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俺の天才エピソードなど

試験とかレポートとか大きめのタスク抱えた時って、そのために時間空けるんやけど結局やる気出んくてYoutubeの新チャンネルにハマってそればっかり見続けるのってありますよね。

かくいう僕もゼミの準備がヤバくて、時間取ったんですけど”雷獣”チャンネルにハマってしまいまして、天才エピソードを語る!みたいなのが面白くて懐かしくて、ずっと見てたら気づいたら朝になってました。深夜テンションでおかしくなった僕も、これまでを振り返ってみたいなと思いました。

ただの自慢話とエピソードトークなので、不快に思ったらすぐに閉じてね!
あとあやふやな記憶が多いので結構間違ってるかも!

爆誕!

2002年3月29日、高知県で爆誕!
超早生まれです。4月生まれの人とほぼ1年の差があるって話、うざがられるくらいには擦ってきました。本来の出産日はもっと後の予定だったけど母親と血液が違い危ないとの事で確か2600gくらいで帝王切開で出てきました!

家族構成

後に出てくるのでここで家族構成と簡単な経歴を載せます。

  •  灘 → 東大理Ⅱ → 応用生命工学専攻4年
    好きなもの 卓球,バスケ,料理,ポーカー,スマブラ,確定申告,新NISA
    嫌いなもの 勉強,我慢,インボイス

  •  大阪育ち 灘 → 東大工学部 → 国立大学教授 
    競馬好き、丸くなってきたが、僕が小さい頃はパワフルだった

  •  名古屋育ち 明治大学 → 区役所職員 → 主婦
    広い知識と教養あり、3兄弟をフルで育て上げた天才、体力がすごい

  •  6個上 灘 → 東大文Ⅰ → 弁護士
    天才。模擬国連日本代表 俳句甲子園個人優秀賞
    TOEIC満点らしい(ほんま?) メンタルは弱め

  •  3個上 付属池田 → 神戸大医 → 研修医
    声がでかい。よく喧嘩もするし、この前二人で旅行にも行った
    なまはげ伝道師

<〜小学校入学>

高知県で生まれた僕は1歳のとき京都にお引越し。
3番めの子供ということもあり特に問題なくすくすく育った僕は3歳で幼稚園に入学した。3歳にもなれば普通は"お腹すいた"や"抱っこして"くらいは話せるものだが僕は”あ〜”とか"う〜"くらいしか話せなかったらしく、ある程度意思疎通出来るようになったのは4歳なんだって。背の順もずっと前だったし乳歯が全部生え変わったの中3とかだったし、何かと発育が遅かったのかな?言葉は話せなくても絵本の時間になったら先生が言う前に予測して椅子用意して座って待ってたらしいけどね。

スパルタ英才教育

幼稚園の間に、父によるスパルタ指導があった。
中でも"算数ドライブ"と"九九お風呂"は凄い。
"算数ドライブ"は車に乗ってる時、「今時速60kmで走ってるけど10kmの道走るのに何分掛かる?」みたいな感じで聞いてきて、分からなくて黙ってるとどんどん車内の雰囲気が悪くなっていく。あれは恐怖だった、たぶんネプリーグのファイブボンバーとかトロッコアドベンチャーなんかより怖い。
"九九お風呂"はその名の通り、父と一緒に湯船に浸かって、九九が言えるまで出られないというものだ。少しでも詰まったら最初からやり直し。なかなかクリアできないしのぼせるしで号泣すると母が助けに来てその日は終わるという形だった。わりとやり過ぎだが、そのおかげで東大これたなら、まあいいか。

<〜小学校3年生>

多少のスパルタはあったが、ともあれ分数の四則演算くらいができる状態で小学校に入学した僕は小学校では出来がいいと褒められていた。通知表ではいつも"整理整頓ができる"の項目だけ"がんばろう"になっていて母に怒られたものだ。1年生から3年生まで空手教室と将棋教室に通っていた。どっちもそこそこに、ポケモンとレゴをこよなく愛する、声が高くて主張強めの小学生だった。

初めての塾

小学校3年生で四条の浜学園(当時関西一の塾、灘に毎年100人弱(※忍者込み))に通いはじめる。浜学園では毎月公開テストという園生全員が受ける実力テストがあり、小3のころは200位だった。特に国語が絶望的であり、国語の復習テストはいつも母に見つからないように隠すのであった。当時兄は灘生だが、兄が小3のころはもっと上の成績だったそうなので僕は灘は無理そうだな、と親は思ってたんだって。

自慢話①

  • 浜学園の最高レベル特訓算数というハイレベルな授業で、テスト30分のうち15分遅れで来て結果僕が1位で先生に驚かれた

  • 算数オリンピックKidsBeeで予選通過、東京本戦で銅メダル

  • てこの原理とか教えられるよりも前に小3でモーメントの概念を発見した

  • 小1で校長先生の趣味で校長室の前に置いていた数独を制覇した

<〜小学校6年生>

俺より賢い…だと…

小4に上がる際に諸事情により大阪に引っ越した。それと同時に浜学園も西宮本部(毎年灘20人くらい?)に通うようになり、レベルの高い友達が増えた。西宮校には成績が良い順にV1,V2,S1,S2,H1,H2,,,といったようなクラス分けがあり各クラス40人弱なのだがV1の中でも各教科の上位6人だけはV0という少人数のクラスに行けた。僕は算数と理科は得意でV0に行けたがその中では下の方だった。計算が早すぎる'五◯◯'くんとか、僕に性知識を詰め込んでくれた'猿◯'くんとかも凄かったけど、全教科V0で公開テストでもいつもTOP3に入っていたYくんは衝撃的だった。偏食家で食事休憩のときにはいつも母の差し入れの中華を食べていた彼とも仲良くなり一緒に阪急電車で帰る日々もあった。
しかし、僕に一番衝撃を与えたのは彼ではなく名古屋からの刺客、Hくんだった。浜学園の大イベントである灘中オープンでは、全国の灘志望の浜学園生が西宮に集まり模試を行う。そこで僕の席のちょうど後ろにいたHくんは試験前簡単な計算ドリルをとんでもなく汚い字で解いていた。僕は"こんな簡単な計算やってるようじゃだめだな"と思っていたし、休み時間に寝ているのを見て何しに来たんだこいつと思った。テスト終了後講義があった後、灘中オープンの合格者の発表、TOP10の表彰、不合格への激励がある。僕は確か8位でドヤ顔で起立したのだが、圧倒的成績で1位を取ったHくんの名前が呼ばれると立ち上がったのはなんと真後ろのあの子ではないか!飛び級をしていたので6年生になるまで存在を知らなかった彼は、それから浜学園内の名声をほしいままにするのであった。

自慢話②

  • 公開テストで上位10人(10傑)にも何回か入ったし、1回だけ1位をとったことがある

  • 入試直前の東大寺プレ入試で Hくんを2位に抑えて1位をとった

<入試本番>

精神年齢が低く絶望的に国語ができなかったものの、灘中入試は無事突破できた。滑り止めの東大寺受験から帰る途中に、灘の合否を体育館に見に行ってくれた兄(6個上なのでちょうど灘にセンターの自己採点しにきてた)からの連絡で合格を知った。当然Hくんは首席だったし、仲の良かったYくんも1桁順位だった。僕は合格者平均よりは上、おそらく40番くらいだった様に思う。
暗記や努力が苦手で精神年齢も低くて社会と国語ができない僕にとっては、灘中入試が算数理科重めで本当に良かった。

<灘校生活>

中学生

小学校でずっと学級委員をやるくらい主張強めで、精神年齢も低く、さらに声変わりもしてない身長134cmの僕でも、クラスでそんなに浮かずに済んだことから灘中学のレベルの高さがうかがえる。
中1の最初の頃は僕が自力でテスト勉強できないことを見抜いた母が一緒に勉強してくれた。そのおかげで評定平均9前後は取れていたが、3DSを手に入れ反抗期にも入った無敵の僕はどんどん成績が下がり中3の頃にはかなり下の方だった。アホだったので天才エピソードは無いが、末っ子ということもあって後輩力が高い僕は3つ上の部活の先輩と仲良くなりすぎて(一緒に登下校)貞操が危なかった話をしようかな。やっぱやめた。

高校生

高校生になり身長も伸びて、精神年齢もやっとみんなに追いついてきたが、それでも勉強は出来ず成績が悪かった。見かねた母が僕を鉄緑会にぶちこんだ結果、数学だけ伸びて英語はそのまま、という形だった。高校生活としては、卓球部部長、マジカル同好会に放課後バスケ部と非常に楽しくすごせてよかった。

<受験勉強>

まず志望校選択だ。兄が文系、姉が医学部、父が理科Ⅰ類なので、被って劣等感を感じたくない僕はバランスをとって東大理科Ⅱ類にした。各科目の勉強状況について書いていこう。

数学

  • 鉄緑会で一番上のSAクラスに入れた

  • 宿題もやらなかったし、サボりすぎてT先生からよく電話かかってきた

  • クラス替えの為の校内模試の前は、解かずに答えだけ読む勉強法

英語

  • 英語が嫌いすぎて全くといっていいほど勉強できなかった

  • ずっと一番下のクラス、入試本番も逆に時間めっちゃ余った

理科

  • 化学は高進という塾の人気の先生のおかげで高2の1~3月の集中授業で全ての勉強を終わらせた。重要問題集も新演習もやってないし過去問も2年?くらいしかできなかった。普通に演習不足で本番よくなかったけどね

  • 物理も問題集やってないけど高3で高進の授業聞いてたおかげで最低限は確保できた

社会・国語

僕が受験勉強でまともにやった参考書は全教科を通じて古文単語と地理の参考書の2つだけ。実際一番自主的に勉強したのは地理だって言える。地理楽しいよね。

数学と化学が出来たおかげで高3の夏模試で東大2次のボーダーの240点くらいあったことと、勉強が嫌いすぎることが重なって、高3の1日平均勉強時間はおそらく1時間ほどであった。よくある1日のルーティンとしては朝学校をサボってスタバなどで遊ぶ、3限か午後から学校行って放課後バスケして東進で寝てゲームして帰る、といったものだった。リアルに人生で一番楽しかった。センターと二次の間にはポーカーにハマってしまったが、楽しかったのでよし。

結果

国語と英語は全然出来ないので当然センターも点は取れない。
1日目 国語156 英語158 地理88
2日目 1A 100 2B 92 物理100 化学100
計794/900
1日目の後自己採点で98点落としてた時は流石に焦ったけどなんとか2日目8点で済んでよかった。地理が一番悔しい。
二次試験は1日目の後友達と数学の答え合わせするというキモいことをしたが5完してそうだったので安心、ぐっすり眠れた。

得点開示

結果としては化学だけはうまく行かなかったが数学も英語も上ぶれたおかげで合格、+60点は上振れです。

受験舐めてるエピソードまとめ

  • 高3平均勉強時間1時間程度(バスケは倍以上した)

  • 英語ほぼノー勉

  • 学校と塾サボりすぎ

  • 東大模試サボってポケモンカードの大会行った(準優勝)

  • 理科は問題集1冊もやってない

  • 過去問は2,3年くらい

  • 合格発表の時、寝てた

あとがき

東大の理Ⅰ、理Ⅱは苦手科目があっても得意科目で補って合計5割とればいいので僕みたいな才能だけ、努力出来ない人でも受かることがある。逆に言えば医学部は合計7割以上取らなければいけないことも多いので、僕なんかでは受からないだろう。素直にすごいと思う。暇そうな文系大学生を見て嫉妬することはあるが、圧倒的暗記量の歴史は僕には到底出来ないし論述は暗記だけでは書けないので文系の方々も凄いんだな、と思える。
僕みたいな努力出来ないけど受かっちゃったみたいな人は灘にたくさんいて、総じて大学で単位取得に苦労する。僕が前期課程無事終えることが出来たのはコロナによるオンライン授業のおかげだし、そうでなければ十中八九留年してただろう。
僕は今は4年生で研究室にも配属され遺伝子の研究をしてる。院試はテストのみで、ほぼ生物と英語だけだったから流石にキツかったけどなんとか受かってよかった。
いとこ含め兄弟全員社会に出て、僕だけ学生で焦りを感じてるし、医師免許も弁護士資格も無い僕は家族内でキャラ被りしたくないのでコンサルとかM&Aとか行きたいなって思ってるけど就活出来る気しない、、誰か助けて、、

国語力がない読みにくい文章だったと思うけど読んでくれてありがとう!これまでの自分を振り返ることが出来てよかったです!みなさんはどんな人生を歩んできましたか?
みなさんのエピソードや感想、ここ間違ってるよ!など是非教えてください!
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「こんなの自慢にならんやろ!」って思う君も人生振り返りノート書こうね。


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