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『定価のない本』 門井慶喜

<ひとり遅れの読書みち    第26回>

    古書店の街、東京の神田神保町で、第2次大戦直後に起きた事件。ある古書店の店主が、崩落した古書の山に圧し潰されたというのだ。商いのために自らが集めた古書に殺されたかのような最期だった。
    古くから付き合いのあった先輩格の古書店主が、事後の処理を引き受けるが、幾つかの不可解な点が見つかり、ひとり真相の究明に乗り出す。するとそこには戦後政治の闇に潜む陰謀が絡んでいた。犯人捜しのミステリーに魅力されると同時に、神保町の古書店主たちの生き様を垣間見ることができる。

    関東大震災(大正12年)を契機にして、古書の街として発展してきた神保町。だが戦争によって多くの書物が焼失し、店舗の多くも破壊された。人々も食うや食わずの生活を強いられ、本を読むという余裕はない。危機的な状況だった。しかし徐々に社会も落ち着きを取り戻し、古書の需要は回復し始めた。神保町も復興を遂げつつあった。そうした時に古書の山で圧死する事件が起きていた。

    古書店主の琴岡庄司は、地震もないのに本棚の本が多数崩れ落ちていることにまず不審を抱く。犠牲者の妻に話を聞こうとするものの、いつのまにか妻は姿をくらましてしまう。不可解なことが多い。しかもその妻も死んでしまう。自殺を装っているが殺されたに違いないと琴岡は考える。
    琴岡は店舗を持たない。いわゆる通信販売をしていた。もっぱら古典籍を扱っているという設定だ。古典籍とは、明治維新以前の和製本のことで、通常の古書とは異なっている。元貴族などの旧家の蔵に眠っている品々だ。日本の伝統や歴史を伝えるもの。
    一方、当時日本の政治を牛耳っていたのは米国のGHQ。日本が先の戦争を引き起こしたのは日本の伝統や文化、歴史だと見て、これを排除しようとするグループがあった。そして古書店主の死亡事件にこうしたグループが関与していたことを琴岡は突き止める。
    日本の古典籍や芸術品などすべて日本からなくしてしまおうとの計画だ。「歴史を奪う」ことが「真の武装解除」であり、それが「世界の平和」につながるという考えからだ。琴岡はこれに強く反発し反撃を始める。神保町の古書店主たちを巻き込んでの戦い。「日本の古典を全部なくしてしまう」という企ての阻止に全力を尽くすのだった。

(注)『定価のない本』
      東京創元社 2019年9月初版

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