見出し画像

『遙かなる山の呼び声』:1980、日本

 北海道の根釧原野、中標津町。風見民子は息子の武志を育てながら、2年前に病死した夫が残した牧場で酪農を営んでいる。春、嵐の夜。田島耕作という男が牧場を訪れ、道に迷ったので泊めてほしいと頼んで来た。民子は不審に思いながらも、物置小屋に泊めてやる。深夜になって牛が産気付いたので民子が牛小屋へ行くと、田島が手伝いに現れた。
 牛が無事に出産した翌朝、田島は世話になった礼を述べる。民子は「返って、手伝ってもらっちゃって」と感謝し、出発する彼を送り出した。民子は武志に礼金の入った封筒を渡し、田島を追わせる。武志は田島から「父さんいないのか?」と訊かれ、「死んだ」と答えた。

 夏、田島が牧場に現れ、しばらく働かせてほしいと申し入れた。民子は困惑するが、納屋を使わせて働いてもらうことにした。田島は牧場での経験があるということで、最初から何の迷いも無く仕事をこなす。田島に警戒心を抱いていた民子は、彼が武志と隣人の娘・ひとみを馬に乗せて引っ張っているのを目にする。
 その夜、民子は納屋へ行き、ここに来た理由を田島に尋ねた。田島が表情を変えずに「別に理由なんか無いんです。すいませんがあまり、そういう話は聞かないで下さい。奥さんに関係の無いことですから」と言うので、民子は不愉快な気分になって納屋を後にした。

 ある日、北海料理店「オホーツク」を経営する虻田太郎が手土産を持って牧場を訪れた。虻田は民子に惚れており、しつこく迫っていた。その気が無い民子は冷たく対応するが、虻田は抱き付いて来た。怒った民子は、棒で叩いて追い払った。
 その様子を見ていた田島がやって来たので、民子は「見てたら、どうして助けてくなかったの」と訊く。田島が平然と「親しい人だと思ったもんですから」と言うので、民子は「あんな奴と親しいだなんて、少し鈍感じゃないの?」と腹を立てた。

 別の日、また虻田が牧場を訪れ、民子に力ずくで迫った。そこへ田島が現れ、水を浴びせて追い払う。すると虻田は弟の次郎と三郎を引き連れ、仕返しに戻って来た。武志が見ているのに気付いた田島は、民子には内緒にするよう口止めし、場所を移動する。
 田島が次郎と三郎を軽く捻じ伏せると、虻田は怯んで手打ちを懇願した。その様子を見ていた武志は、田島の強さに心酔した。彼は約束を守らず、民子に喧嘩のことを語った。虻田は田島に心酔し、弟たちと共に「兄貴」と慕うようになった。

 ある日、民子は仕事中にギックリ腰で倒れてしまった。田島は隣人の房子に電話を入れ、急いで来てもらう。民子の夫・福士の車で病院へ運ばれた民子は、2週間の安静を医者から指示された。
 入院することになった民子に、房子は「あの男の人がいて、都合良かったね。いなかったら、農協からヘルパー頼んだりして、大したお金掛かるところだったもんねえ」と言う。田島は武志と一緒に牧場の仕事をこなし、夏休みに入っている房子の娘・ひとみは食事を作りに来てくれた。

 民子は見舞いに来た義兄から、「これ以上、無理をしたら、ホントに病気になっちまうよ。そん時になった後悔しても遅いんだよ」と心配される。房子も「女一人じゃ無理なんだよ。近所の人たちだって、寄ると触るとアンタがいつ辞めるか噂してるんだよ」と語る。
 死んだ弟のことを思って土地を売ってはいけないと思っているのではないか、と義兄から指摘された民子は、「そんなことありません。病気が重くなった時、もしものことがあったら土地を売って町に出た方がいいって言ったこともあるんですよ。でも、都会に出てアパート暮らしして、手に職も無くて、どれだけいいことがあるんだか。それを考えてみると、少し体がキツいぐらいなら、まだ牛飼いの方が。そんな風に思うんだけど」と述べた。

 牧場の仕事の方は、虻田三兄弟も手伝いに加わった。房子に連れられ母の見舞いに訪れた武志は、少し恥ずかしそうな様子を見せた。ある夜、武志は布団と枕を持って、田島のいる納屋にやって来た。泊まりに来ていたひとみが帰ってしまい、心細くなったのだ。
 田島は武志を隣に寝かせ、「おじさんの父さんも、おじさんがタケと同じぐらいの年に死んだんだ」と言う。それから彼は、父が借金が返せずに首を吊ったこと、涙を堪えて父の遺体を運んだことを語る。そして「男が生きてくには、我慢しなきゃならないことが一杯あるんだ。だから、母さんが病院に行ったぐらいで、泣いたりしたらダメだぞ」と告げた。

 退院した民子は、武志がすっかり田島に懐いている様子を目にした。しばらく経って、民子の従弟・勝男が妻の佳代子を連れて牧場にやって来た。新婚旅行で博多から北海道へ来たので、その途中で立ち寄ったのだ。たまたま人工授精師が来ていたので、勝男と佳代子は牛の人工授精を見学する。
 夜、勝男は佳代子が町でも評判の美人だったこと、親戚一同から結婚を反対されて駆け落ち同然で家を出たことを語る。翌朝、車で出発した勝男は涙をこぼし、佳代子に「なんか可哀想なんだよな、あの姉さん」と漏らした。

 秋。田島は民子と武志に馬の乗り方を教え、自ら颯爽と乗りこなした。ある日、田島の兄・駿一郎が中標津へやって来た。駅へ赴いた田島に、駿一郎は現金の入った封筒と彼の好きなコーヒー豆を渡した。駿一郎は田島の名が容疑者として新聞に出たことで、教師を辞職していた。
 電車を待つ駿一郎は、田島に「まさか一生逃げ歩いて暮らすわけにもいかんし、いつかはお前の方から警察に。そうだろ。いつまで要る気だ、今の所には」と尋ねる。田島は「出来れば、何年でもいたいと思ってる」と答えた。

 その夜、田島が納屋でコーヒーを入れていると、民子がやって来た。田島は彼女にコーヒーを注ぎ、「辛くありませんか。仕事、辞めたいと思ったことありませんか」と尋ねる。すると民子は、「弱気になったらおしまいだと思ってるから、なるべくそんなこと思わないようにしてるの。親戚にも、絶対に辞めませんって突っ張って来たの。でもねえ、ホントのこと言うと、辛いわ」と打ち明けた。
 民子が「武志がね、こないだから気にしてるんだけど、いつまで居てくれるんですか」と問い掛けると、田島は「奥さん次第です。別に、用事のある体じゃないです」と言う。民子は「武志が喜ぶわ、きっと」と口にした。

 田島は草競馬への出場を決め、民子と武志も応援に駆け付けた。田島は優勝し、民子と武志は走り終えた老馬の面倒を見る。田島の元へ2人の刑事が歩み寄り、「函館の田島さんじゃないかね」と尋問した。
 田島は「違います。函館なんて知りません」と静かに答えるが、刑事たちの疑いは晴れなかった。武志を肩車して祭りの見物をしていた田島は、刑事たちが自分を見張っている姿に気付いた。

 民子は田島のために服を購入してプレゼントし、「あの、あのね、今夜から私の家に泊まって。もう夜は寒いし、それにあの、もう他人とは思ってないから」と告げた。その夜、田島は風呂の用意をしようとする民子を呼び止め、「俺、辞めさせて下さい。旅に出ます」と切り出した。
 民子は激しく動揺し、「また、戻って来てくれるわけにはいかないの」と問い掛ける。すると田島は「実は俺、人を殺して警察に追われているんです」と打ち明けた。

 田島は民子に、妻が金貸しから借金をして首が回らなくなったこと、自殺した妻の葬儀に現れた金貸しの非道な言葉にカッとなって殺害したことを語った。その夜遅く、田島が戸を叩き、牛のミーコが苦しんでいることを民子に知らせる。ミーコは毒ゼリを食べて中毒を起こしたのだ。
 民子は獣医を呼び、田島は処置を手伝う。ミーコは助かり、獣医は早朝に立ち去った。田島が出て行こうとすると、そこへパトカーがやって来た…。

 原作・監督は山田洋次、脚本は山田洋次&朝間義隆、製作は島津清、製作補は小坂一雄、撮影は高羽哲夫、美術は出川三男、録音は中村寛、照明は青木好文、編集は石井巌、音楽は佐藤勝。

 出演は高倉健、倍賞千恵子、ハナ肇、吉岡秀隆、武田鉄矢、渥美清、畑正憲、木ノ葉のこ、鈴木瑞穂、杉山とく子、下川辰平、小野泰次郎、園田裕久、青木卓、粟津號、神母英郎、大竹恵、笠井一彦、篠原靖夫、土田桂司、高木信夫、入江正夫ら。

―――――――――

 『男はつらいよ』シリーズの山田洋次が監督を務めた作品。1970年の『家族』、1972年の『故郷』に続く“民子”3部作の3作目(全ての作品で倍賞千恵子が「民子」という名のヒロインを演じている)。
 耕作を高倉健、民子を倍賞千恵子、虻田をハナ肇、武志を吉岡秀隆、勝男を武田鉄矢、佳代子を木ノ葉のこ、駿一郎を鈴木瑞穂、房子を杉山とく子、終盤に耕作を護送する刑事を下川辰平が演じている他、人工授精師役で渥美清、獣医役で畑正憲が特別出演している。

 『遙かなる山の呼び声』というのは、やけに壮大なスケールを感じさせる題名だが、そこに直結するようなドラマや会話は無い。
 ただ、これは山田洋次監督がジョージ・スティーヴンス監督が手掛けた1953年のアメリカ映画『シェーン』から着想を得て作った映画なので、そういうタイトルになっているのだ(『シェーン』の主題曲である『The Call for Far-away Hills』の邦題が『遙かなる山の呼び声』だった)。『シェーン』なので、田島がシェーン、民子がマリアン、武志がジョーイということになる。

 民子は当然のことながら、最初は田島に対して強い不信感を抱く。「よからぬ行動を取るのでは」と警戒心を抱く。ただ、何しろ田島を演じているのが高倉健なので、観客は「絶対に変な行動を起こすことは無い」と分かっている。これが高倉と同期の今井健二や五味龍太郎だったら、そりゃ何が起きるか分からんけどさ(っていうか逆に、間違いなく民子に襲い掛かるだろ)。
 ってなわけだから、こっちは何のスリルも感じることなく、安心して観賞することが出来る。

 山田洋次監督の映画には、油断すると説教が飛び出すという癖(悪癖と言ってもいい)があるのだが、この映画では、そういう説教臭さは無い。
 ただ、田島が武志に身の上話を語るシーンの「おじさんの父さんも、おじさんがタケと同じぐらいの年に死んだんだ。仕事に行き詰まってな。借金が返せなくなって、家の近くの川の下で、首括って死んだんだ。おじさんの母さんな、その頃家に居なくてな。兄さんとリヤカー持って迎えに行ったんだ。橋の下で首括ってる父さんをリヤカーに乗せて、幌を被せてな。町の人が一杯見に来てな」という台詞は、すげえ怖いよ。まだ小学生の子供に、そんな重々しいことを喋るのかよ。
 まあ、そこは「実は、そこで喋っていた内容は父親のことじゃなくて、妻のことだったのでは」と匂わせる展開があるので、そこへ向けての伏線になっているんだけどね。

 コメディー・リリーフ的に1シーンだけ登場する渥美清の人工授精師はともかく(この映画におけるコメディー・リリーフの必要性は置いておくとして)、武田鉄矢の勝男が、あまり意味の無い使われ方をしているのは引っ掛かる。
 車で去る時に「なんか可哀想なんだよな、あの姉さん」と涙をこぼしているけど、その台詞に繋がるほど、牧場でのシーンに中身が無いんだよなあ。田島とは挨拶を交わすだけで、ほぼ絡んでいないし。

 民子は小学生の息子と2人暮らしなので、まだ良く知らない男である田島に対して、強い警戒心を抱く。それは女として当然のことだ。
 彼女は親族から牧場を売るよう勧められる中で、それに反発し、突っ張って生きている。周囲に弱いところを見せないように努めている。だから田島に対しても当然のことながら、弱いところを見られないようにしている。最初は、一定の心の距離を保っている。

 武志を馬に乗せて引っ張る田島を見た民子は、「そんなに警戒しなくてもいいのかも」と考えて、自分から身の上話を問い掛ける。だが、田島がぶっきらぼうな態度で心を閉ざすので、民子の方も距離を縮めようとはしなくなる。この時点では、田島は民子に取って、特に害は無いが、無愛想で取っ付きにくい男だ。
 そんな中、田島が虻田を追い払い、仕返しに来た三兄弟を捻じ伏せる出来事が起きる。ここで田島は、まず男の強さ、たくましさを民子にアピールしている(自らアピールするために行動したわけではなく、結果的にアピールに繋がったという意味だよ)。

 その後、民子がギックリ腰で倒れて入院している間に、武志が田島に懐く。退院した民子は、2人の仲睦まじい様子を目にする。ここで田島は、ただ強いだけの男ではなく、優しさや温かさも持っていることをアピールしている。秋が訪れると、田島は馬を颯爽と乗りこなし、頼れる男であることをアピールする。
 この頃には、民子はすっかり田島に心を許している。だから「辛くありませんか。仕事、辞めたいと思ったことありませんか」と問われて、「ホントのこと言うと、辛いわ」と本音を打ち明ける。それまで周囲に対して突っ張ってきた民子は、正直に弱音を吐くことが出来るほど、田島に心を許しているのだ。
 それは単に信頼しているというだけでなく、彼女の中には淡い恋愛感情も芽生えている。草競馬のシーンにおける田島、民子、武志の様子は、もはや疑似家族のように見える。

 田島が真実を打ち明け、牧場を去ることを告げた夜遅く、牛のミーコが苦しむ。民子は「あの子が死んだら大変なのよ。ウチで一番働いてくれる子なんだから」と、激しく狼狽する。気丈に振る舞うだけの余裕は全く無い。
 すっかり弱気になる民子に、田島は「大丈夫ですよ、奥さん、家に居なさい」と告げる。すると民子は「行かないで。どこへも行かないで。あたし寂しい」と抱き付く。初めて彼女は、何も包み隠さず、ストレートに気持ちをぶつけるのだ。だが、田島は獣医に呼ばれ、手伝いに戻る。

 ただし、そのタイミングで獣医が呼ばなかったとしても、田島が民子の気持ちを受け入れ、そこに留まろうとすることは無かっただろう。山田洋次作品の男は、そういう場面では必ずストイックに行動する。
 考えてみれば、『男はつらいよ』シリーズの寅さんも、珍しくマドンナの方が抱かれる気持ちになったり、誘うような態度を取ったりしても、それに乗ろうとはしなかった。山田洋次作品の恋愛劇は、情欲を抑制して描写されるのだ。

 当時の高倉健は誰もが認めるスター俳優だったので、彼が主演する映画は、もちろん「スター映画」ということになるのが普通だ。しかし本作品では、ちょっと様子が異なっている。
 ビリングトップは高倉健だし、表面上は彼のスター映画になっている。そして実際、そういう一面もある。ただ、それと同じぐらい、あるいはそれ以上に「倍賞千恵子がヒロインを務める映画」としての色合いが濃い。

 そうなっている要因としては、これが“民子”3部作であり、山田洋次監督が民子への思い入れを強く持って演出したということもあるだろう。ただ、それだけではなく、倍賞千恵子の芝居が素晴らしいのだ。
 山田洋次のライフワークとも言える『男はつらいよ』シリーズでも倍賞千恵子の存在は大きかったけど、ここでも彼女の演技力が見事に発揮されている。何より、ホントに可愛いんだよなあ。

 この映画で倍賞千恵子が演じる民子は、田島に仄かな思いを寄せるようになる。その気持ちをストレートに訴えるのではなく、まるで初恋をした少女のように、恥じらいを見せる。
 例えば「武志がね、こないだから気にしてるんだけど、いつまで居てくれるんですか」と質問し、田島が「奥さん次第です。別に、用事のある体じゃないです」と言うと、「武志が喜ぶわ、きっと」と口にする。

 もちろん、本当は彼女自身が、田島にずっといてほしいと思っている。だが、それを隠して、「武志が気にしている」ということにする。「奥さん次第です」と聞いて嬉しいのだが、それを隠そうとする。でも隠し切れていない。そして、草競馬のことを口にして、話題を逸らす。そこの恥じらいが、とてもキュートなのだ。
 「あのね、今夜からは私の家に泊まって。もう夜は寒いし、それにあの、もう他人とは思ってないから」と言うシーンも、やはり彼女の様子はキュートだ。

 田島が全てを打ち明けた夜遅く、民子は戸を叩く音で目を覚ます。田島だと知った彼女はドアを開け、「中入って、鍵閉めて」と襟元を正す。彼女は、田島が自分を求めてきたのだと思ったのだ。そして、抱かれるつもりだったのだ。
 ところが田島は、「奥さん、牛の様子がおかしいんだ」と言う。民子は「分かった、すぐ行く」と告げて小さく吐息を漏らし、着替えながら涙を拭く。その辺りの芝居も、ホントに魅力的なんだよなあ。

 田島はパトカーに乗り込み、武志は「おじさん、どこ行くの」と追い掛ける。『シェーン』になぞらえれば、そこがラストシーンになる。だが、この映画では、さらに続きが用意されている。
 冬になり、田島には懲役2年から4年の判決が下る。彼が列車で護送されていく途中の駅で、民子が乗って来る。田島が驚いていると、民子は通路を挟んだ席に座る。続いて虻田が現れ、民子の向かいに座る。

 虻田は田島に聞こえるように、民子に向かって「アンタ、牛飼い辞めて、中標津の町で働いているんだってね。息子と2人で何年も先に帰ってくる旦那を待ってるって話、ありゃホントかね。暮らしの方は心配ないのかい」と話し掛ける。
 民子は「虻田さんが色々と」と言い、虻田は「あのバカが。あれが親切に面倒見てくれるわけだ。良かった、ホントに良かった」と明るく語ってから、泣き顔になる。

 話を聞いていた田島も涙ぐみ、民子は刑事に「ハンカチ渡していいですか」と確認してから、彼にハンカチを渡す。田島はハンカチで目頭を押さえ、民子に向かって深々と頭を下げる。
 ヒューマニズムを大切にする山田洋次監督は、『シェーン』とは違って、「いつか必ず男は戻って来るだろう」というエンディングを用意している。このシーン、私も虻田と同じぐらい、涙がでグシャグシャになってしまった。

(観賞日:2013年1月19日)

この記事が参加している募集

#おすすめ名作映画

8,207件

#映画感想文

67,412件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?