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『時計じかけのオレンジ』:1971、イギリス&アメリカ

 アレックスは仲間のピート、ジョージー、ディムと共に夜道を歩いている途中、酔っ払って歌っているホームレスの老人を見つけた。彼らは老人を嘲笑しながら、激しい暴行を加えた。廃墟のカジノでは、ビリー・ボーイの率いる5人組が少女を輪姦しようとしていた。
 そこへアレックスたちが現れ、挑発して喧嘩を吹っ掛けた。ビリーの一派が挑発に乗ると、アレックスたちは一方的に叩きのめした。そこへ警察が来たので、アレックスたちは逃亡した。

 アレックスは仲間を車に乗せ、猛スピードで走らせる。人をひきそうになっても、対向車と衝突しそうになっても、彼は構わずにスピードを上げた。車を降りた4人は、作家のアレクサンダーが妻と暮らす邸宅を見つけた。
 アレックスたちは「酷い事故を起こして助けが必要なので、電話を貸してほしい」と嘘をつき、ドアを開けさせた。4人はアレクサンダーを取り押さえ、妻を輪姦した。アレックスは仲間にだけは優しいというわけでもなく、高圧的な態度を取った。

 アレックスが市営住宅へ戻ると泥棒でも入ったかのように散らかっていたが、彼は気にしなかった。アレックスの部屋は綺麗に片付いており、彼は引き出しで飼っている蛇を愛でながら音楽を楽しんだ。
 翌朝、母親がドアをノックして起こすと、アレックスは頭痛がするので学校を休むと告げた。その週はずっと休んでいるが、母は無理に起こそうとしなかった。両親はアレックスから「毎晩働いている」という説明を受けており、深く追及したり疑ったりすることは無かった。

 アレックスは両親が出掛けてから起床し、シャワーを浴びる。そこへ更生委員のデルトイドが現れ、母親から鍵を預かったことを告げる。彼はアレックスの悪行を知っており、ビリーの一派が病院送りになったことを語る。デルトイドは「例によって証拠は出なかった」と言い、アレックスに警告した。
 レコード店へ出掛けたアレックスは2人の少女をナンパし、家に連れ込んで3Pを楽しんだ。彼が部屋を出ると、仲間の3人が待っていた。彼らはアレックスに、待っていたのに来なかったので捜し回ったと告げた。

 アレックスは3人の態度に腹を立て、ディムに詰め寄った。ジョージーが「イビるなよ。新体制に変えたんだ」と言うと、アレックスは説明を要求した。ジョージーは「コソ泥程度じゃ稼ぎが知れてる。ウィルと組んで貴金属やダイヤを売り捌いてもらう」と語り、リーダーの交代を告げる。
 アレックスは受け入れたように見せ掛け、ディムたちを暴行して再び支配下に置いた。彼はジョージーに、今夜の計画を話すよう要求した。ジョージーたちが狙っていたのは、猫を飼っている金持ちのウィザース夫人だった。

 その夜、アレックスたちはウィザース夫人の家へ行き、事故で怪我人がいるので電話を貸してほしいと頼む。夫人はドアを開けず、不審を抱いたので警察に電話をかけてパトカーを手配してもらう。アレックスは家に侵入し、怖がらずに立ち向かって来るウィザース夫人を撲殺した。
 彼が外に出ると、ディムたちは殴り倒して逃亡した。駆け付けた警官に捕まったアレックスは、連行された警察署で反抗的な態度を取って刑事に暴行された。

 デルトイドが警察署に来ると、アレックスは「ハメられた。弁護してくれ」と訴える。しかしデルトイドは「自分で選んだ拷問だ」と冷淡に告げ、アレックスを突き放した。アレックスは裁判で懲役14年の実刑判決を下され、刑務所に収監された。彼は所持品を没収され、身体検査を受けた。
 2年が経過し、彼は日曜礼拝で教誨師の手伝いをしていた。アレックスは聖書に興味を示し、教誨師に気に入られた。だがアレックスは聖書で読んで、キリストを鞭打つ兵士や娼婦と遊ぶ男になる妄想を膨らませているだけだった。

 アレックスは受ければすぐに出所できて逆戻りの心配もない新療法の噂を聞き、教誨師に自分に使ってほしいと頼む。教誨師は「ルドビコ心理療法」という療法だと教え、「まだ実験段階に過ぎない。危険を伴うので刑務所長が反対し、ここでは採用されていない」と説明した。
 アレックスは彼に、「危険でも構いません。善人になりたいんです」と心にもないことを言って熱く訴えた。教誨師はルドビコ心理療法に対する疑念を抱いており、アレックスの考えに賛同しなかった。

 内務大臣が視察に来ると、バーンズ看守長が囚人を集合させた。大臣が「政府は旧式な刑罰理論への関心を失っている。ここも政治犯の収容に使われるようになる。この程度の犯罪者は治療ベースに切り替えられる。刑罰は無意味だ」と語る。
 アレックスが「同感です」と口にすると、彼の罪状を知った大臣は関心を示して「彼に決めよう」と告げる。刑務所長は大臣の命令を受け、アレックスを新療法の実験台にすることを仕方なく了承した。彼はアレックスを呼び、2週間で自由の身になれると告げた。

 バーンズはアレックスをルドビゴ医療センターまで移送し、オルコット博士に引き渡した。ブラノム博士に注射を打たれたアレックスは、ブロドスキー博士が主導するルドビコ心理療法の実験に入る。彼は拘束衣で様々な器具を取り付けられ、暴力的な映画を次々に見せられた。
 ブロドスキーはアレックスの眼球が開かないよう器具で固定し、強制的に鑑賞させた。最初は楽しんでいたアレックスだが、次第に気分が悪くなって吐き気を催すようになった。

 2週間の実験が終了すると、内務大臣が所属する政党主催でアレックスのお披露目会が開かれた。ステージに立ったアレックスは男に暴行されても命令に従い、裸の美女が登場しても触れることが出来なかった。
 暴力行為への強烈な肉体的苦痛を伴うため、正反対の行動を取ることになってしまうのだとブロドスキーは出席者に解説した。教誨師はステージに上がって「本人に選ぶ能力が無い」と厳しく批判するが、ブロドスキーは落ち着き払って「動機や高級な倫理観は別問題。我々の目的は犯罪抑圧です」と主張した。

 翌日に釈放されたアレックスは、我が家へ戻って両親に明るく挨拶した。しかし両親はジョーという男を下宿させており、アレックスを歓迎しなかった。アレックスの荷物は全て没収されており、蛇は死んでいた。ジョーに罵られたアレックスは殴り掛かろうとするが、強烈な吐き気を催してしまう。
 ジョーはアレックスの両親から息子同然に可愛がられていることを語り、家を出て行くよう要求した。「自分の過ちを学べばいい。周囲の人間を苦しめたんだ。お前が苦しむのは当たり前だ」と言われ、アレックスは家を去った。

 当ても無く歩いていたアレックスに、ホームレスに声を掛けられた。ホームレスはアレックスが以前に自分を暴行した男だと気付き、仲間と共に取り囲んで暴行を加えた。アレックスは吐き気に襲われ、無抵抗で暴行を受けた。
 警官たちが現場に駆け付けると、ホームレスの一団は逃亡した。その警官はディムとジョージーで、アレックスを暴行して立ち去った。アレックスは助けを求めるため、アレクサンダーの家へと赴いた…。

 製作&監督はスタンリー・キューブリック、原作はアンソニー・バージェス、脚本はスタンリー・キューブリック、製作総指揮はマックス・L・ラーブ&サイ・リトヴィノフ、製作協力はバーナード・ウィリアムズ、撮影はジョン・オルコット、美術はジョン・バリー、編集はビル・バトラー、衣装はミレーナ・カノネロ、音楽はウォルター・カーロス(ウェンディー・カーロス)。

 出演はマルコム・マクダウェル、パトリック・マギー、アンソニー・シャープ、カール・ドゥーリング、ウォーレン・クラーク、ジェームズ・マーカス、オーブリー・スミス、ゴッドフリー・クイグリー、マイケル・ベイツ、マイケル・ガヴァー、シーラ・レイナー、フィリップ・ストーン、クライヴ・フランシス、ミリアム・カーリン、マッジ・ライアン、ポール・ファレル、ジョン・サヴィデント、マーガレット・タイザック、エイドリアン・コリ、ジョン・クライヴ他。

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 アンソニー・バージェスの同名小説を基にした作品。製作&監督&脚本は『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』のスタンリー・キューブリック。
 アレックスをマルコム・マクダウェル、アレクサンダーをパトリック・マギー、内務大臣をアンソニー・シャープ、ブロドスキーをカール・ドゥーリング、ディムをウォーレン・クラーク、ジョージーをジェームズ・マーカス、デルトイドをオーブリー・スミスが演じている。トム役でスティーヴン・バーコフ、後半に登場するアレクサンダーの助手のジュリアン役でデヴィッド・プラウズが出演している。

 アレックスのナレーションで進行するのだが、のっけから「ドルーグ」だの「ベロセット」だの「シンセメスク」だの「ドレンクロム」だのと、意味古いな言葉が連発される。これは原作にも登場する「ナッドサット言葉」で、アンソニー・バージェスによる造語だ。原作では巻末に解説が付いており、日本語版では代わりにルビを振っている。
 だが映画版では何の説明も無いので、大半は意味不明なままだ(一部は推測が容易な言葉もある)。そこを削ると原作の雰囲気が無くなるので、そのまま採用したんだろう。

 映画が始まってアレックスたちが登場すると、その服装も場所も奇抜だ。彼らのいる店が、どういう場所なのかは良く分からない。ちなみに劇中では何の説明も無いが、一応は近未来のロンドンという設定だ。なので、「近未来では普通に存在するバー」という設定なんだろう。
 でも近未来の説明が無くて現代という風に受け止めると、まるで現実ではないヘンテコな場所のように思えるわけだ。っていうか、その店を除くと他の場所は全て現代と何ら変わらないので、それで近未来と言われても説得力は皆無だが。

 序盤からアレックスたちの醜悪な犯罪が続くので、たぶん15分も経てば、見ているのがキツくて投げ出してしまう人もいるだろう。真面目なモラリストなんかにしてみれば、こんなに目を背けたくなるような、ヘドが出そうな映画は無いだろう。
 無軌道で無差別な暴行や強姦が序盤から次々に描かれるだけであり、そこに情状酌量の余地は無い。アレックスたちは、ただ快楽として醜悪な犯罪を重ねているだけのクズに過ぎないのだ。

 しかし、若者たちが不愉快な犯罪を繰り返す様子を単純に描いているだけの映画なら、多くの評論家から絶賛されることなど無いはずだ。そんなのは、B級のスラッシャー映画と大して変わらない。そして本作品は、「スタンリー・キューブリックの作品だから」ってだけで、下駄を履かされているわけではない。
 まず映像美がある。そしてクラシック音楽と映像の見事なコラボレーションがある。そして何よりも、痛烈な風刺が込められているってのが重要なポイントだ。

 アレックスは刑事にまで反抗的な態度を取るぐらい荒れていたのに、刑務所に収監されると挑発的な態度を取らないようになる。杓子定規なルールには従順に従い、バカバカしい質問にも素直に答える。高圧的な看守たちにも、まるで反発しない。
 だが、もちろんアレックスは反省したり改心したりしているわけではない。早く刑務所を出たいから、自分を偽っているだけだ。聖書に興味を示すのも、同じ理由だ。だから彼はキリストを鞭打つ兵士になる妄想や、戦争で敵を殺す兵士になる妄想を膨らませて楽しんでいる。

 実験を終えて解放されたアレックスは、実家の荷物を全て没収されており、可愛がっていた蛇は死んでいる。両親は下宿人のジョーを息子同然に可愛がっており、居場所の無いアレックスは追い出される。彼はホームレスに暴行され、ディムとジョージーにも暴行される。
 その辺りではアレックスが可哀想な被害者として描かれているが、以前の悪行を考えれば自業自得に過ぎない。それでも表面的には同情すべき被害者のように描いているのは、スタンリー・キューブリックが心底から憐れんでいるわけではない。終盤に用意している痛烈な皮肉に向けて、伏線を張っているのだ。

 この作品は表面的な部分だけを見ると、何の捻りも無く単純に暴力を肯定し、賛美しているかのように受け取れなくもない。しかし、そういうことではない。「バカは死んでも治らない」という言葉があるが、それに似たようなテーマが、この映画からは受け取れる。
 教誨師がアレックスから「善人になりたいんです」と言われた時に、「果たしてこの療法が人間を善人に出来るのか。善は心より発する物。善は選択しうる物。選ぶことの出来ない者は、人間とは言えない」と語るが、これは真実を突いた言葉なのだ。

 新療法で悪事を働かなくなっても、それは善意に目覚めたわけではない。強制的に、悪事を行使できない体に変えただけだ。つまり体内には悪の精神や強い暴力衝動が残っており、それを消滅させたわけではない。
 言ってみればドラッグ中毒の治療と同じようなモノで、完全に断ち切ったわけではないのだ。ようするに、この映画は暴力を賛美しているわけではなく、「悪を更生しようとしてもムダムダムダ」という痛烈な風刺を効かせているのだ。

 お披露目会に出席した教誨師は実験の結果を知り、「本人に選ぶ能力が無い。誠意のかけらも無い。非行は防げても、道徳的選択の能力を奪われた生き物に過ぎない」と批判する。それに対してブロドスキーは、「動機や高級な倫理観は別問題。我々の目的は犯罪抑圧です」と言う。
 ブロドスキーの言葉は非人道的な意見かもしれない。でも皮肉なことに、そうでもしないとアレックスのような男は死ぬまで醜悪なクズ野郎のままなのだ。教誨師のような慈愛の精神は、本物の悪に対しては全くの無力なのだ。

(観賞日:2019年4月9日)

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