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『ラスト、コーション』:2007、中国&アメリカ

 1942年秋、日本占領下の上海。汪精衛の南京政府高官たちが住む地域。マイ夫人はイー夫人の邸宅で、麻雀を打っている。夫人たちは麻雀を楽しみながら、世間話に花を咲かせる。イー夫人はマイ夫人を気に入っており、「また上海に来たらウチへ泊まって」と誘う。
 彼女の夫であるイーが帰宅し、マイ夫人たちに挨拶する。マイ夫人は3時からの用事を思い出したと告げ、途中で抜ける。カフェに入った彼女は、仲間のクァン・ユイミンたちに電話を掛ける。クァンが「開始だ」と告げると、仲間たちは銃を用意した。

 4年前、ワン・チアチーは戦争の影響で故郷を離れ、親友のライ・シューチンと共に香港の大学へ通い始めた。ある日、クァンが顔馴染みのライに声をかけ、演劇部を作るので参加してほしいと持ち掛けた。「愛国劇で抗日のための募金をする」とクァンは言い、チアチーにも参加を求めた。
 チアチーが演技経験の無いことを話すと、彼は「関係ない。抗日のために協力すべきだ」と訴えた。ライはチアチーに、「クァンは兄が抗日戦で死亡し、家族が入隊を許さないから余計に」と語った。さらに彼女は、クァンへの恋心も口にした。

 演劇部に参加したチアチーが初めての芝居に緊張していると、クァンが声を掛けて元気付けた。チアチーが主演女優を務めた芝居は、大勢の観客が声を揃えて「中国を滅ぼすな」と訴える大成功に終わった。チアチーやクァンたちは、部員のホァン、リャン、オウヤンたちと祝杯を挙げた。
 チアチーはクァンへの恋心を抱き、そのことにライは気付いた。後日、クァンは仲間たちに、兄の友人であるツァオが対日協力者の下で働いていることを告げる。それは汪精衛の特務機関担当のイーであり、香港に潜伏中だと彼は語った。

 クァンは仲間たちに、「芝居をするより裏切り者を1人殺す方が有意義だ。じき夏休みが始まる。正体を偽り、イーに近付こう」と話す。殺しの覚悟を決めるよう彼が促すと、全員が賛同した。クァンはツァオに酒を御馳走して接待し、仕事を紹介してほしいと頼んだ。
 リャンは父親に金を出してもらい、西洋人の邸宅を借りた。オウヤンが貿易商のマイに、チアチーが夫人に成り済まし、イーに近付く作戦を彼らは立てた。マイ夫人はクァンの親戚という設定で、リャンが夫婦の運転手役を演じることになった。

 チアチーたちはイーの邸宅へ行き、ツァオに紹介してもらう。マイ夫人は香港に詳しいという設定で、イー夫人の案内役を務めることになった。イーは軽く挨拶しただけで、すぐに立ち去った。自宅の警備は厳重で狙うのが難しいと感じたクァンたちは、しばらく様子を見ることにした。
 チアチーはイー夫人に誘われ、邸宅で麻雀に興じた。しかし自宅でもイーは少し顔を見せただけで、すぐに立ち去った。金だけが消えていくことにリャンが苛立つと、クァンは「イーに近付けたのに、諦めるのか」と熱く訴えた。

 ある雨の日、麻雀仲間のリャン夫人が来なかったため、イー夫人は夫に参加するよう持ち掛けた。イーが初めて麻雀に参加し、チアチーは彼の様子を観察する。イー夫人から良い仕立て屋を知らないかと問われたチアチーは、馴染み客がいるので作らせると告げる。
 後日、夫人から電話があり、チアチーはイーを連れて仕立て屋へ行く。イーはスーツを仕立ててもらって警備の男を帰らせた後、チアチーと近くのレストランへ出掛けて夕食を取った。

 夕食の後、イーはチアチーを車で家まで送り届けた。イーが来たのを知ったクァンたちは慌てて電気を消し、銃を構えて待ち受けた。イーが玄関まで来ると、チアチーは「上がってお茶でもどうぞ」と誘う。しかしイーは遠慮し、車で去った。
 チアチーは仲間たちに、「下心があるから玄関まで送ったのよ。また電話があったら彼は本気よ。そして私は彼の愛人になる」と冷静な口調で言う。「どうすればいい?」という彼女の問い掛けに対し、男たちは黙り込んでバルコニーへ出た。

 ライはチアチーに、「女性経験があるのはリャンだけよ」と教える。処女だったチアチーは、リャンとセックスを重ねた。チアチーはイーからの電話を待つが、まるで連絡は無かった。チアチーは自分から電話を掛けるが、イーは昇進して上海へ戻ってしまった。
 計画は中止となり、チアチーたちは借りていた家を片付け始めた。そこへクァンに不審を抱いていたツァオが現れ、口止め料を要求して拳銃を構えた。男たちはツァオを捕まえ、クァンがナイフで刺し殺した。チアチーは家を飛び出し、そのまま姿を消した。

 3年後、上海。チアチーは叔母の家で居候し、父の家を売る条件で勉強を続けさせてもらっていた。彼女は許可証が出て復学し、日本語も我慢して学んでいた。ライは映画館でチアチーを目撃するが、声は掛けなかった。
 チアチーの前にクァンが現れ、「香港で僕たちの行動は監視されていた。あの晩、君が去った後で彼らが現れ、後始末して僕たちを逃がした」と話す。「彼らって誰?」とチアチーが尋ねると、彼は「国民党の一派だ。上海市長の暗殺や外相の暗殺も彼らの仕業だ」と答えた。

 クァンはチアチーに「任務を帯びてる。あの件は終わっていない。イーは今、特務機関の長だ。日本軍の手先として、抗日を呼び掛ける知識人を殺してる」と話し、イーに近付くための協力を依頼した。彼はチアチーを、組織のリーダーであるウーの元へ連れて行く。
 ウーはチアチーに毒薬を渡し、身分がバレたら飲むよう命じた。さらに彼は、作成したマイ夫人の経歴を全て記憶するよう指示した。チアチーは作戦に入る直前、父への手紙を出すようウーに頼む。ウーは「任務が終わったら英国へ」と約束するが、チアチーが立ち去るとクァンの眼前で手紙を燃やした。

 チアチーはホテルで偶然を装ってイー夫人と再会し、邸宅で住まわせてもらうことになった。チアチーは家の見取り図をクァンに渡し、入手した情報を伝えた。ある日、チアチーが映画館へ出掛けると知ったイーは運転手を差し向け、送り届けるよう指示した。
 運転手が案内したのは映画館ではなく、あるアパートだった。チアチーが指定された部屋に入ると、イーが待ち受けていた。イーはチアチーを荒々しく犯し、部屋を去った。そんな目に遭ってもチアチーはイーとの情交を重ね、クァンやウーに情報を提供する…。

 監督はアン・リー、脚本はワン・フイリン&ジェームズ・シェイマス、原作はチャン・アイリン、製作はビル・コン&アン・リー&ジェームズ・シェイマス、製作総指揮はソン・ダイ&レン・チョンルン&ダーレン・ショウ、共同製作総指揮はワン・ホイリン&スティーヴン・ラム、共同製作はドリス・ツェー&デヴィッド・リー、製作協力はロイド・チャオ、撮影はロドリゴ・プリエト、編集はティム・スクワイアズ、美術&衣装はパン・ライ、音楽はアレクサンドル・デスプラ。

 出演はトニー・レオン、タン・ウェイ、ジョアン・チェン、ワン・リーホン、アヌパム・カー、トゥオ・ツォンファ、チュー・チーイン、カオ・インシュアン、コー・ユールン、ジョンソン・ユエン、チン・カーロッ、スー・ヤン、ホー・ツァイフェイ、ソン・ルーフイ、ファン・クァンヤオ、リサ・ルー、リウ・ジエ、ユー・ヤ、ワン・リン、フア・ドン、ワン・カン、ソン・チャンフア、竹下明子、藤木勇人、瀬戸摩純、小山典子、シャヤム・パサク他。

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 アイリーン・チャンの短篇小説『ラスト、コーション 色・戒』を基にした作品。監督は『ハルク』『ブロークバック・マウンテン』のアン・リー。脚本は『グリーン・デスティニー』のワン・フイリン&ジェームズ・シェイマス。ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞と金のオゼッラ賞(撮影賞)を受賞した。
 イーをトニー・レオン、チアチーをタン・ウェイ、イー夫人をジョアン・チェン、クァンをワン・リーホン、ウーをトゥオ・ツォンファ、ライをチュー・チーインが演じている。タン・ウェイはオーディションで約1万人の中から選ばれ、この作品で映画デビューした。日本からも竹下明子や藤木勇人(志ぃさー)、瀬戸摩純、小山典子が参加している。

 クァンはチアチーとライを演劇部に誘う時、「前線の兵士は命懸けなのに、香港の連中は呑気だ。僕が目を覚まさせる」と熱く語る。その情熱に、チアチーは心を惹かれる。そして芝居の成功によって、チアチーは充実感や高揚感を抱く。抗日運動に対して、遣り甲斐を感じるようになる。
 彼女は戦争のせいで故郷を離れざるを得なくなった上、父や弟のいる英国へ渡ることは出来なくなったという不満もくすぶる状況だった。そんな中で、クァンたちとの抗日運動は、ようやく見えた人生の明るい光のような物だった。また、仲間から素晴らしい女優として絶賛されたことも、気持ちを高ぶらせただろう。

 とは言え、やはりクァンへの愛情が、チアチーを突き動かす最も強い動機になったことは間違いない。だから彼女はクァンがイーの殺害を口にした時、全く迷わずに賛同している。これは他の面々も同様なのだが、その気持ちは少し違う。クァンも含めた他の面々は、「抗日」の熱狂に浮かれているのだ。芝居で感じた高揚感を引きずっており、人殺しに対するリアルな感覚を失っているのだ。
 だが、何しろ熱病に侵されているだけなので、目的に見合った能力も無ければ綿密な計画や準備も乏しい。だから金と時間だけを浪費する日々が続き、クァンも「見通しが甘かった」と認めることになる。

 イーはチアチーと会った時から、ずっと疑いを抱いている。それは彼女だけでなく、周囲の全員に対する彼のスタンスだ。特務機関の人間としては、どこにスパイやレジスタンスが潜んでいるかを常に警戒する必要がある。だからチアチーに対しても、出来る限り距離を取っている。
 そんな彼は仕立て屋へ出掛けた時、店主に「マイ夫人はいつもここで服を?」と質問する。もちろん、それは彼女を疑っているからこその質問だ。店主は「ご愛顧頂いています」と答えるが、それをイーは完全に信用したわけではない。それでも彼は護衛の男を帰らせ、チアチーと2人で食事に出掛ける。疑いを抱きつつも、それを越える興味をチアチーに抱いたのだ。

 チアチーが愛していたのはクァンであり、それはイーと肉体関係を持った後も変わらない。彼女がイーに対して抱いたのは、肉欲だ。つまり、原題にある「色」だ。イーとチアチーの繋がりは、愛ではなく性欲なのだ。イーは特務機関という立場上、常に冷徹非情な仕事を要求される。また、周囲の人間に心を許すことが出来ず、常に警戒心を持って過ごすことを余儀なくされている。
 原題にある「戒」の中で、彼は生活している。立場は異なるが、チアチーもクァンに協力してマイ夫人を演じることにより、「戒」の中で生きることになる。スパイとして自身を偽り、秘密が露呈してはいけないという緊張感を持って過ごすことを求められる。

 2人が普通の暮らしをしていたら、決して交わることなど無かっただろう。「戒」に縛られた特殊な状況下だからこそ、単に出会っただけでなく、性欲による強い結び付きを求めたのだ。他に頼れる者も見当たらない中で、セックスだけが心の拠り所であり、信じられる物になった。
 仲間が「覚悟の無いレジスタンスごっこ」に終始する中で、チアチーだけで全身全霊で戦い続けていた。危険を顧みず、命懸けで行動していたのは彼女だけだった。だからこそ、同じく命懸けの重圧の中で生きているイーとセックスによって通じ合ったのだ。

 チアチーは計画遂行のため、好きでもないリャンに処女を捧げて何度もセックスを重ねる。それは愛するクァンのための行動なのに、彼とは違う男に抱かれなければいけない。それでも「目的のため」と自分に言い聞かせていたが、イーが上海へ帰って計画が中止となり、支払った犠牲は無意味と化してしまう。
 彼女に残されるのは、虚しさだけだ。ツァオが殺されるのを見て家を飛び出しているが、そんな出来事が無かったとしても、クァンたちの元を去っていた可能性は高いだろう。

 3年後、クァンはチアチーの前に姿を現し、「僕らは幼稚だった。愚かだった」と言う。だが、そこから3年が経っても、彼は何も成長していない。組織に参加して任務を与えられたことで、立派になったような気がしているだけだ。しかし自分の力だけでは何も出来ないから、チアチーに頼る。
 3年前はクァンのせいで辛い目に遭ったのに、それでもチアチーは再び協力する。それは彼に対する愛も影響しているだろうが、それよりも「3年前の件に決着を付けないと先へ進めない」という気持ちの方が大きいのだろう。

 チアチーがイーにレイプまがいのやり方で犯されても関係を重ねるのは、愛しているからではない。孤独を埋めるためにセックスを重ねるという部分では似た者同士だが、その意識は異なっている。男は信じられる唯一の存在として、チアチーを求めた。しかしチアチーは、彼に依存しなかった。
 彼女はクァンを愛しており、だからクァンが久々に顔を見せた時には「いつ実行するの?終わったら一緒によそへ」と、すがるような表情で告げる。その後もチアチーは、決して任務を忘れない。イーとの肉体関係を繰り返しても、そこに溺れるようなことは無いのだ。

 チアチーはイーから、ハリドという男を訪ねるよう言われる。クァンやウーたちは、チアチーが疑われているのではないかと考える。だが、チアチーが指定された場所へ行くとハリドは宝石店の店長で、イーが指輪をプレゼントするために訪問させたことが判明する。
 イーが自分を娼婦扱いせず心から愛していると感じたチアチーは、最後の最後で罪悪感に負け、仲間の襲撃から救うために「逃げて」と囁く。そして自分はケジメを付けるため、アジトへ行って仲間と共に捕まる。最後まで彼女は、イーに対して愛を捧げることは無かった。イーは非情な決断を下し、虚しさを抱えるしか無いのだ。

(観賞日:2018年2月22日)


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