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書くことで頭の中のぐるぐるをここに・・・

Noteに書いてみんなに見られる。
みんなに見られるから書くとも考えられる。
そうすれば、もっと頭の中のグルグルが徐々に
一本の線と繋がっていくかもしれない。
また新たなアイディアが自分の中に生まれるかもしれない。
同時に、もしくは、私がこれから書くことと同じような
ことを考えている人もいるかもしれない。
わからないけれど、わからないからこそ
とりあえず書いてみよう・・・

私はなぜかこれはなぜということはないのだ。
きっと無意識?抑圧されている何かがある?

昔から、ある団体、例えば、就職した先とか
アルバイト先とか、所属したスポーツクラブとか
なんでもいいのだ、つまり、自分が行った先の仲間たちを
仲間と呼べない、呼ぼうとも思わない風潮が私にはあるようだ。

同じ目的を持った同時に同じ目標を持っているとも言える
その場所で働く、もしくは時間を費やす
その貴重な時間を共有する場所で出会った人たちのことを
少なくとも尊重・尊敬できないのである。
そんな悲しい性格?
そうなれない気質を持って生まれてきたのかもしれない。

最初はとりあえずいいのだ。
多分、見るもの聞くもの新鮮だから。。。
みんな良い人だなと感じることが多い。
ただ、大体は第一印象・・・その人をパッと見て
ちょっと話して「あ〜、この人はこんな人なんだろうな」
自分と合いそうだと思えば、その後も話す。
自分と合いそうだと思わなければ、その後は・・・

大人になってから徐々に巨大化したように思える。
まだ学生の頃はそんなに深く考えず、気の合った仲間同士と
触れ合っていたように思える。
ただ、その仲間にすら自分のことはあんまり話していなかったようにも
思える。

つまり、人を信用信頼していないのである。
「すぐに人を信用して騙されやすそう」と
以前、誰かから言われたことがある。

そう、矛盾しているかもしれないが、
出会った相手を初めから信用しないということではないのである。
むしろ、信用する。信じて接する。
だが、多分、根っこの部分で、人に対して信頼感を持てないのだろうな・・きっと。これは多分、思い起こせば、幼少期の家族との関わり合いの中で
「人を見たら泥棒と思え」と言われていたところからの
刷り込みかもしれない。

前置きが長くなったが、私は今、大学での講師、カウンセラー、再大学生もしているが、同僚に対して全く尊敬する気持ちがわかない。
好きになれない。どうしても相手の嫌な部分ばかり見えてしまう。
語弊があるかもしれないが、
こんな人が先生なの?こんな人がカウンセラーなの?
学生が相談者さんが気の毒だ・・・とも思ってしまう。

大きなお世話である。


自分が相手に対してこんなふうに思うということは、
我が身の全ては投影と考えると・・・

ということは、私も彼らから
尊敬されていないということであろう。

相手は自分の鏡だから・・・

ということは、つまり
私はこんなふうに相手に対して
敵対心、全く安らぎを持っていない心で
接しているということは
私自身が私を優しくしていないのだろうな。
自分では自分で自分を大切に大切に
接しているつもりでいても
自分に対して自信がないのだろうな。
自分を一番信頼していないのか?!

私は相手の質問、その時の口調より、時々
自分のことを責められているように感じることがある・・・
なぜ、そんな言い方をするのだろうと?
よく思うのだ。もっと相手を尊敬するように
尋ねられるだろうにと・・・思うのだ。

ということは、
私も相手を責めるような
言い方をしているってことなのかな。
そんなつもりはなくとも
相手は私と同じように
私に責められているように感じているのかな?

こんなふうに
色々私の脳内では
日々自分の目の前で起こっていることに対して
結局は自分が自分の言動が変わらないと
私自身が楽に生きられないと
そんな思いが充満しているのです。

人を好きになる。
簡単なようでそうでもないことを
最近改めて感じる日々である。


さて、カウンセリングしてきます。
今日から数日間、学童〜生徒の対応となります。
思春期の彼らの心に寄り添ってきます。


彼らにただ聴きながら寄り添う
ペットのように
まるでペットのようになるのが
私には自分への心の安らぎになるのかもしれません。



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