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『遠い空の向こうに』:1999、アメリカ

 1957年10月、ウエスト・ヴァージニア州コールウッド。この炭坑町で、高校生のホーマー・ヒッカムは父のジョン、母のエルシー、兄のジムと4人で暮らしている。ジョンは炭坑の責任者で、仲間からの信頼も厚い。炭坑では人減らしの問題が生じており、ジョンも頭を悩ませている。
 ジムはフットボール部で活躍しており、ホーマーも入部テストを受けた。だが、何も出来ずにタックルで吹き飛ばされるだけで、コーチのゲイナーから不合格を言い渡された。

 ソ連は遂に人類初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功し、コールウッドでも大きな話題となった。星空を飛ぶスプートニクを目にしたホーマーは、手作りのロケットを打ち上げてみたいと思った。
 家族に話しても相手にされなかったが、ホーマーは本気だった。彼は友人のロイとオデルを誘い、懐中電灯に火薬を詰め込んだ手製ロケットを作った。しかし打ち上げは上手く行かず、家のフェンスを壊してエルシーから叱られてしまった。

 ホーマーは、周囲から敬遠されている数学オタクのクラスメイト、クエンティンを仲間に引き入れた。ホーマーは仲間とロケットの製作を続けながら、ロケット研究の第一人者であるドイツ人のフォン・ブラウン博士に手紙を送った。
 ホーマーはクエンティンからノズルが必要だと言われ、炭坑の工場で勤務するブコフスキーに手助けを求めた。ブコフスキーは「ジョンに見つかったら大変なことだ」と言いつつも喜んで協力し、立派なノズルを作ってくれた。

 学校にノズルを持って行ったホーマーは、それをターナー校長に見つかって取り上げられそうになった。そこへ物理教師のミス・ライリーが現れ、「自分が持って来るよう指示した」と助け舟を出してくれた。
 ライリーはホーマーたちに、全米科学コンテストヘの出場を勧めた。コンテストで優勝すれば、大学で学ぶための奨学金を出してもらえるのだという。

 ホーマーたちのロケット、AUK-1号が完成した。しかし打ち上げると真っ直ぐに飛ばず、炭坑に突っ込んでしまった。被害は出なかったが、ホーマーはジョンから敷地内での打ち上げを禁止された。
 しかし彼は諦めず、遠方の空き地で打ち上げ実験を続けることにした。ホーマーは仲間と共に新たな打ち上げ基地へ赴き、そこをケープ・コールウッドと名付けた。

 発射台にセメントが必要となり、ホーマーはジョンに事情を説明した。「バカなことはやめろ」と反対姿勢を崩さないジョンだが、余っているセメントを息子に分け与えた。
 ホーマーはブコフスキーが地下の仕事に移ったと知り、自分のせいでジョンに異動を命じられたのだと考える。しかしブコフスキーはホーマーに、親族を食わせるために稼ぎのいい地下へ移ったのだと語った。

 ブコフスキーに代わって、新たに工場勤務のボールデンが手伝ってくれることになった。ボールデンは打ち上げに失敗したロケットを調べ、ホーマーが溶接したノズルの穴が発射熱に負けたのだと説明する。
 もっと強い棒材を注文しておいてやるとボールデンは言うが、ただし値段が張るという。そこでホーマーたちは廃線になった鉄道ののレールを拝借し、それを売って金を工面した。

 棒材を強化しても、やはり打ち上げの失敗は続いた。そこでクエンティンの提案で、推進剤を純度100パーセントのアルコールに変更した。自信作のロケット打ち上げに赴くと、大勢の野次馬が集まっていた。ジムが面白がって皆に知らせたのだ。
 ほぼ全員が、バカにした目でホーマーたちを見ていた。しかし、ホーマーたちのロケットは打ち上げに成功し、皆は喝采を送った。

 誕生日を迎えたホーマーの元に、フォン・ブラウン博士から手紙が届いた。ジョンとエルシーが密かに手はずを整えたのだが、2人はホーマーには内緒にした。ライリーからは、誘導ミサイル設計理論の本を貰った。
 ホーマーが帰宅すると、ウエスト・ヴァージニア大学のフレッド・スミスという男が来ていた。彼のスカウトで、ジムは奨学金で大学に入れることになったのだという。

 次の打ち上げ実験にも成功し、ホーマーたちのことはローカル紙にも掲載された。喜んで学校へ赴いたホーマーたちの前に、いきなり警官が現れた。山火事が発生し、現場近くにロケットが落ちていたため、ホーマーたちの打ち上げが原因とされたのだ。
 ホーマーたちは学校で手錠を掛けられ、連行された。逮捕は免れたものの、ホーマーはジョンから酷く叱られた。

 ディスコへ出掛けたホーマーは、好意を寄せるドロシーをダンスに誘おうとするが、ジムに先を越されてしまった。落ち込んで店を出たホーマーは、クラスメイトのヴァレンタインに励まされた。
 2人で車に乗って帰宅したホーマーは、炭坑で大事故が発生したと聞いた。慌てて駆け付けると、ブコフスキーが命を落としていた。ジョンの活躍もあって、被害は大きくならずに済んだ。しかし、事故のせいでジョンは重傷を負い、入院することになった。

 ホーマーは家計を支えるため、高校を退学して炭坑夫になることを決めた。やがてジョンも仕事に復帰するが、ホーマーは炭坑での仕事を続けた。
 そんな中、彼は友人たちからライリーが不治の病に冒されていることを聞いた。会いに出掛けたホーマーは、ライリーから「自分の心の声を聞きなさい。貴方は一生を炭坑で終える人間じゃないわ」と告げられた。

 ホーマーは誘導ミサイル設計理論の本を読み、ロケットの高度と距離を計算した。そして彼は、山火事がロケットのせいではないと証明した。
 ホーマーは仕事を休んだことを注意する父に、「もう炭坑では二度と働かない」と宣言する。「僕は宇宙へ行くんだ」と彼は告げ、再び仲間と共にロケット打ち上げに没頭する。ジョンは、無言でその場から立ち去った。

 ロケット・ボーイズは地域代表として賞を授与し、インディアナポリスの科学コンテスト本選出場を決めた。しかしターナーから、1人分しか旅費が捻出できないと言われてしまう。仲間3人は、ホーマーが行くべきだと勧めた。
 ホーマーは父と言い争いになり、険悪な状態のままインディアナポリスのコンテスト会場へ赴く。会場での評判は上々だったが、展示していたロケットが盗まれる…。

 監督はジョー・ジョンストン、原作はホーマー・ヒッカムJr.、脚本はルイス・コリック、製作はチャールズ・ゴードン&ラリー・フランコ、製作総指揮はマーク・スターンバーグ&ピーター・クレイマー、撮影はフレッド・マーフィー、編集はロバート・ダルヴァ、美術はバリー・ロビソン、衣装はベッツィー・コックス、音楽はマーク・アイシャム。

 出演はジェイク・ギレンホール、クリス・クーパー、ローラ・ダーン、ウィリアム・リー・スコット、クリス・オーウェン、チャド・リンドバーグ、ナタリー・キャナデイ、エルヤ・バスキン、クリス・エリス、スコット・マイルズ、ランディー・ストリップリング、コートニー・フェンドレー、デヴィッド・デューイヤー、テリー・ラフリン、カイリー・ホリスター、デヴィッド・コープランド、ドン・ヘンダーソン・ベイカー、トム・ケイギー他。

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 後にNASAの科学エンジニアとなったホーマー・ヒッカム・ジュニアの自伝的小説『ロケット・ボーイズ』を基にした映画。
 原題の「October Sky」は、「Rocket Boys」を並べ替えた美しいアナグラム。ただし邦題も悪くない。
 ホーマーをジェイク・ギレンホール、ジョンをクリス・クーパー、ライリーをローラ・ダーン、ロイをウィリアム・リー・スコット、クエンティンをクリス・オーウェン、オデルをチャド・リンドバーグ、エルシーをナタリー・キャナデイが演じている。

 実話に即しているとは言え、もちろん全てが本当というわけではなくて、例えばホーマーが実際にはフォン・ブラウンと会っていないなど、幾つかのフィクションはある。そんなのは当然のことだ。
 ラストは『アメリカン・グラフィティ』や『スタンド・バイ・ミー』と同じ方式で、ロケット・ボーイズ4名やホーマーの両親の「その後」が紹介されるが、現実に存在したシャーマン・シアーズとジミー・オデルの2名をオデルという1人のキャラにしてあるので、そこにもフィクションがある。

 夢を追う若者たちを描いた青春映画である。ざっくり言うならば、何の変哲も無い話だ。
 だが、この映画を「使い古された要素で構成された、ありきたりで凡庸な作品」だとは思わない。
 例えば、安物の十徳ナイフと、名匠と呼ばれる人物が丹念に仕上げた最高級のナイフを比較して、後者を「何の変哲も無い、ただのナイフだ」と貶めることは無いだろう。そういうことだ。

 この映画は、とてもオーソドックスなモノを何の捻りも無く作っている。だが、細かい部分まで丁寧に手を入れ、シンプルだが質の高いモノとして仕上げている。だから、その愚直すぎるほどストレートな感動ドラマが、胸を熱くさせるのだ。
 私は本作品を見るのが今回で3度目だったが、それでも涙した。まあ涙腺が脆いってのはあるけれど、良い映画だと思うのよ、ホント。

 ロケットを飛ばすというのは、最初はホーマー個人の夢だった。仲間3人が加わり、それは4人の夢になった。最初は父親に反対され、周囲の人々もバカにしたような目で見ていた。
 だが、やがてブコフスキーやボールデンといった協力者も現れ、バカにしていた野次馬も応援するようになる。応援の声が増え、やがてロケット打ち上げは町全体の夢へと膨らんでいく。
 たった1人の少年の強い思いが、やがて町全体を突き動かす大波へと成長するのだ。

 イギリス映画ほどではないにしろ、やはり炭坑町を舞台にした作品では哀切が付き物だ。この作品でも、鉱山の閉鎖や首切りといった暗いニュースがあるし、炭坑での落盤事故という悲劇が待っている。
 炭坑に依存した町の暮らしには、もはや明るい未来は見えない。
 そんな中で、だからこそロケット打ち上げは町にとっての希望の光となるのだ。地に希望を見失った人々が、天に希望を見出すのだ。

 「夢に向かって若者が頑張る」という要素の他に、ここには「父子の絆のドラマ」というモノもある。
 父は炭坑一筋に生きてきた頑固者で、夢を追い続ける息子の行動には強く反対する。しかし、ただ頭ごなしに反対するだけでなく、発射台に使うセメントを分けてやったり、誕生日にはフォン・ブラウン博士の手紙が届くよう手配したりという優しさもある。

 ジョンは昔気質の頑固者だが、イヤな男ではない。部下を思いやる優しさを持ち、正義感と義侠心に溢れた熱い男である。
 だから彼がホーマーを責めても、1ミリたりとも反感を抱くことは無い。
 このジョンの存在が強烈なのは、クリス・クーパーの名演によるトコロも大きい。というか、彼は出演した大半の映画において名演を見せているわけだが。

 コールウッドの町では、フットボールの奨学金を貰えるごく一部の若者だけに、夢を見る権利が与えられている。それ以外の人々は人生に何の期待もせず、希望を持たず、ただ漫然と日々を過ごすことを強いられる。
 閉塞感に包まれた場所にいることが我慢できず、ホーマーは抜け出そうとする。ロケット打ち上げは、町からの脱出にも繋がることなのだ。
 父は皆の尊敬を集める偉大な人物、兄はフットボールのエリートという家庭環境で、ホーマーの中には劣等感もあっただろう。だから彼は別の道で輝こう、夢を持とうとする。

 ホーマーは炭坑町に未来が無いことを確信しており(それは思い込みではなく事実であり、町の人々も分かっている)、炭坑夫になることを嫌っている。
 だが、彼は炭坑夫として頑張ってきた父の生き方を否定するわけではない。むしろヒーローとして認め、尊敬している。だから彼は、フットボールで奨学金をもらえた兄のように、自分も別の道で父に認めてもらいたいと願っている。

 ホーマーが父から「(コンテスト会場で)フォン・ブラウン博士に会ったんだろう、お前のヒーローに」と言われ、「僕の目標は父さんみたいになること。博士は優れた科学者だけど、僕のヒーローじゃない」と告げる。いいシーンだ。
 で、家族関係としては父子の関係がメインなので、母親は分が悪い。とは言え、科学フェアで困っている息子を助けるため、ジョンの元へ赴いて説き伏せるという見せ場は与えられている。

 この映画には、根っからの悪人は一人も登場しない。ターナー校長でさえ、山火事の一件が潔白だったと判明してからはホーマーたちを応援する。
 善意に満ち溢れた映画であり、それが善意の押し売りのように鼻に付くことも無い。善意に包まれていることを好意的に見られる作品として仕上がっている。
 オールディーズ・ヒットに乗せたダイジェスト処理のタイミングやバランス調整も、上手く行っている。丁寧に作られているが、肩肘張ってクソ真面目というわけではなく、適度な緩和、ユーモラスな雰囲気も取り込んでいる。清々しい佳作だ。

(観賞日:2008年3月2日)

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