17時まで仕事、18時から21時まで授業。眠い目をこすっての帰宅。そんな日々でした。
もちろん、その時間以外にも課題やら予習復習の自学の時間はありますし、とにかく忙しい。
職場の懇親会や飲み会があった日にはもう大変でしたよ……笑
家族との時間も中々確保できないし、プライベートでゆっくりした時間はとれなかったです。
おまけに、大学院も必修科目があり、やりたいことだけ勉強していればいい訳じゃありません。
まあこんな風に決して楽ではなった話はいくらでもできるのですが……

後悔は何一つありません。
やっぱりすべてに意味があったように思います。

俺、こんなに勉強した事なかったな……!
って自分の努力を認められました。その実感は気持ちのいいものです。

それに勉強していたことを活かす機会が日々の仕事にあったんです。

僕が当時研究していたテーマを少しお話しますと、先ほど触れましたが、頑張る学生とそうではない学生の違いについて。
両者の違いに影響を及ぼすものとして「自己効力感」があると仮説を立て研究していました。
自己効力感とは、簡単に言うと「自分ならできる」と言う行動に直結した概念。心理学者のアルバート・バンデューラが提唱したものです。
その「自己効力感」はどうすれば伸びるのか。就活等にどう活用するのか。そこにスポットを当てて研究していました。今回の記事では特に、詳しい研究内容は書きませんが、心理学や統計学、社会学の分野です。

大学院で書いた論文

この分野で学んだことや研究成果を実践してみるというのを、大学職員の仕事で繰り返していました。
具体的には、学生の力を引き出す実践もそうですが、統計の知識とかもすぐ役立ちましたね。勉強する前より格段に就活に関するデータを読めるようになったという成長の実感がありました。

もちろん、学びを始めた当時だけではなく今にも活きてます。

学びの場は、人脈を作る場にもなり得ます。
仕事だけをしていると、意識が高い人も低い人も混在している場で毎日を過ごしますよね。
でも、大学院では学会発表があるので、専門家の人々と出会う機会に富んでいました。

今でもよく覚えていることがあります。
東京の大学のとある教室。北海道の大学の一職員である僕の研究発表を沢山の人が聞いていました。緊張しつつも何度も練習していた発表を終えて、一息ついて顔を上げたら……。なんと僕の前に列ができていたんです!
質問や感想を伝えに来てくれた方々の行列です。

これは、自分と同じ分野を追究している人との関係構築に繋がり、学びが深まった経験です。そこでの人脈は、会社を起業した今でも大切なものになっています。
学ぶことは時に他者と繋がる機会を与えてくれるんです。

苦労はあっても、無駄な時間なんかなかった。僕の学び直しは、どれも将来に繋がったプラスの経験でしかありません。

学ぶこと

僕は今でも学生を指導する立場にあります。職業柄、社会のことをよく知っていなければなりません。社会の変化をしっかりキャッチしなければなりません。
若者たちをサポートするのに、世のことを何も知らないと説得力なんて皆無ですよね。
だから、大学院を無事に卒業した今でも学びを習慣化しています。
刃を研ぐように情報収集を欠かしません。新聞を読んだり読書をして情報に触れないと不安で仕方なくなる域にまで来ました笑
定期的に書店に足を運んで、本を買わないと焦ります。

学びは、何も僕のように大学院進学という大きな選択を迫るものだけではありません。資格取得、職業上のスキルアップはもちろんですが、新聞を読む、読書、報道ニュースを見るといったように、”今”を把握することだって立派な学習です。日常で、誰もが気軽に始められる学びでしょう。

色々なことが目まぐるしく変わる現代。
学びを止めると世界に置いて行かれそうです。
でも、社会人になると学ばなくなるというのが現状じゃないでしょうか。

学生の頃は試験があったから勉強をしなければならない。
周囲のみんなが勉強していたから、親に怒られるから、ご褒美がもらえるから、順位を上げたいから……。
学ばなければいけない環境がある程度整っていたんですよね。

でも、学校を卒業したらそうじゃなくなる。周囲のみんなが全員学ぶ意識を持っているわけじゃない。そりゃ職業にもよるとは思いますが、自主的に動かないと、学びからどんどん遠のいていくこともあるでしょう。
そのことに危機感を持ち始めた人もいるかもしれませんね。かつての僕がこのままでいいのかなと悩んだみたいに。

実際に学ぶということが習慣化している僕が思うに、学ぶことそのもの自体を楽しむ必要があると思います。
初めて知った、楽しい!
なるほど、奥が深い!
そして、自分勉強して成長したなと言う実感。

シンプルですけど、それらが学びを継続するのに大事な要素だというのは感じます。

まずは学びを楽しむ一歩です。
元々の知的好奇心とかもあるとは思うんですが、やっぱり環境に影響を受けることも大きいです。
周囲に意識が高い人が多いと、自分も頑張らなきゃ!ってなりませんか?
自分一人だけの世界に閉じこもっていると、興味の範囲も狭くなる。でも他者がいる世界に身を置くと、刺激を受けて視野もきっと広がる。
新たに学びたいことができたり、思わぬ発見があったりするはずです。
学びを面倒くさいものと思わずに楽しむには、とりあえず新たな世界に飛び込んでみること!

学ぶ習慣は誰にとっても必要なもの

やはり僕が今学ぶ上で関心があるのは、若者世代についてです。
学生と接する仕事を長年していて、どうにも彼らと僕らぐらいの年齢に見えない壁が存在しているように感じています。
若者は、こっちの世界を避けて頼ろうとしない。対して、上の世代も「最近の若者はよくわからない」と言い訳をして歩み寄らない。
互いに排他的。恐らく、これが部下と上司のコミュニケーション不足だったり、もっと広い問題でいうと若者の政治離れだとかいうことに繋がるのでしょう。

世の中、それでいいのか?

今度は病室ではなく、職場の椅子に座っていてそんなことを考えています。

若者側はもっと背伸びをして大人の世界に足を踏み出してほしい。
そして大人側だって、若者に目線を合わせて歩み寄らなければいけない。いつまでも過去を引きずらず、目の前の彼らに寄り添う。次世代の若者に経験の機会をどんどん与えることが必要です。
何もしないままでは理解できない世代に歩み寄るためにも、やっぱり学びが少なからず必要だと思うんです。これは職業に関わらず、誰しも、そしてどの世代にも言えること。
今一度、学び直しの機会を手にする、楽しむ、習慣化することの必要性を考えてみるべきかと感じています。



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