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『スラムドッグ$ミリオネア』:2008、イギリス&アメリカ

 2006年、ムンバイ。その日も大人気のクイズ番組『クイズ$ミリオネア』の収録が開始された。1人目の解答者として登場したのは、地元出身のジャマール・マリクという青年だ。
 彼は司会者のプレーム・クマールから職業を問われ、携帯電話会社のオペレーター助手をしていると答えた。お茶汲みの仕事だと彼が説明すると、プレームは馬鹿にするような態度を取った。しかしジャマールは最終問題まで到達したため、プレームはイカサマだと確信して警察に連絡した。

 ジャマールは警察署へ連行され、警部と部下のスリニヴァスから暴力的な取り調べを受けた。「スラム育ちの野良犬に分かるはずがない」と警部が口にすると、ジャマールは「僕には答えが分かった」と告げた。警部はジャマールに詳しい説明を要求した。第1問は、「1973年のヒット映画『鎖』の主演俳優は?」という問題だった。
 幼い頃、ジャマールたちが暮らすスラムに主演俳優のアミターブ・バッチャンが来たことがあった。ジャマールは大事にしていた写真にサインを貰ったが、それを兄のサリームが勝手に売り払った。そのこともあって、ジャマールは主演俳優の名前を知っていた。

 第2問は、「インドの国章には3頭の獅子の姿が描かれているが、その下に書かれた言葉は?」という問題だった。誰でも知っている簡単な問題だったが、ジャマールは分からなかったので「オーディエンス」の権利を使って切り抜けた。
 3問目は「ラーマ神が右手に持っている物は?」という問題だった。ジャマールは幼い頃、ヒンズー教徒の集団に目の前で母親を殺された。焼き討ちにされるスラムから逃亡する途中、彼はラーマ神の格好をしている子供を目撃した。

 警官が全く助けてくれないので、ジャマールとサリームは途中で遭遇したラティカという少女と共にスラムから逃走した。サリームは一緒にいても足手まといだと考えるが、ジャマールは「彼女を三銃士の1人に加えてあげようよ」と持ち掛けた。逃亡途中にラーマ神の格好を見ていたので、ジャマールは3問目の答えが弓矢だと知っていた。
 4問目は「クリシュナ神の歌を書いた有名な詩人は?」という問題だ。ジャマールたちはゴミ処理場で生活を始めたが、そこへママンと呼ばれる男が手下と共に現れた。ママンは優しい言葉で孤児たちにコーラを与え、バスで自分の集落に連れて行った。食事も与えてもらい、ジャマールたちは優しい人物だと感じた。

 ママンの目的は、孤児に物乞いをさせたり路上で歌わせたりして金を稼ぐことだった。すぐに順応したサリームはリーダー的存在となり、より多く稼ぐために赤ん坊を使うことにも迷いが無かった。ジャマールやラティカも、ママンが悪人だとは全く思っていなかった。
 ママンは歌の上手いアルヴィンドという子供を薬で失神させ、スプーンで目を潰した。盲目の方が稼ぎが増えるからだ。ママンが子供たちに練習させていたのが、クリシュナ神の歌だった。

 ママンは同席していたサリームに、ジャマールを連れて来るよう指示した。サリームが迷っていると、ママンは「野良犬のままでいるか、俺のようになるか。運命は自分で決めろ」と告げた。サリームはジャマールを連れて行くが、隙を見て一緒に逃げ出した。
 様子を見ていたラティカも共に逃げ出し、3人は走行する列車へ向かう。ジャマールとサリームは飛び乗るが、ラティカは置き去りにされた。サリームが、わざと手を離したからだ。ラティカはママンの手下に捕まるが、ジャマールにはどうしようもなかった。

 ジャマールとサリームは電車で勝手に物を売り、金を稼いだ。車掌に見つかって追い出された2人だが、別の電車に乗り込んで屋根から食料を盗んだ。だが、それも気付かれてしまい、電車から放り出された。
 タージ・マハルに入った2人は、ツアーガイドが仕事をしている様子を目にした。ジャマールは観光客の夫婦からガイドと誤解され、時間外の案内を依頼された。金を渡されたジャマールは、デタラメな解説を語りながらタージ・マハルを案内した。

 それ以来、ジャマールはインチキな観光ガイドとして金を稼ぐようになった。それだけでなく、サリームと共に観光客が脱いだ靴を盗み、それを売る商売も始めた。サリームは孤児たちを率いて、チームで仕事をするようになった。
 ジャマールがガンジス川へアメリカ人夫婦を案内した時には、サリームと仲間たちが車の部品やタイヤを密かに盗み取った。オペラが上演されている野外劇場を見つけたジャマールは、観客の財布を仲間たちと共に盗むようになった。

 5問目は、「アメリカの百ドル札には、どの政治家の顔が描かれているか?」という内容だった。インチキな観光案内と盗みを続けていたジャマールは、ラティカが気になってムンバイへ戻ることにした。サリームは稼ぎが減ることを理由に反対するが、結局はジャマールに同行した。兄弟はレスラトンで働き始め、ジャマールはサリームが呆れるのも構わずラティカの捜索に駆け回る。
 ある日、ジャマールは路上で歌っているアルヴィンドを見つけた。百ドル札を渡したジャマールは、それが本物だと信じてもらうために特徴を説明した。相手がジャマールだと知ったアルヴィンドは、「君は幸運で、僕は違った。それだけのことさ」と告げた。その出来事があったため、ジャマールは5問目の正解も知っていた。

 アルヴィンドはジャマールにラティカの居場所を教え、ママンに気を付けろと忠告された。ジャマールはサリームと共に、ダンサーとして働くラティカを連れ出そうとする。そこへママンが来ると、サリームが拳銃を発砲して殺害した。3人はママンから金を奪って逃走し、ホテルに宿泊する。
 サリームはギャングの親分であるジャヴェトの元へ行き、話を付けて戻った。サリームはジャマールにコルト45を突き付け、ラティカを置いて出て行くよう要求した。ラティカが「行って」と言うので、ジャマールは2人を残して部屋を出た。「リボルバーを発明したのは?」という6問目の正解をジャマールが知っていたのは、この体験があったからだ。

 コールセンターで働き始めたジャマールは、オペレーターのデイヴから代役を頼まれる。多くのオペレーターは『クイズ$ミリオネア』の出演者募集に電話を掛けるため、その時間になると一斉に仕事を放りだすのだ。
 ジャマールは電話を掛けるベストのタイミングを知っており、オペレーターにアドバイスした。ジャマールは検索システムを利用し、ラティカを見つけ出そうとする。だが、あまりにもヒット数が多すぎたため、その中からラティカを見つけ出すのは不可能だった。

 ジャマールがサリームに変更して検索すると、15件がヒットした。ジャマールが順番に電話を掛けたと、サリームに行き当たった。電話の相手が弟だと気付いたサリームは、「あの日はママンの手下が来たのでホテルから逃げ出した」と釈明した。ジャマールはサリームと会い、怒りに任せて殴り付けた。
 サリームはジャヴェトの手下となり、その地域を仕切るようになっていた。ジャマールがラティカについて尋ねると、彼は「姿を消した」と告げる。だが、それは嘘だった。サリームを尾行してジャヴェトの豪邸を突き止めたジャマールは、ラティカが彼の愛人にさせられていることを知った…。

 監督はダニー・ボイル、共同監督はラヴリーン・タンダン、原作はヴィカス・スワラップ、脚本はサイモン・ボーフォイ、製作はクリスチャン・コルソン、共同製作はポール・リッチー、製作総指揮はポール・スミス&テッサ・ロス、共同製作総指揮はキャメロン・マックラッケン&フランソワ・イヴァネル、撮影はアンソニー・ドッド・マントル、美術はマーク・ディグビー、編集はクリス・ディケンズ、衣装はスティラット・アン・ラーラーブ、音楽はA・R・ラフマーン。

 出演はデヴ・パテル、タナイ・チェーダー、アーユシュ・マヘーシュ・ケーデーカル、フリーダ・ピント、タンヴィー・ガネーシュ・ローンカル、ルビーナ・アリ、マドゥル・ミッタル、アーシュトーシュ・ロボ・ガージーワーラー、アズハルディーン・モハメド・イスマイル、アニル・カプール、イルファン・カーン他。

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 インド人外交官のヴィカス・スワラップによる小説『ぼくと1ルピーの神様』を基にした作品。監督は『28日後...』『サンシャイン2057』のダニー・ボイル、脚本は『フル・モンティ』『シャンプー台のむこうに』のサイモン・ボーフォイ。
 現在のジャマールをデヴ・パテル、ラティカをフリーダ・ピント、マドゥルをマドゥル・ミッタル、プレームをアニル・カプール、警部をイルファン・カーンが演じている。アカデミー賞では作品賞を含む8部門を受賞し、他にも数多くの映画賞を獲得した。

 「出されるクイズの答えは全て(オーディエンスに頼ったり、プレームが罠を仕掛けた問題は別として)、これまでの人生でジャマールが体験した出来事に含まれていた」ってのは、あまりにも出来過ぎた話である。それを俗に「御都合主義」と呼ぶ。
 ここまで分かりやすい御都合主義ってのも珍しいが、ともかく普通であれば、それはマイナス査定に繋がる設定だ。しかし本作品の場合、むしろ「そういう設定であるべき」と言える。

 最初に意識しなきゃいけないのは、「これは寓話である」ってことだ。インドの貧しい子供たちが置かれている辛い立場、過酷な生活が描かれるので、リアリティーを意識した物語のように思えるかもしれない。しかし、「貧しい子供たちの辛い境遇」に関する描写も、ある意味では寓話性を高めるための仕掛けだ。
 プレームがジャマールを欺いて挑戦に失敗させようとするとか、警部が暴力的な尋問をするといった憎まれ役としての存在感をアピールしているのも、寓話としての誇張である。

 冒頭、「なぜジャマールは勝ち進むことが出来たのか?」という問い掛けが表示され、「A:インチキした」「B:ツイていた」「C:天才だった」「D:運命だった(英語ではIt’s writtenと記されている)」という選択肢が出る。
 もちろん、これは劇中にも登場する人気テレビ番組『クイズ$ミリオネア』(かつては日本でも放送されていた)のフォーマットになぞらえたモノだ。その答えは、最後になって示される。批評に必要なのでネタバレを書くと、答えはDだ。

 これまで学歴が優秀だったり、大学教授や医者など「先生」と呼ばれる職業に就いていたりする面々が何人も番組に挑戦したが、誰も最後まで辿り着くことは出来なかった。それどころか、最終問題の遥か手前でチャレンジに失敗していた。
 そんな中、スラム出身であり、何の学歴も無いコールセンターのお茶汲みであるジャマールが、難問を全てクリアして一千万ルピーに到達するなんてことは異常な事態だ。プレームや警部がインチキだと確信するのも、分からないではない。

 最初の段階で観客は、なぜジャマールが一千万ルピーに到達できたのかという答えを知らない。それでも、「A:インチキした」という答えじゃないことは何となく分かるだろう。それを除外して残る選択肢は、「B:ツイていた」「C:天才だった」「D:運命だった」の3つになる。
 だが、ここで思うのは、「どれが正解だったとしても、あまりスッキリするオチにならないんじゃないか」ってことだ。「ラッキーだったから全て正解した」とか「それが運命だったから正解した」ってのは、本人の能力が全く要らないってことになる。また、「天才だったから」ってのは、あまりにも御都合主義が過ぎるんじゃないかってことになる。

 しかし前述したように、この映画が用意している正解は「D:運命だった」というモノだ。まずミステリーとしては反則だが、そもそもミステリー映画という意識で鑑賞する人は少ないだろうから、そこは良しとしよう。しかし「ミステリーか否か」ってことを抜きにしても、映画のオチとして「運命だったから全問クリアできる」ってのは、ちょっと引っ掛かるモノがある。
 それは大枠で言うならば、色んな伏線を放り出し、最終的にデウス・エキス・マスナに頼って話を片付けてしまう類のポンコツ映画と同じになってしまうんじゃないかと思ったりするのだ。

 オーソドックスに考えれば、「主人公が努力した結果として、幸せや成功を掴み取る」という形にした方が望ましい。何の努力もせず、ただ「ラッキー」や「運命」ってだけで幸せや成功を手に入れるような主人公は、あまり共感を誘わないと思うからだ。
 ただしジャマールの場合、何の努力もせず自堕落に生きて来たわけではなく、ある1つの目的に対する努力は惜しんでいない。それは「ラティカへの愛」という部分に関する努力だ。彼は月日が経過しても決してラティカのことを忘れず、見つけ出そうとしている。

 ジャマールが番組に出演するのも、「大金を手にしたいから」ってのが理由ではない。大人気の番組に出演すれば、ジャヴェトに捕まっているラティカも見るだろうと思ったからだ。「一途な愛」を持ち続け、そのためにジャマールは幼い頃から何度も行動してきたのだ。
 ジャマールは決して、クイズで勝利するための努力をしたわけではない。だが、「幼い頃から過酷な人生を過ごしていた」「ラティカを一途に思い続けた」という2つの要素によって、ジャマールは観客の共感や同情を誘うキャラクターになっている。

 とは言え、ではジャマールが「ラティカに対する愛」という部分で頑張った結果、それが全問正解に繋がったのかというと、そうではない。そんなことは全く無関係で、「それが運命だったから」ということで全問正解に到達するのだ。
 しかし、ここで重要なのは、「ではジャマールが頑張った結果として幸せを掴んだ」という形にすれば丸く収まるのかってことだ。これが丸く収まらないのである。何しろ、彼だけでなく、同じように辛い境遇にあった孤児たちだって、みんな生活のために頑張ってきたのだ。

 ママンの下で「金を稼ぎたい」「幸せになりたい」と思って頑張った孤児たちは、ジャマールの他にも大勢いる。アルヴィンドも、その1人だ。彼は歌を覚えて上手く歌い、ママンに気に入ってもらえれば金持ちになれると信じていた。だから、彼は頑張って歌を覚えた。
 ところが彼は、スプーンで目を潰されてしまう。つまり、彼は頑張ったのに、待ち受けていたのは不幸な結末だった。彼とジャマールの違いは、本人が言うように「ツキがあったかどうか」だ。頑張っても、努力が必ずしも報われるわけではないのだ。

 そういう意味では、「運命だったから」という答えにしてあるのは正解と言えるのだろう。ただし、これを「ジャマールとラティカのラブストーリー」として受け取れば「大金をゲットしたし、ジャマールとラティカと再会できたし、全面的にハッピーエンド」と言えるのだが、その裏でサリームは死んでいる。
 サリームは「贖罪としての死」と解釈するにしても、アルヴィンドを始めとする多くの孤児たちは、過酷な生活を続けている。だから、実のところ「頑張っても報われるとは限らない。全ては運命によって、あらかじめ定められている。世の中は不公平なのだ」という、非常で冷酷なメッセージを発する映画と捉えることも出来なくはないのだ。

(観賞日:2016年1月28日)

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