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『ヘルンとセツ』 田渕久美子

 

ひとり遅れの読書みち     第18号



     ラフカディオ ハーン(小泉八雲)とその妻セツ(節)の生き方と出会いを描く。運命的な出会いをし、不思議な縁で結ばれたふたり。人種や国籍を問わない確かな結びつきを、作者の筆が温かくつづる。
    今でこそ国際結婚は珍しくない。だが西洋人を見るのもまれで、多くの人が恐れてもいた時代。さらに外国人と「夫婦」となっても「夫」が故国へ帰ると関係は解消されてしまうのがほとんど。言わば「妻」といっても「妾」にすぎなかった。
    セツも当初はそうした扱いかと思われていたが、ハーンはそれを否定する。結婚して日本国籍をとる。日本に根をおろすと宣言したのだ。確かにその後ハーンは小泉八雲という名前で日本の文化や伝統あるいは神話を世界に伝え、また数多くの有能な人材を育てあげた。

    作者はヘルンとセツが出会うまでのそれぞれの半生を紹介する。まずヘルンである。
 (当初住み着いた松江の人々はハーンを「ヘルン」と呼んでいた) ギリシャ生まれのイギリス人ハーンは父母に見捨てられ大叔母に育てられていたが、19歳のとき単身アメリカに渡る。作家になる夢を見ながら、地方の小さな新聞社で記事を書いて暮らしていた。記者として次第に実力を認められるが、周囲からは孤立した境遇であると感じていた。
    ギリシャ人の母とギリシャに来ていたアイルランド人の軍医(イギリス軍)との間に生まれたハーン。イギリスに移り住んだものの、夫婦は離婚し、母はギリシャに帰ってしまう。ハーン4歳のこと。しかも別の女性と再婚した父はハーンを置いてインドへ旅立つ。ハーン7歳のとき。親の愛を知らないで育った。またフランスに留学しているとき事故で左目をつぶしてしまう。顔つきが異様になったことも孤立感を強めたようだ。イギリスでの暮らしに見切りをつけて、アメリカ行きの移民船に乗り込んだ。
    記者として認められるようになってきたときにまた大きく周囲に見放されるようなことが起こる。黒人との結婚だ。当時アメリカでは白人と黒人の結婚は違法であり、会社から結婚を止めるよう求められた。ハーンは拒否したことから、会社から解雇され生活の糧を失う。しかもそうしてまで結婚した相手とは一年で破綻した。
    こうした状況の中、ハーンは万国博覧会の日本展で陶器、仏像、漆器などを見て激しく感動する。日本紀行文を書く仕事を手に入れ日本に向かうことになる。39歳のときだ。
    日本に入ると、その美しさや伝統、神話に深く興味を引かれる。松江の中学校の英語教師としての職を得る。そしてセツとの出会が生まれた。
    セツは英語ができるわけではないが、身の回りの世話をする。さらに地元に伝わる様々な説話、中でも怪談に詳しく、それをハーンに語ることでハーンの仕事に大きく貢献することになった。
    セツは「武士の娘」として生まれ、日本の伝統や礼節を大切にするように育てられた。ただいわゆる「サムライ商売」によって家族は貧しい生活をしいられ、セツは縫い物をして生活を支えている。
    洋服の仕立てをする縁から「女中」としてハーンの世話をすることになった。「異人」といって親たちは反対するが、大きな借金を抱える家族は容認するしかなかった。
     セツが西洋人を初めて見たのは、3歳のとき。松江の藩士たちを調練していたフランス人だ。ほとんどの子どもたちが「異人」を怖がる中でセツは親しそうに「異人」の顔に触れたという。そのフランス人からは虫眼鏡をもらい、表面だけではなく真実をよく見るよう心がけるようになったそうだ。
    セツがハーンの家に入って仕事すると、周囲から「妾」になったと嘲笑されることも多かった。いろいろ誤解もあった。しかし日本の伝統を受け継ぎ礼儀正しく生きるセツとハーンは正式に結婚。ハーンは数多くの物語をセツから聞き取り見事な文章に仕上げていった。
    作者はそうした物語のいくつかを作品の中でセツに語らせており、あらためてその話に興味を引かれる仕掛けになっている。
    

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