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『旅情』:1955、イギリス&アメリカ

 ヴェネツィアへ向かう列車の中で、オハイオ州出身のジェーン・ハドソンは窓からの景色をカメラで撮影する。彼女は向かいの座席に座る中年紳士が何度かヴェネツィアへ来ていると知り、楽しめるかどうか尋ねる。紳士は彼女に、「人によって感じ方は違うが、大抵の人は気に入る」と告げる。
 ジェーンが駅で降りると、宿泊するペンシオーネ・フィオリーニからの迎えは来ていなかった。そこで彼女はポーターに案内され、水上バスに乗り込んだ。水上バスが出発すると、別の船に乗った先程の紳士が「楽しんで」と手を振った。

 ジェーンは水上バスで移動中、イリノイ州出身のロイド・マキルヘニーと妻に出会った。会話を交わしたジェーンは、2人が夫の退職後にヨーロッパ各地を巡っていることを知った。夫妻も同じ宿で宿泊する予定だったが、買い物があるというのでジェーンが先にペンシオーネへ赴いた。
 経営者のフィオリーニ夫人は客室係のジョヴァンナを呼び、4号室へ荷物を運ばせた。夫人はジェーンと酒を飲み、元々は自宅だったが夫の死と戦争がきっかけで宿に変えたのだと話した。

 宿にはジェーンとマキルヘニー夫妻の他に、画家のエディー・イエガーと妻のフィルが泊まっていた。後から到着したマキルヘニー夫妻も加わり、ジェーンたちはバルコニーで少し会話を交わした。
 マキルヘニー夫妻の失礼な発言に、フィオリーニ夫人は不快感を示した。彼女は男友達とディナーに行くことをジェーンに話し、一緒に来ないかと誘った。ジェーンが遠慮して「今夜は1人で食事するわ」と告げると、夫人は「奇跡を望んでるなら、そのための行動も必要よ」と告げた。

 ジェーンは1人だけバルコニーに残り、しばらく街の様子を眺めている内に泣きそうな表情を浮かべた。彼女が街へ散歩に出掛けると、マウロという少年が「ゴンドラに乗らないか」と執拗に付きまとう。「家に帰りなさい」とジェーンが言うと、彼は「家なんか無い。船に住んでる」と告げた。
 絵葉書を見せられたジェーンは金を渡し、「これで食べ物を買って」と告げた。しかし彼女は絵葉書のデザインが気に入らなかったため、それはマウロに返した。ジェーンはマウロと別れて街を散歩し、サン・マルコ広場のカフェで休憩する。彼女は近くの席にいたイタリア男が見ているのに気付き、清算を済ませて店を去った。

 翌日、ジェーンはマウロの案内で街を巡り、彼と別れて買い物に出掛けた。骨董品店に飾られている赤いグラスが気に入った彼女は中に入り、そこにいた青年に値段を尋ねた。すると奥から店主のレナート・デ・ロッシが現れ、18世紀の品物で1万リラだと告げる。
 レナートが前日の男だと気付いたジェーンは顔を強張らせ、1万リラを支払って早々に去ろうとした。するとレナートは値切るよう促し、「それも取り引きの一部です」と告げる。ジェーンは「不公平だわ」と断るが、レナートが8700リラに値引きするというので承知した。同じグラスが見つかったら知らせると彼は告げ、ジェーンは宿泊先を教えた。

 次の日、ジェーンはフィルからハリーのバーへ行くと聞かされ、「私も付いていっていい?一杯おごるわ」と持ち掛ける。しかしエディーが「人と会うんだ」と難色を示したため、「じゃあ楽しんで」と遠慮した。
 ジェーンが広場のカフェへ赴くと、しばらくしてレナートが姿を見せた。ジェーンは笑顔になるが、レナートは挨拶しただけで立ち去った。翌日、ジェーンはマウロと遭遇し、サン・バルナバ広場へ案内してもらう。ジェーンは骨董品店に立ち寄るが、レナートは不在だった。

 写真を撮ろうとしたジェーンは、誤って川に転落した。大勢の人々が駆け付けて、ジェーンを助けた。ジェーンが宿へ戻って着替えると、レナートがやって来た。彼は店番をしていたのが姉の息子だと告げ、「貴方に会いに来た」と言う。
 しかしグラスは見つかっていないと彼が話すので、ジェーンは宿へ来た理由を訊く。するとレナートは「僕が来るのは分かっていたでしょう?僕が来て当惑したが、今は喜んでいるはず」と述べ、ジェーンは「イタリア人とは違うの。私はアメリカ人よ」と口にした。

 レナートは構わずジェーンを口説き、「貴方に惹かれたから会いに来た。僕らは互いに好意を抱いている」と言う。一緒に出掛けないかと彼が誘った時、マキルヘニー夫妻が買い物から戻った。2人は工房で作られた6つのグラスを購入したと話すが、それはジェーンが買った物と同じだった。
 夫妻が去った後、ジェーンはレナートが嘘をついたと感じて激怒した。レナートは「グラスは同じデザインがずっと受け継がれる。貴方が買った物は、紛れもなく18世紀の品だ」と告げ、泣いていたジェーンは受け入れた。

 ジェーンはレナートから「カフェの広場でロッシーニのコンサートがある」と誘われ、一緒に出掛けた。しばらくコンサートを楽しんだ後、レナートはジェーンを散歩に連れ出してキスをした。ジェーンもキスを返し、翌日8時に会う約束をした。
 次の日、ジェーンは朝から街に出掛け、髪やネイルを整えた。彼女は新しい靴やドレスを揃え、カフェへ出向く。そこへヴィトーという少年が現れ、「アントニオから伝言を頼まれました。少し遅れるそうです」と告げた。ジェーンは彼と話し、アントニオの息子だと知る。アントニオが結婚していると知ったジェーンは、激しいショックを受けた…。

 監督はデヴィッド・リーン、原作はアーサー・ローレンツ、脚本はH・E・ベイツ&デヴィッド・リーン、製作はイルヤ・ロパート、製作協力はノーマン・スペンサー、撮影はジャック・ヒルデヤード、美術はヴィンセント・コーダ、編集はピーター・テイラー、音楽はアレッサンドロ・チコニーニ。

 出演はキャサリン・ヘプバーン、ロッサノ・ブラッツィー、イザ・ミランダ、ダーレン・マクギャヴィン、ジェーン・ローズ、マリ・アードン、マクドナルド・パーク、ガエターノ・アウティエロ、ジェレミー・スペンサー、ヴァージニア・シメオン他。

 アーサー・ローレンツによる戯曲を基にした作品。『逢びき』『大いなる遺産』のデヴィッド・リーンが監督と脚本を担当している。『紫の平原』の原作者である小説家のH・E・ベイツが、共同で脚本を手掛けている。NY批評家協会賞の監督賞を受賞し、アカデミー賞では監督賞と主演女優賞にノミネートされた。
 ジェーンをキャサリン・ヘプバーン、レナートをロッサノ・ブラッツィー、フィオリーニ夫人をイザ・ミランダ、エディーをダーレン・マクギャヴィン、マキルヘニー夫人をジェーン・ローズ、フィルをマリ・アードン、マキルヘニーをマクドナルド・パーク、マウロをガエターノ・アウティエ、ヴィトーをジェレミー・スペンサーが演じている。

 ストーリー進行は、ものすごくノロい。特に序盤は、そのノロノロ運転が強く感じられる。なぜなら、まるで話が先に進まないからだ。「ジェーンがヴェネツィアに到着し、宿へ行き、街へ出掛ける」というだけで、30分ほど経過してしまうのだ。
 この間に、ドラマと呼べるような出来事は見当たらない。導入部の列車シーンで中年紳士と出会い、水上バスで移動する時も彼は再登場して手を振っているので、後からジェーンと関わる重要なキャラクターなのかと思いきや、そこで出番は終わってしまう。だったら、そんな意味ありげに大きく扱っている意味は何なのかと。

 ともかく、始まってから30分ほどの内容を大まかに言ってしまえば、「ジェーンがヴェネツィアに到着した」という一言で終わってしまう。それぐらい、話が全く進んでいないのだ。それでも、当時ならOKだったのだ。
 この頃の海外ロケを行った作品は、観光映画としての一面もあった。当時の大半のアメリカ人からすれば、イタリアは遠くて行けない場所だった。なので、有名な観光スポットばかりを巡っているわけではないが、ほぼ話が進まなくても成立するのだ。それを今の感覚で鑑賞すると、ちと厳しいことになるわけだ。

 ジェーンは列車で出会った紳士にも、水上バスで出会った夫妻にも、宿で出会ったフィオリーニ夫人にも、接触的に話し掛けている。饒舌に会話し、明るい様子を見せている。なので今回の旅を心から楽しんでいるのかと思いきや、バルコニーで1人になると泣きそうな表情に変貌する。
 実は孤独を抱えており、癒しや温もりを求めているってことなのだ。出会った人々とは、その場限りでの親しさはあっても、ジェーンの心を本当に慰めてくれる存在にはならないってことだ。

 ただ、その後で街を観光している時やカフェでお茶している時なんかは、楽しそうな様子を見せているのよね。なので、「実は寂しさを抱えている」という仕掛けとして涙のシーンを設けているはずなのだが、あまり上手く機能しているようには思えない。
 レナートの視線に気付いてカフェを去った後は一人で寂しそうに佇むし、バーへ出掛けるイエガー夫妻への同行を遠慮した直後も寂しそうな様子を見せるし、そうやって「彼女の抱える寂しさ」をアピールしようという箇所は何度もある。ただ、やや観客の想像に委ねる部分が大きくなりすぎているかなあという印象はある。

 ジェーンは前述したように、列車や水上バスでは初めて出会った相手でも積極的にコミュニケーションを取っていた。それを考えると、カフェでレナートの視線に気付いた時、気味悪がって早々に立ち去るってのは引っ掛かる。
 嫌悪感を抱いたにしても、「何ですか?」とか喋るような反応の方が整合性は取れるんじゃないかと。相手がイタリア人だと分かったから、声を掛けなかったってことなのか。それとレナートの方も、ただニヤニヤして無言で見つめるだけってのは、不自然じゃないか。

 レナートの視線を感じたジェーンがカフェを去って一人で佇むシーンから暗転になり、マキルヘニー夫妻がゴンドラで観光している様子が写し出される。その後にはジェーンがマウロと街にいるシーンになるのだが、そこは翌日になっている。
 でも、ジェーンがマウロに小遣いをせびられて「昨日あげたでしょ」と言うまで、そのことが分かりにくい。「当時は暗転が一日の経過を意味していた」というわけでもないはずだし、そこは丁寧さが欠けているかなと。

 ジェーンはカフェでレナートへの嫌悪感を示して早々に立ち去ったが、骨董品店で再会したら、一気に気持ちが変化している。どうやら簡単に好意を抱いたらしく、宿に戻って友人夫婦に手紙を書く時には「私たちは4人組になるかもしれません」とまで綴っている。
 ここでハッキリするのは、彼女が求めていたのは旅先の友人ではなく恋の相手だったということだ。ヴェネツィアという街が彼女を浮かれさせ、下品な言い方だが発情させているのだ。

 ジェーンはレナートのことを妄想するだけでニヤニヤしてしまい、同じ場所で再会することを期待してカフェへ出掛ける。その直前にはイエガー夫妻に同行を断られて悲しそうな様子を見せていたが、レナートのことを想像した途端、すぐに頬が緩むのだ。
 もはや彼女は、ほぼ確信のように再会できることを期待してカフェで待ち受けている。しかしレナートは手練れなので、軽く挨拶しただけで去ってしまう。プレイボーイなので、そこは焦らすのだ。

 レナートは宿を訪れた時、歯の浮くような台詞をスマートに告げて分かりやすく口説く。カフェでは焦らしておいて、そこは回りくどい手口を使わずストレートに愛の言葉をぶつける。「貴方は僕のことを好きだ」と決め付けて、やや高飛車にも思えるような自信満々の態度で口説く。
 だが、ジェーンは全く不快感を抱かない。何しろ浮かれモードに突入しているので、そんな自信たっぷりの態度も魅力にしか感じないのだ。

 ジェーンはグラスのことで、「レナートは骨董品だと嘘をついていた」と憤慨する。だが、ちょっと優しい口調で口説かれるだけで、あっさりと機嫌を直す。
 突然のキスには「もう会わない」と拒絶するような言葉を告げるが、レナートに抱き締められると、今度は自分からキスを求めて「愛してる」と言う。恋愛に関してはレナートの方が一枚も二枚も上手であり、ジェーンは完全にのぼせ上がって冷静な判断力を失っている。

 ジェーンはアントニオが結婚して2人の子供もいると知り、ショックを受ける。しかしアントニオは彼女に問い詰められても全く悪びれず、それどころか「責めるなんて御門違いでしょ」みたいな態度を取る。「僕は男で君は女だ。なのに君は間違っていると理屈をこねる。
 飢えているのにラビオリは嫌で、ステーキがいいと不満を言う。飢えてるなら目の前のラビオリを食べろ」と、堂々と語る。つまり、彼は「君は若くてイケメンの王子を求めているかもしれないが、男を欲しがっているトコに家族持ちの自分が現れたんだから、とりあえずセックスするのが当たり前でしょ」と主張しているのだ。

 アントニオはメチャクチャな理屈で不倫を正当化しているのだが、惚れた弱みってことなのか、ヴェネツィアという場所やバカンスという状況がそうさせたのか、ジェーンは簡単に丸め込まれる。デートに出掛けて楽しい時間を過ごし、セックスする。
 飛び立つ鳥の群れを見て、ようやく「人生で最高に幸せだが、2人の関係に未来は無い」と気付く。アントニオが説得して引き留めようとしても、今回は気持ちが揺らがず帰国することを選ぶ。こうして、アメリカ女の夢のようなアバンチュールは終わりを迎えるのだ。

(観賞日:2018年2月26日)

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