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『東京物語』:1953、日本

 夏、尾道に暮らす老夫婦の平山周吉と妻・とみは、東京へ出掛けることにした。元気な内に子供たちの顔を見ておこうというのが旅の目的だ。同居している小学校教師の次女・京子は、両親に弁当と水筒を用意して学校へ出掛けた。周吉たちの長男・幸一は東京で平山医院を経営しており、長女・志げは美容院を営んでいる。
 幸一の妻・文子が家事をしていると、駅まで両親を迎えに行っていた幸一と志げが戻ってきた。幸一は、周吉ととみを2階の部屋に案内した。

 戦死した次男・昌二の妻である紀子が訪れ、周吉たちに挨拶した。昌二が亡くなって以来、彼女は独身を通している。夕食の後、紀子と志げは帰っていった。
 志げは夫の庫造から「挨拶に行かなくていいかね?」と訊かれ、「いいわよ、どっちみちウチにも来るわよ」と返答した。両親を東京見物に連れて行くことになっていた幸一だが、患者の父親が来たため、診療に出掛けた。

 周吉ととみは、志げの家に移った。志げは庫造に、「明日、どっかへ連れてってやってくんない?」と持ち掛ける。だが、庫造は集金の仕事があった。志げは米山商事で仕事をしている紀子に電話を掛け、「東京案内に連れてってやってくんない?」と頼んだ。
 紀子は上司に休みを貰い、志げの頼みを引き受けた。翌日、紀子は周吉ととみを東京の名所へ案内し、アパートに招いた。

 志げは幸一に、「お父さんお母さん、いつまで東京にいるのかしら」と疎ましそうに言う。それから彼女は、三千円ずつ出して両親を熱海の旅館へ行かせることを提案した。「見晴らしが良くて、とっても安いの」と説明する志げに、幸一は「俺も困ってたんだ」と賛同した。
 だが、旅館は若者向きで、夜になると艶歌師が演奏し、麻雀で盛り上がる連中も騒々しかった。周吉ととみは、なかなか眠れなかった。翌朝、2人は「東京も見たし、熱海も見たし、そろそろ帰ろうか」ということで意見が一致した。

 周吉ととみが熱海から帰宅すると、志げは良い顔をしなかった。志げから「講習会で大勢が来る」と言われ、周吉たちは彼女の家を出ることにした。また幸一の家に戻ることは遠慮して、とみは紀子のアパートに泊めてもらおうかと提案した。
 周吉は、2人は無理だから、旧友である服部修の元を訪ねると告げた。服部は尾道出身だが、今は東京に出て来ているのだ。

 周吉は代書屋をやっている服部の元を訪れた。十数年ぶりの再会だ。服部は、尾道で警察署長だった共通の旧友・沼田三平が近くに住んでいることを告げた。3人は居酒屋で酒を酌み交わし、沼田の馴染みであるおでん屋「お加代」に移動して酩酊した。
 沼田は「アンタが一番幸せじゃ」と周吉に言い、息子の愚痴をこぼす。周吉は「出て来るまでは、もうちっと倅がどうにかなっとると思っとりました。町のこんまい町医者でさ。ワシも不満じゃ。じゃが、それは世の中の親の欲じゃ。欲張ったらキリが無い」と語った。

 とみは紀子のアパートに泊まった。とみは「アンタはまだ若い、ええ人があったら気兼ね無しにいつでもお嫁にいってくださいよ」と紀子に促す。だが、紀子は「私は勝手にこうしてますの。この方が気楽ですの」と微笑んだ。
 深夜、志げの家に交番の巡査がやって来た。泥酔している周吉と沼田を保護して、連れて来たのだ。志げは不愉快そうに「また飲んじゃって」と口を尖らせた。

 翌朝、周吉ととみは、尾道へ戻る汽車に乗り込んだ。だが、とみの具合が途中で悪くなったため、大阪在住の三男・敬三の家で休ませてもらった。2人が帰郷して数日後、幸一の元には周吉からの手紙が届いた。
 直後、幸一と志げの元に、とみが危篤だという電報が届いた。文子は紀子に電話で伝えた。幸一と志げは、喪服を用意して尾道へ向かった。敬三は夜になっても来なかった。

 幸一は周吉と志げを別の部屋に呼び、とみの病状について「明日の朝まで持てばいいと思う」と長くないことを告げた。夜中の3時15分、とみは息を引き取った。朝になって敬三が現れた。出張していて、電報を貰った時は不在だったのだ。
 葬儀の後、志げは「どっちかっていうと、お父さんが先の方が良かったわねえ。これで京子でも嫁に行くと厄介よ」と口にした。彼女は京子に、形見の品を出すよう催促した。周吉と志げ、敬三の3人は、その日の内にそそくさと立ち去った…。

 監督は小津安二郎、脚本は野田高梧&小津安二郎、製作は山本武、撮影は厚田雄春、編集は濱村義康、録音は妹尾芳三郎、録音技術は金子盈、照明は高下逸男、美術は濱田辰雄、音楽は齋藤高順。

 出演は笠智衆、東山千榮子(俳優座)、原節子、杉村春子(文學座)、山村聡、三宅邦子、香川京子、東野英治郎(俳優座)、中村伸郎(文學座)、大坂志郎、十朱久雄、長岡輝子(文學座)、櫻むつ子、高橋豊子、安部徹、三谷幸子、村瀬襌(劇団ちどり)、毛利充宏(劇団若草)、阿南純子、水木涼子、戸川美子、糸川和廣、遠山文雄、諸角啓二郎、新島勉、鈴木彰三、田代芳子、秩父晴子、三木隆、長尾敏之助ら。

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 小津安二郎の代表作とされることも多く、また日本を代表する映画の1本と称されることもある白黒映画。
 周吉を笠智衆、とみを東山千栄子、紀子を原節子、志げを杉村春子、幸一を山村聡、文子を三宅邦子、京子を香川京子、沼田を東野英治郎、庫造を中村伸郎、敬三を大坂志郎、服部を十朱久雄、よねを長岡輝子が演じている。
 周吉の年齢設定は72歳だが、撮影時の笠智衆は48歳。1890年生まれの東山千栄子よりも遥かに若かった。

 冒頭、尾道にある周吉ととみの家は窓が開いており、そこから近所のオバサンが気さくに話し掛けてくる。一方、東京では、幸一にしろ志げにしろ、「医者と患者の父親」「美容師と客」という関係はあるが、近所付き合いが見えない。
 大阪の敬三にしても同様で、勤務先の駅での上司との関係、つまり仕事場での人間関係しか描かれていない。それが「都会と田舎の差」になっている。
 ただし、都会において近所付き合いが全く無いわけではない。紀子は、アパートの隣人と仲良く付き合っている様子が描かれている。都会だから近所付き合いが希薄になるのではなく、それは人によって異なってくるということだ。

 劇中、扇子や団扇を使うシーンが何度も登場する。大抵の場合、それは自分を扇ぐために使われる。幸一は車で周吉ととみを連れて帰宅し、すぐに扇子で自分を扇ぐ。一緒に現れた志げも扇子で自分を扇ぐ。それ以降も、この2人は自分を扇ぐ。それは当然と言えば当然の行為だ。
 しかし、他人を扇ぐ者もいる。幸一の家での夕食の後、とみは眠り込んだ幸一の次男・勇を団扇で扇いでやっている。また、紀子はアパートに周吉ととみを招いた時、2人に向かって団扇を扇ぐ。その直後、シーンが切り替わると、幸一と志げが自分を扇いでいる。
 この描写は、幸一&志げと紀子の大きな違い、思いやる気持ちの有無を、を見事に表現している。

 幸一と志げの両親に対する薄情な態度や言動は、何度も描写されている。周吉たちが上京した初日、幸一たちは晩のおかずをすき焼きに決める。「他にお刺し身か何か」と妻の文子が言うと、幸一は「要らんだろう」と告げ、志げは「たくさんよ、お肉だけで」と口にする。
 そりゃあ、すき焼きだけで充分だろうけど、その表情と言い方にトゲがある。

 夫の庫造から「(周吉たちに)挨拶に行かなくていいかね?」と訊かれた志げは、「いいわよ、どっちみちウチにも来るわよ」と答える。実際、志げの家にも来るのだが、その言い方ときたら。言葉の端々に、その表情に、両親を面倒に思っていることが滲み出ている。
 幸一は診察に行くために東京見物をキャンセルした時、文子が「あたしがお供しましょうか」と提案すると、「お前が行ったらウチが困るじゃないか」と言う。その言い方は、「何をバカなことを言うんだ」という感じだ。

 志げは庫造が浅草で周吉たちに菓子を買ってくると、「高いんでしょ、そんなんじゃなくていいのよ。勿体無いわよ。お煎餅でたくさん」と苦々しげな表情になる。志げは幸一に、「お父さんお母さん、いつまで東京にいるのかしら」と疎ましそうに言う。
 熱海の旅館へ2人を行かせることを提案するが、「とっても安い」と説明している。金で済ませようというだけでなく、安い場所にしている。美容室の客に両親のことを「どなた?」と訊かれると、「知り合いの者。ちょいと田舎から出てきまして」と嘘をついている。まるで、周吉たちが両親だとバレると恥ずかしいかのような態度だ。

 しかし、周吉もとみも、子供たちを責めたりしない。志げから旅館のことを問われ、騒がしかったことを言ってもいいのに、不満を一切口にしない。
 飲み屋で酔っ払った周吉は、幸一が小さな町の医者に留まっていることが不満だと漏らしつつも、「それは世の中の親の欲じゃ。欲張ったらキリが無い。あれもあんな奴じゃなかったんじゃが、しょうがないわい。東京は人がおりすぎるんじゃ」と語る。東京という場所に問題があって、子供たちに非は無いのだと、そういう考えを述べている。

 血の繋がっている幸一と志げよりも、血の繋がっていない紀子の方が、ずっと優しくて親切だ。彼女だけでなく、幸一の妻・文子、志げの夫・庫造も、やはり幸一と志げよりも親切な態度を示している。
 気遣いというのもあるだろう。身内だと距離が近いから、ずっと一緒だったから、逆に冷たくなってしまう、邪険に扱ってしまうという部分もあるだろう。ただ、そういう言い訳では済まないぐらい、幸一や志げは、両親に対して冷淡で淡白な態度を示している。

 とみが危篤だという電報が届いても、幸一と志げは、まるで他人事のように落ち着き払っている。電話を受けた紀子の深刻な表情とは、まるで違っている。「やっぱり行かなきゃいけないかしら」「行かなきゃいかんだろう」と、ノンビリしたものだ。
 これが「前から具合が悪くて、ずっと病院に入っていた」というのなら、まだ分からないでもないが、そうではないのに。

 親が危篤と訊けば、もっと慌てたり、すぐにでも駆け付けようとしてもおかしくないのに、「忙しいんだけどなあ、ここんとこ」と、それでも幸一と志げは仕事優先の考え方をする。「喪服どうなさる?」「持って行った方がいいかもしれないな」と、デリカシーのかけらも無い。
 それは合理的な考え方だが、人情味には著しく欠けている。ものすごくドライになってしまっている。

 ただし、幸一も志げも、全く両親への愛情が無いわけではない。例えば、志げが「学芸会で母が椅子を壊した」と話す場面などは、とみを腐しているけではなく、愛があるからこそ出来る笑い話だ。
 とみが長くないと聞いた志げは泣き崩れ、死去した後に敬三が来た時も号泣している。それは芝居としてやっているわけではなく、本当に悲しくて泣いているのだ。

 ただ、親への愛情が皆無ってわけではないが、それよりも、合理的な考えが常に優先されてしまう。とみが死んだ朝、志げはサバサバした態度で紀子に「アンタ、喪服持って来た?」と尋ねる。京子も用意していないと聞くと、借りてきなさい」と事務的に指示する。
 それは悲しみを隠して気丈に振舞っているということではなく、ホントにドライなのだ。

 葬儀の後、志げは「どっちかっていうとお父さん先の方が良かったわねえ。これで京子でも嫁に行くと厄介よ」と言ったり、形見の品を出すよう京子に催促したりする。「とみが死んだことは悲しいけれど、それはそれとして、もう次のステップに移りましょ」という感じだ。スパッと割り切っている。自分の生活が一番大事で、親のことは二の次、三の次ってことだ。
 ただ、「悲しいけれどそれが現実」ということで、監督はそれを厳しく糾弾しているのではなく、ただ侘しい、やるせない、という風に描いている。

 血の繋がりは、心の繋がりとイコールではない。家族というのは所詮、一つの形態に過ぎない。それは単なるパッケージであって、みんなバラバラなのか、絆で結ばれているかは、開けてみなければ分からない。
 幸一や志げは、忙しさを言い訳にして、思いやりの精神を失って、ドライになっている。合理的で事務的な考え方に凝り固まっており、そこには、というものが決定的に欠けている。既に、周吉たちとの親子関係が、心の結び付きではなくなっているのだ。

 非情な血の繋がりよりも、喪失感を分かち合える他人の方が素晴らしい。家族という形態における繋がりの無さが描写されていくことによって、繋がりの大切さ、素晴らしさが感じられるという次第だ。しかし、他人との結び付きを感じられても、やはり家族関係が崩壊していることへの虚しさ、切なさは拭えないのだ。
 小津監督は、人間関係が希薄になっていく時代の変化に侘しさを感じ、古き良き東京にあった親しみや温かさがどんどん失われていくことに、やり切れなさを感じていたのではないだろうか。

 終盤、薄情な兄や姉を京子が批判すると、紀子は「年を取るにつれて、自分の生活ってものが大事になるのよ」と、幸一たちを擁護することを口にする。そして彼女は、「そうはなりたくないけど、きっと私だってそうなる」と言う。
 「家族関係が希薄になることは寂しいけれど、それは仕方の無いことなのだ」という小津監督の諦念が、そのセリフから伝わって来る。

 紀子は常に聖母のように優しく、そして穏やかだ。とみから再婚を勧められた時、「この方が気楽ですの」と微笑む。
 しかしラスト近く、彼女は周吉に「私、ずるいんです。いつも昌二さんのことばかり考えているわけじゃありません。このまま一人でいたらどうなるんだろうと考える時もあるんです。心の隅で何かを待っているんです。そういうことをお母様に言えなかった。私、ずるいんです」と打ち明ける。
 ここの告白の圧倒的な力といったら。淡々とした雰囲気の中、静かな告白ではあるが、こっちの心を鋭く抉ってくる。

 最後は、オープニングと同じアングルで、尾道の和室が映し出される。しかし、一つ大きな違いがある。それは、そこには周吉だけがいて、とみの姿が無いということだ。
 同じアングルで、その違いを際立たせることで、周吉の孤独感がグッと伝わって来る。

(観賞日:2010年3月3日)

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