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『勝手にしやがれ』:1960、フランス

 ミシェルはマルセイユで車を盗み、独り言を喋りながらパリヘ向かった。女性2人組がヒッチハイクしていたが、どちらもブスなので通過した。車内に拳銃を見つけたミシェルは、発砲する真似をした。途中で車の調子が悪くなったのでミシェルが直していると、白バイ警官がやって来た。ミシェルは警官を射殺し、車を捨てて逃亡した。
 パリに戻った彼はホテルの鍵を盗み、パトリシアの部屋に侵入して物色した。彼はリリアンの部屋へ行き、朝食に付き合うよう持ち掛けた。するとリリアンは「テレビ局に行く」と言い、今はスクリプターの仕事をしていることを告げた。

 ミシェルは新聞の売り子をしているパトリシアの元へ行き、一緒にローマへ行こうと誘う。「やることが多いから、しばらくパリにいる」と彼は言い、「金を貸した奴を捜す。君とも会えるし」と口にする。
 「君と別れてから2人の女と寝たがピンと来ない。だからローマへ」とミシェルが語ると、パトリシアは「行けないわ。大学に入らないと、親が仕送りを中断する」と告げる。ミシェルは「俺が出す」と話し、「たった3日の仲でしょ」と言われると「5日だろ」と修正した。

 ミシェルは夜に会う約束を交わし、パトリシアと別れる。新聞を開いた彼は、白バイ警官を殺した犯人の身許が判明したという記事を見た。旅行会社へ赴いたミシェルはトルマチョフと会い、「金を取りに来た」と言う。封筒を受け取った彼は、「銀行渡しだ」と悔しがった。
 トルマチョフが「誰かに売ればいい。俺は競馬で一文無しだ」と話すと、ミシェルはベルッチの電話番号を尋ねた。ミシェルが電話すると、ベルッチは留守だった。ミシェルは「他を当たるよ」と言い、旅行会社を去った。

 ヴィタル刑事は部下を伴って旅行会社を訪れ、ミシェルについてトルマチョフに質問する。女性職員の言葉を聞いたヴィタルは、先程までミシェルが来ていたことを知った。ミシェルはパトリシアと合流し、「電話して来る」と言って席を外す。彼はトイレで男を襲い、現金を奪った。
 パトリシアが「会見に連れて行ってくれる記者と会う予定があった」と言い出したので、ミシェルは車で送ると申し出た。「その男とは会うな」とミシェルは反対するが、パトリシアは彼と別れて待ち合わせのカフェへ向かった。

 パトリシアは記者と会い、「記事は書かせてくれるの?」と確認する。記者は彼女に、「明日、空港で開かれるパルヴュレスコの会見記を書いてもらう。昼過ぎに会社へ来てくれ」と話す。2人がキスをして車で去る様子を、ミシェルはイライラしながら密かに見ていた。
 翌日、パトリシアがホテルに戻ると、ミシェルが勝手に鍵を使って侵入していた。「奴を断れただろ」と彼が口を尖らせると、パトリシアは「記事を書かせてくれるのよ。大切なことだわ」と反論した。

 ミシェルが「俺とローマに行く方が大切だろ」と言うと、パトリシアは「何故ここに来たの?」と質問する。ミシェルが「また君と寝たいからだ。愛してるてことさ」と話すと、彼女は「私は愛してるか分からない」と口にする。
 「なぜ寝たくないんだ?」という問い掛けに、パトリシアは「貴方に惹かれる理由を自分で知りたいから」と答えた。不意に彼女は、「貴方の子供が出来た。木曜の午後に詳しく検査する予定よ」と言い出した。

 ミシェルはベルッチに電話を掛けるが、また不在なので苛立った。パトリシアが新聞社に立ち寄ってから会見に行くと言うので、ミシェルは送って行くと申し出た。彼は車を盗み、何も知らないパトリシアを乗せた。新聞を購入したミシェルは、自分の顔写真が殺人犯として掲載されていることを知った。
 彼と別れたパトリシアは、パルヴュレスコの会見場に赴いて質問を投げ掛けた。ミシェルは中古車販売業者のマンサールを訪ね、盗んだ車を売ろうとする。マンサールは買い取りを承諾するが、ミシェルについて報じた新聞記事を見せて「来週まで金は払えない」と告げた。

 ミシェルはベルッチに電話を掛け、もう帰ったが『エスカル』で待つと言っていたことを彼の友人から聞かされる。電話を掛けている間にマンサールが車のコードを外したので、ミシェルは彼を殴り付けて金を奪った。ミシェルはパトリシアと共に、タクシーに乗って移動した。
 パトリシアがミシェルと別れて新聞社へ行くと、ヴィタルが来て新聞を見せた。ミシェルの居場所を質問されたパトリシアが「住居は知らない」と言うと、彼は「また会ったら連絡してくれ」と告げて去った。パトリシアが新聞社を出ると刑事が尾行し、それをミシェルが尾行した。パトリシアは刑事を撒き、ミシェルと合流した…。

 監督はジャン=リュック・ゴダール、原案はフランソワ・トリュフォー、脚本はジャン=リュック・ゴダール、製作はジョルジュ・ドゥ・ボールガール、撮影はラウール・クタール、編集はセシール・デキュジス、音楽はマルシャル・ソラル。

 出演はジーン・セバーグ、ジャン=ポール・ベルモンド、ダニエル・ブーランジェ、アンリ=ジャック・ユエ、ロジェ・アナン、ヴァン・ドード、クロード・マンサール、リリアン・ダヴィッド、ミシェル・ファブレ、ジャン=ピエール・メルヴィル、ジャン=リュック・ゴダール、リシャール・バルデュッシ、アンドレ・S・ラバルテ、フランソワ・モレイユ他。

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 ジャン=リュック・ゴダール監督の長編デビュー作で、ヌーヴェルヴァーグを代表する1作とされている。ベルリン国際映画祭の銀熊賞(監督賞)を受賞した。
 パトリシアをジーン・セバーグ、ミシェルをジャン=ポール・ベルモンド、ヴィタルをダニエル・ブーランジェ、ベルッチをアンリ=ジャック・ユエ、カールをロジェ・アナン、マンサールをクロード・マンサール、リリアンをリリアン・ダヴィッド、パルヴュレスコを『恐るべき子供たち』や『賭博師ボブ』のジャン=ピエール・メルヴィル監督が演じている。

 表面的な部分だけを見ると、これはデタラメの極致と言ってもいいような作品だ。映画の文法を完全に無視しており、その場その場で演出がコロコロと変わって全く持続しない。幼い子供がおもちゃ箱を引っ繰り返したかのように、メチャクチャな状態になっている。
 失敗したバージョンをそのまま使っているのかと思うぐらい、編集が粗い。「ジャンプ・カットを積極的に使っている」と言えば聞こえはいいが、もはやジャンプしすぎてマトモにカットが繋がっていないトコも少なくない。

 盗んだ車を運転するシーンで、ミシェルは急にカメラに向かって話し掛ける。では、そういう演出を頻繁に挿入するのかと思ったら、そこだけで終わる。白バイ警官を射殺して逃亡するシーンは、ジャンプしすぎて酷くなっている箇所の1つだ。
 まるで戦前の欠損したフィルムを無理に繋ぎ合わせたかのような、ツギハギ感覚満載のシーンになっている。ミシェルがリリアンと話すシーンではコマ落としを使っているが、その技法を持ち込む必要性は全く感じない。

 ミシェルがハンフリー・ボガードのポスターを見た直後、シーンの切り替えにアイリス・アウト&インを使っている。しかし、それ以降は使われないし、そこだけ使う必然性も乏しい。
 ものすごく好意的に解釈するなら「ハンフリー・ボガードを意識している」ってことになるが、でも「ボギーの映画だからこそのアイリス・アウト&イン」なんて微塵も思わない。途中で面倒になったのか、飽きてしまったのか、前半で持ち込まれていた映画技法は、後半に入るとすっかり消えている。

 ジャン=リュック・ゴダールは『カイエ・デュ・シネマ』で記事を執筆し、数本の短編映画を撮った上で本作品を手掛けている。なので、映画について何も知らないズブの素人だったわけではない。「通常の映画なら、こういう風にストーリーテリングし、こういう風に演出し、こういう風に編集する」ってことは、ちゃんと分かっていたはずだ。
 つまり彼は、何もかも分かった上で、あえてデタラメをやっているってことだ。文法を破壊することで、今までに無い映画を作ろうとしたのだろう。

 「ジャン=リュック・ゴダールの作品は難解」と言われることも多いが、この映画に関しては、シンプルそのものだ。内容をザックリ言うならば、「身勝手でガキンチョな男が惚れた女とセックスしたがるが、あっさり振られる」という話である。
 台詞の分量はかなり多くて、それはオシャレっぽく思えるかもしれないし、意味ありげに聞こえるかもしれない。でもミシェルの台詞に関しては、「またパトリシアとセックスしたい」という一言に集約される。つまり、ものすごく幼稚で単純なのだ。

 様々な技法の内、ジャンプ・カットだけは、後半に入ってもタクシー移動のシーンなどで何度か使われている。ただし、それが絶大な効果をもたらしているのか、それを使わなきゃ出来ないような何かがあるのかと言うと、そんな物は無い。
 この映画で使われている演出技法の全ては、何かを達成するための手段ではなく、それ自体が目的だ。それによって効果が出ようが出まいが、そんなことは二の次だ。偶然にも効果が出ればラッキーだが、無意味な物になっても一向に構わないのだ。

 終盤、パトリシアはミシェルが犯人だと分かっても尾行の刑事を撒いて合流し、一緒に過ごす。まるで彼を愛し、何もかも受け入れたかのようにも見える。しかし、彼女は思案した結果、ヴィタルにミシェルの居場所を教える。そのことをミシェルに話すものの、彼の立場からすれば裏切り行為とも言える。
 でもパトリシアが酷い女だとは全く思わないし、最後にミシェルが死んでも同情心は湧かない。ただ冷めた気持ちにさせられるだけだ。そもそも、映画文法を無視した演出技法を完全に排除してしまうと、ものすごく凡庸なラブストーリーだけが残されるのだ。デタラメな演出に隠れているけど、実はストーリーだけを見た場合、ハッキリ言って退屈で薄っぺらい。

 ザックリ言うと、これってヘタウマ漫画みたいなモノだよね。だから、映画批評家やインテリ層からはバカみたいに高く評価されているけど、「どこがいいのかサッパリ分からない」とか「ちっとも面白くない」と感じる人が同じぐらい存在しても、それは何の不思議も無いわけで。
 どっちが正しいか、どっちが間違っているかという基準で判断するべき問題ではない。単純に、趣味嗜好の問題だ。分かりやすい例えを挙げるなら、漫☆画太郎の漫画みたいなモンかな。あの人も、ホントは綺麗な絵で普通の漫画も描けるけど、狙ってクセの強すぎる画風&キテレツな作風にしているわけで。

(観賞日:2019年6月9日)

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