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『この世界の片隅に』:2016、日本

 昭和8年。9歳の浦野すずは父の十郎、母のキセノ、兄の要一、妹のすみと暮らしている。ある日、すずは海苔を届けるため、広島市内へ出掛けた。道に迷った彼女は、ばけものに捕まって駕籠に入れられた。駕籠には少年も捕まっており、拉致されたことを彼女に教えた。
 ばけものが「夜になったら眠ってしまう」と口にしたため、すずは海苔を使って日が暮れたように思わせた。ばけものが眠り込み、すずと少年は無事に逃げ出した。帰宅したすずは、すみにばけものの絵を描いて体験談を聞かせた。

 昭和9年。すずは親戚の家へ出掛け、昼寝をする。目を覚ました彼女は、汚い格好の少女がスイカを食べる様子を目撃した。すずは彼女に声を掛け、新たにスイカを持って来る。しかし少女は姿を消しており、すずは叔母から座敷童だと聞かされた。
 昭和13年。学校で図画の課題が出たので、絵が得意なすずは短い鉛筆で早々に完成させる。下校した彼女は、海の近くで同級生の水原哲を目撃する。彼は絵も描かず、海を眺めて佇んでいた。哲は兄を海軍の事故で亡くしており、そのことで憎まれ口を叩いた。彼は絵を描く気が無いことを語り、長い鉛筆をすずに渡して代わりに描くよう促した。すずが上手な絵を描くと、哲は「こんな絵じゃ海を嫌いになれんじゃろうが」と口にした。

 昭和18年。すずの元に縁談の話が持ち込まれたが、相手は全く知らない男性だった。すずは断ってもいいと言われるが、戸惑うだけだった。海軍に入隊している哲と遭遇したすずは、彼が縁談の相手だと思い込む。しかし哲は否定し、兄の七回忌に帰郷しただけだと告げる。すずの外出中に、縁談の相手と父親が浦野家を訪ねて十郎と会っていた。
 昭和19年。すずは結婚するため、呉にある北條家へ赴いた。夫となる男は長男の周作で、両親の円太郎&サンと暮らしていた。既に嫁いでいる姉の径子も、一人娘の晴美を連れて帰郷した。径子はすずに、冷たい態度を取った。すずは覚えていなかったが、周作は9歳の頃に同じ駕籠で出会った少年だった。

 既に戦争が始まっており、物資は配給制となっていた。北條家の嫁として暮らし始めたすずは、配給の当番に出向いたり焼夷弾の講習を受けたりしながら日々を過ごした。
 3月になると、嫁ぎ先と折り合いの悪い径子が晴美を連れて戻って来た。結婚前はモガだった彼女は、田舎臭の強いすずに嫌悪感を示す。ツギハギだらけのモンペを見た彼女は、すぐに作れと命じた。すずは着物を取り出すと、径子のモンペを参考にして作った。

 径子は強く当たるだけでなく、すずの代わりに配給当番や夕食作りを引き受けた。夕食の時、彼女は嫌味っぽい口調で、すずに広島へ帰るよう促した。その言葉を聞いた北條家の人々は、一度も里帰りさせていないことに気付いた。
 すずは実家に帰省し、すみから頭に10円ハゲが出来ていることを指摘された。北條家に戻った彼女は、ハゲのせいで元気が無くなった。理由を知らない周作はホームシックだと誤解し、すずを元気付けようと入港した軍艦大和を眺めさせた。

 5月に入ると、径子は晴美を伴って嫁ぎ先へ戻った。さらに配給は減らされるが、すずは野草を使うなど様々な工夫を凝らして食事を用意した。米の量を増やす方法も試してみたが、これは完全に失敗だった。
 6月になると空襲警報が出るようになるが、周作や円太郎に危機感は無かった。径子は夫の家が建物疎開で下関へ移ったため、離縁して晴美と共に実家へ戻ってきた。長男の久夫は跡取りになるため、夫の家へ残してきた。

 7月に入り、北條家の人々は空襲に備えて防空壕を作った。すずは軍港を眺める晴美に声を掛け、久夫から教わって詳しくなった軍艦の説明を受けた。すずはサンから、径子は黒村時計店の息子と結婚したが先方の両親と折り合いが悪かったこと、夫を亡くして建物疎開で店まで奪われたので気持ちが落ち込んでいることを聞かされた。
 すずは畑から軍艦をスケッチしようとするが、通り掛かった憲兵から間諜の嫌疑を掛けられた。憲兵は北條家に乗り込んで怒鳴り付けるが、一家にとっては笑える出来事でしかなかった。

 8月、すずと晴海は蟻の行列を観察し、砂糖壺に向かっていることを知った。2人は砂糖を守ろうと考え、壺を水瓶に浮かべる。しかし壺が沈んでしまい大事な砂糖が全て駄目になってしまう。話を聞いたサンは貯めておいた金をすずに渡し、闇市で買って来るよう促す。
 すずは闇市へ行くが、砂糖が予想外に高額なので驚いた。わずかな砂糖を手に入れた彼女は、今後の物価高騰を想像して不安になった。道に迷ったすずは周囲の人々に教えてもらおうとするが、誰も明確な答えを持っていなかった。

 すずは知らない内に遊郭へ迷い込み、道に絵を描き始めた。それを見た遊女の白木リンが声を掛け、すずの事情を知ると先輩から聞いて道を教えた。彼女はすずの描いた食べ物の絵が気に入り、自分の食べたい物も頼んで描いてもらう。
 リンはアイスクリームを注文するが、すずは食べたことが無いので知らなかった。店から呼ばれたリンが戻ろうとすると、すずは次に来る時までに描いておくと告げる。するとリンは暗い表情になり、何度も来るような場所ではないと口にした。

 9月、すずは呉鎮守府軍法会議で働く周作に呼び出され、帳面を届けに行く。しかし帳面は口実で、周作はすずに息抜きをさせるため外へ連れ出したのだった。それを知ったすずは喜び、2人の時間を満喫した。すずは周作と話している内、妊娠していることに気付いた。
 12月、軍艦青葉に乗船している哲が、しばしの上陸期間を利用して北條家を訪ねた。すずと哲の楽しげな様子を見た周作は、納屋で2人きりになる時間を与えた。哲はすずを抱き締めるが、彼女から周作への思いを聞かされると夜の内に北條家を去った。

 昭和20年2月、すずは要一が戦死したという知らせを受けて、周作と共に広島へ戻った。しかし遺体も無いことから、浦野家の面々は要一の死を全く実感していなかった。呉へ帰る途中、すずは哲が来た日のことで周作と口論になった。ずっと口論が続くので、駅員も呆れた。
 3月、すずと晴美が畑で話していると、空襲が始まった。すずは余計なことを考え、その場で立ち尽くしてしまった。そこへ円太郎が駆け付け、2人に指示して対空砲火の破片が当たらないよう隠れさせた。円太郎が急に倒れて動かなくなったので、すずは死んだと思って衝撃を受ける。しかし円太郎は、夜勤の疲れが溜まって眠り込んだだけだった。

 5月、周作は海軍で戦闘に参加することが決まり、しばらく家を離れるとすずに告げた。すずは寂しさを感じるが、留守中は自分が家を守ると約束した。6月、円太郎は焼夷弾で頭を負傷し、ずっと入院していた。径子は晴海を連れて下関へ行くと決め、切符を買いに行くことにした。すずは彼女に頼まれ、晴海を伴って円太郎の見舞いに出向いた。
 その帰りに空襲警報が発令されたので、すずと晴海は近くの住人に頼んで防空壕に入れてもらった。爆撃機が去った後、外へ出たすずは時限爆弾の可能性があるから逃げるよう消防団員に告げられる。すずは近くに爆弾があることに気付くが、その直後に爆発が起きて意識を失う。すずが意識を取り戻すと右手が無くなっており、晴美は爆発で死んでいた…。

 脚本・監督は片渕須直、原作は こうの史代(双葉社刊)、企画は丸山正雄、プロデューサーは真木太郎、監督補・画面構成は浦谷千恵、キャラクターデザイン・作画監督は松原秀典、美術監督は林孝輔、色彩設計は坂本いづみ、編集は木村佳史子、撮影監督は熊澤祐哉、音響監督は片渕須直、音楽はコトリンゴ。

 声の出演は のん、細谷佳正、小野大輔、尾身美詞、稲葉菜月、潘めぐみ、岩井七世、澁谷天外、牛山茂、新谷真弓、小山剛志、津田真澄、大森夏向、たちばなことね、瀬田ひろ美、世弥きくよ、佐々木望、塩田朋子、京田尚子、目黒未奈、池田優音、三宅健太、栩野幸知、ラヴェルヌ拓海、小島日菜子、池田優音、ラヴェルヌ知輝、八木菜緒(文化放送)、A応Pら。

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 こうの史代の同名漫画を基にした長編アニメーション映画。脚本&監督は『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直。すずの声を担当したのは、「のん」に芸名を変更した能年玲奈。
 周作を細谷佳正、哲を小野大輔、径子を尾身美詞、晴美を稲葉菜月、すみを潘めぐみ、リンを岩井七世、円太郎を牛山茂、サンを新谷真弓、十郎を小山剛志、キセノを津田真澄、要一を大森夏向が担当している。駅の警官役で、澁谷天外が特別出演している。

 片渕須直は原作を知ってアニメーション映画化を希望し、こうの史代に手紙を送って快諾を得た。片渕監督は制作を発表し、広島フィルム・コミッションがサポートして準備が進められた。だが、この段階では、まだ予算が全く調達できていなかった。ある意味、見切り発車のような状態だったわけである。
 しかしクラウドファンディングによって、映画部門では国内最高記録となる支援金が集まった。これにより、正式に製作委員会が発足され、東京テアトルによる配給も決定した。随分と難産の映画だったわけだ。

 公開された時点では、それほど全国的な知名度が高いとは言えなかった。そもそも封切り日の公開館数は63館であり、大規模な全国公開ではなかったのだ。スタジオ・ジブリのアニメ映画なんかと比べれば、遥かに公開規模は小さい。
 試写の段階で多くの人々が絶賛し、東京の映画館では立ち見まで出るほどの盛況となったが、その熱は地方と大きな差があった。それでも興行成績は初登場10位となり、SNSで評判が拡散された影響によって勢いは全国に広がった。そして最終的には、興行収入26億円を突破する大ヒットとなった。

 この映画が小規模上映から少しずつ拡大し、ロングランヒットを記録した原因の1つに、「のんがヒロインの声優を務めた」ということが挙げられる。それは「のんの演技力が訴求力に繋がった」という意味ではなく、「のんを応援しようという気持ちを持つ観客が多かった」ということだ。
 今さら詳しく説明するまでもないだろうが、彼女は大手事務所から抜ける際のトラブルによって、本名での芸能活動さえ出来なくなるほどの圧力を掛けられた。日本には判官びいきの精神があるので、彼女に同情し、応援したくなった人も少なくなかったはず。そういう感情が、本作品のヒットに少なからず影響を与えたことは間違いない。

 語弊が無いようにフォローしておくと、のんの声優ぶりがイマイチということではない。そもそもNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』で高く評価され、若手女優として今度の活躍が期待されていた存在なのだ。
 「俳優としては実力があっても、声優としてはイマイチ」というケースもあるが、彼女は大丈夫だった。しかし、それはボーッとしていて穏やかなヒロインのキャラ造形と、のんの個性が上手く合致した部分が大きいんじゃないかと思う。

 のんは「どんな役でも器用にこなす」「様々な役柄に対応できるカメレオン女優」というタイプではなくて、「そんなに幅は広くないけど、ハマれば抜群に輝く」というタイプの女優だ。そんな彼女が、声優としてもピッタリの役に巡り逢えたってことだろう。
 あと、実は彼女の語りで進行するってのも、地味に役立っているんじゃないかな。そこから入ることで、「アニメやキャラに声が馴染んでいない」という問題を巧みに解消することも出来ちゃうのよね。

 片渕監督は製作を決めた後、関係する資料や文献を呼んで史実を研究し、当時の風景を調べ上げた。そして、それをアニメーションとして綿密な描写で再現している。それどころか彼は当時の天気まで詳しく調べ、その日時に会わせて情景も描き分けている。黒澤明もビックリの完璧主義っぷりである。ただ、細かいリチーサやリアリズムの追及は、ある程度は評価できるが、そこまで行くと「どうなのかなあ」と思ってしまう。
 他はともかく、天気まで全て忠実に再現することの効果って、そんなに無いような気がするのだ。そういうことまで細かく一定していくと、おのずと手間や製作期間も増えることになる。商業ベースの映画では、「定められた期間や予算の枠内で仕上げる」とか「黒字を出す」ってのも監督の能力に入ると思うのよね。まあ本作品は大ヒットしたので、結果オーライではあるのだが。

 オープニングでコトリンゴのカバーによる『悲しくてやりきれない』(言わずもがなだが、オリジナルはザ・フォーク・クルセダーズ)を流すのは、狙い過ぎて逆に外していると感じてしまう。
 この映画は始まってから当分の間は、何の悲しみも感じさせずに明るいタッチで平穏な日常を描いていくのだ(ばけもんとの遭遇が平穏かどうかは置いておくとして)。それなのに、いきなり「悲しくてやり切れない話ですよ」ってのをアピールするのが、得策とは思えないのよね。

 作品に関する幾つかの情報を事前に仕入れていれば、これが第二次世界大戦を描く話であることは分かっている。何も知らないまま観賞しても、広島や呉が舞台で昭和8年から少しずつ時代が経過していけば、すぐに「これは空襲や原爆投下も描かれるな」ってことが分かるはずだ。
 戦時中の生活や原爆投下を描くことに主眼を置くなら、昭和8年から物語を始める必要は無いと思うかもしれない。実際、それが無くても、それはそれで作品として構築することは可能だ。せいぜい、すずに縁談が持ち込まれる昭和18年ぐらいから始めても充分ではないかと思われる。

 しかし、すずが9歳だった昭和8年から始めているのは、もちろん意味があるのだ。それは「すずが幼い頃に周作と出会っていた」ということを示すためだけのシーンではない(そういう意味もあるけどね)。まだ戦争なんて始まる兆しさえ無いような時代から始めることによって、観客に「日常」をアピールしている。
 やがて戦争の足音がゆっくりと静かに忍び寄って来るし、それに関する描写や台詞も出てくるが、それでも「すずの穏やかな日常」は続いていく。そこに、この映画の重要なポイントがある。

 すずの周囲では、軍人になる人も現れるし、港には軍艦が来る。物資が配給制になるなど、様々な方面で戦争の影響は顕著に表れる。だが、すずがそのせいで暗くなったり、辛さや苦しさを見せたりすることは無い。広島への帰郷か呉へ戻った時には元気が無くなるが、それは「頭にハゲが出来たことを気に病んでいる」というだけであり、戦争とは何の関係も無い。
 そもそも、頭にハゲが出来た原因も「慣れない呉での生活によるストレス」なので、これも戦争とは無関係だ。つまり、すずが落ち込むことも、やはり「平穏な日常生活」としての描写というわけだ。そしてハゲの問題も、ユーモラスなエピソードとして着地しており、シリアスな雰囲気には至らない。

 配給の物資が一気に減っても、すずは決して深刻にならず、明るく前向きに対応する。それは「無理して気丈に振る舞う」とか、「苦しい状況だからこそ気持ちを張ろうとする」ということではない。根っから楽天的でポジティブなので、素直に行動しているだけだ。
 彼女は様々なアイデアを捻り出し、料理のメニューや分量を増やす。ヒロインだけが際立って明るいわけではなく、映画としての雰囲気も、暗く落ち込んでいかない。ホノボノした明るい雰囲気が持続する。

 戦況の変化に伴い、どんどん生活環境は悪くなっていく。それでも悲壮感や緊迫感は、全く漂って来ない。トゲトゲしく殺伐とした空気は徹底的に排除され、「戦場の様子」や「戦況の説明」を挟むことはなく、あくまでも「身の回りの日常」だけを丹念に描いていく。つまり、「日常」の延長線上に「戦争」があるわけだ。
 考えてみれば、後世に生きる我々は「何が起きていたのか」「後に何が起きるのか」を全て知っているが、当時の人々からすると全ては「日常生活」だったわけで。しかも「日本は勝つ」と教え込まれていたのだから、すずに限らず、悲壮感を抱かず前向きだった人も大勢いたのだろう。

 すずが物価の急激な高騰を予感し、どうやって生きていこうかと不安を抱くシーンでさえ、ユーモラスなテイストで描かれている。昭和19年に入っても、まだ「すずが周作と2人で散歩するのを楽しむ」とか「妊娠が分かって喜ぶ」といった明るいエピソードが続く。
 その後、哲が訪ねて来るエピソードでは「もう二度と会えないだろう」と予感させるし、要一の戦死が知らされるエピソードもある。だが、それによって、一気に雰囲気が暗くなるようなことは無い。要一の戦死を知らされたすずが帰郷するエピソードは、その時点で既にユーモラスなタッチだ。そして周作との口論も、やはり明るい雰囲気で描かれる。

 昭和20年3月19日の空襲では円太郎が倒れて動かなくなるが、これも「疲れて眠り込んだだけ」というオチで明るく終わらせている。だが戦時中の物語である以上、そんな明るい日々が永遠に続かないことを我々は分かっている。
 その空襲で北條家に犠牲者が出なかったので、原爆投下まで悲劇を引っ張るのかと思っていた。しかし、そんなベタとも言える展開を外し、意外なタイミングで悲劇へと一気に突入する。しかも犠牲者は、大人ではなく北條家で最も幼い晴美が選ばれている。

 そこまではホノボノとしたタッチで明るく進めていたことによって、そのエピソードで急激な落差が付いている。何しろ戦時中だし、状況はどんどん悪化しているので、「いずれ北條家にも犠牲者が出る」という予兆は充分にあるのだ。しかし、何しろ悲しかったり辛かったりはずの出来事も全て明るく描かれていたため、あまり感じないまま時間が過ぎていた。
 そんな中で、幼い晴美が犠牲となる展開が唐突に到来するため、そのショックは大きい。直接的な残酷描写があるわけではないが、すずの右手の先が無くなっているだけでも、充分に心を突き刺す力がある。

 その後は空襲で呉の町が空襲で火の海になるなど、もはやホノボノしたムードで進めるのが困難なほど過酷な状況へ突き進んでいく。それに伴って、すずの評定からも笑顔が減っていく。
 すみが会いに来て好きになった相手のことを話した時など、たまに笑顔を見せることもある。しかし晴美が死ぬ前と比べれば、格段に明るさは減退する。「晴美を死なせてしまった」という罪悪感が、すずに心に大きな影を落とすからだ。

 玉音放送を聞いた時、すずは「最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね?」と激しい憤りを吐露する。それまで信じていた概念が全て覆されたことで、彼女の中で必死に耐えていた感情が爆発してしまったのだ。
 彼女の感情は少し経てば落ち着くが、終戦を迎えても、それによって「幸せで穏やかな日々」が訪れるわけではない。死んだ人が蘇るわけではないし、無くした右手も元には戻らない。すみの腕に被爆の症状が出ているように、戦争の後遺症は様々な形で残され、ずっと続いて行くだろう。

 意地の悪いことに、この映画は最後の最後で、最も残酷な描写を用意している。被爆で血だらけになり、たくさんのガラス片が体に突き刺さった状態の母親が、幼い娘の手を引いて徘徊するシーンだ。
 母親は力尽きて座り込み、大量のハエやウジがたかって死亡する。母親を亡くした少女は、当ても無く歩き出す。痛々しいという表現では足りないほど、心が苦しくなるシーンだ。このままだと、ホントに意地が悪いだけのシーンになってしまう。

 だが、すずと周作が話している場所に、その少女がやって来る。少女は母と同じく片腕を亡くしているすずを見て、すっかり懐く。すずと周作は少女を家へ連れ帰り、今後は育てていくのだろうと匂わせて映画は終わっている。
 被爆した母親と少女が登場するシーンは、かなり唐突で取って付けたような印象も否めなかった。すずと周作が少女を自宅へ連れ帰るのも、そういう形で「晴美の死」をフォローすることに対する、あざとさを感じる部分もある。でも涙腺を刺激されたのは事実なわけで、卑怯かもしれないけど、やられちまったね。

 アニメ嫌いで知られる某映画脚本家が、自身の主催する映画雑誌の年間ベストテン1位に『この世界の片隅に』が選ばれたことに不満を表明しただけでなく、翌年からアニメは扱わないと決めたことが一部で話題になった。個人が主催する雑誌のことだし、人それぞれ考え方は異なるので、それを非難しようとは全く思わない。
 ただ、アニメを映画として認めていない人が、そんな強引な行動に出てしまうぐらい、評論家や一般の観客から絶賛されたということの裏付けではある。まあ確かに自分がアニメ嫌いな人間だったら、間違いなく癪に障る映画ではあるわな。

(観賞日:2018年4月4日)

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