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不登校という言葉がよくない

週末、昼間は上映会を共に行う皆さんと、夜はオンラインの皆さんとともに、これからの教育について話し合う機会がありました。
昼も夜もメンバーは違うのですが、共通項として感じられたのは、現状の学校教育による副産物、弊害といったあたりです。

◯◯教育の乱立から生まれるもの

◯◯教育、なんてものがいくつも乱立しています。
それぞれの◯◯教育一つ一つに価値がないとは思いません。ただ、私自身価値は感じられないものも多々あります。
◯◯教育に没頭し、その道を歩んでいる方はその意義を感じているのでしょう。◯◯教育の専門家が有識者が集められた会議で持論を展開し、その論を棄却することができないので、またいくつも◯◯教育が生まれてくるのでしょう。
ただその◯◯教育を子どもたちに伝えるためには、教師自身が◯◯教育に意義を感じていることが重要です。
ただ、現場の教員は、トイレに行く間も惜しんで日々の業務をこなしています。◯◯教育一つ一つの価値を実感する前に、お上からの「やりましょうね。」というお達しに従ってアリバイ工作のように子どもたち伝えます。

教員も??なのですから、子どもたちも??です。
多数の子どもは??でも、クラスに数十人の子どもたちがいれば、教師の意図を組んでくれる数人はそれっぽい言葉を発してくれたり、書いたりしてくれます。
お上には、「やりました。子どもはこのように考えました」と伝えます。
大多数にはそれほどの価値は伝わっていないのですが。
お上はそれ以上咎めません。

植物の成長に例えると、


現状の学校教育は、肥料と水の与えすぎ、剪定しすぎだと思います。
水やいろんな肥料を土に染み込ますためには、前にあげた水や肥料が土の表面に見えなくなったら、すぐに次の水や肥料を与えます。次から次へと水や肥料が運ばれてくるので、表面の水が乾いたら?多少ぬかるんでいても大体見えなくなったら、すぐに次を与えます。

その肥料を考案した側、与える側は「植物にとって必要だと!」真剣に思っています。

しかし、植物が根から吸収できる水、肥料には限りがあります。
そんな状況でも、強く育つ植物もあるでしょう。
ただ一部の植物は根から水や養分を吸収できずに根腐れを起こしてしまうかもしれません。

根腐れを起こした植物は葉が黄ばんできます。元気がありません。
教員は「これは大変だ!」と慌てて、また、水や肥料を与えたり、枝を切り落としたり、終いには、元気に見せるように葉に緑のペンキを塗り出すかもしれません。
(話を無理に聞かせたり、宿題をたくさん出したり、態度が悪ければ怒ったり・・・)

「不登校」という言葉は、学校目線からの言葉だと感じます。
ただ、上記のようなプロセスで根腐れしたから、良くない植物なのでしょうか?
むしろ正常な反応ではないでしょうか。

植物には葉緑体があります。適度な水、二酸化炭素が供給され、光が当たれば光合成を行い、成長します。

人間には葉緑体はありませんが、自ら興味をもつこと、取り組もうとする力は備わっています。

植物にはそれぞれが育つのに最適な空間があります。
それぞれに応じた環境を自身で選択できればいいと思います。
そして、そのような多様な選択を互いに認め合い、尊重できる社会がいいなぁと思います。

根腐れを起こす前に多様な選択を

学校が、テクノロジーで制御された水耕栽培の野菜工場ではなく、多用な生物が共生する里山であってほしいです。
もちろん畑や水耕栽培を選んでも良いです。
ただ、それだと育たないわけではありません。
大きな変化も訪れるでしょうが、それを待たずしても、不登校になる前に、気軽に学校以外の選択ができるといいなぁと感じます。

学校に行かなくてはいけない呪縛に縛られて不登校になってからでは、エネルギーが無くなっています。
エネルギーを奪っているのは、学校のカリキュラム、在り方だと感じます。小学校入学時から不登校の子はほとんどいませんから。
どこかで生きづらさを感じドロップアウトしてしまうのです。

ホームスクーリング、フリースクール、広域通信制を含めていろんな居場所、学び方を簡単に選べることができる社会であってほしいです。
大人もいろんな考え方、生き方を認め合っていきたいものですね。

さて、「不登校」の代わりになる言葉無いかな…

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