『サラエボの花』:2006、ボスニア・ヘルツェゴビナ
エスマはナイトクラブでウエイトレスとして働くため、面接を受けた。オーナーのシャランから夫や子供がいるかと訊かれ、「いません」と彼女は答えた。しかし、それは嘘だった。エスマは12歳の娘のサラと2人で暮らしていた。
エスマが眠っているとサラが起こすので、ふざけて追い回した。サラはエスマに馬乗りになり、両手を押さえ付けた。すると、それまで笑っていたエスマの顔が急に険しくなり、「やめて」と怒って跳ね飛ばした。サラは母の態度に困惑した。
サラは学校でサッカーをやっている最中、何度も叩いてくる同級生のサミルに腹を立てて仕返しをした。2人がケンカをしていると、担任のムハレムが止めに来た。
「親に学校に来てもらうぞ」と彼が言うので、サラは「ママは病気よ」と嘘をつく。「父親は?」と訊かれると、クラスメイトの女子が「いないわ」と口にした。するとサラは「パパはシャヒード(殉教者)よ」と胸を張った。
バスに乗っていたエスマは、他の乗客たちが歌を合唱するのを聞いて微笑した。しかし停留所で乗ってきた男が近くに立ち、濃い胸毛を見た途端、エスマは慌ててバスを降りた。
彼女は靴工場で働く友人サビーナの元へ行き、「娘の修学旅行代の200ユーロが週末までに必要なの」と相談した。サビーナは「何とかしてみる」と言った後、クラス会の話をする。彼女は「今度のクラス会に来るのは41人の内、11人よ。他は死んだり行方不明になったりした」と述べた。
サラが帰ろうとすると、サミルが呼び止め、「俺の親父もシャヒードだ」と告げて去った。エスマはセンターでの集団セラピーに赴いた。ある女性が辛い過去について涙ながらに語っていると、1人の女性が笑い出した。
ミルハという女性は、セラピストに「下らない真似をしてないで、お金か仕事をしょうだい」と攻撃的に告げる。セラピストは「この中には悲しみを分かち合いたい人がいる。どうぞ口を閉ざさないで」と語った。エスマは助成金80ユーロを受け取り、前払いを求めるが、それは却下された。
夕食を取っている最中、サラが旅行代のことを口にすると、エスマは「爪が伸びてる、切りなさい」と命じた。エスマがサラの爪を切ると、サラは「もう冷めた」と不貞腐れて食べるのを拒絶した。エスマはサラをビンタした。
エスマがナイトクラブに出勤すると、踊り子のヤボルカが「オッパイを見せると客が喜んでチップもガッポリよ」と告げた。家ではサビーナがサラの面倒を見ていた。サビーネが「もう寝る時間よ」と机の照明を消すと、サラは反発して「このオールドミス」と怒鳴った。
エスマはヤボルカが男性客の接待をしている様子を見て、慌ててトイレに駆け込んだ。エスマが薬を飲んでいると、用心棒のチェンガが覗き込んで「大丈夫か」と声を掛けた。
エスマが帰宅しようとすると、車で現れたチェンガが「乗れよ」と誘った。運転していたのはチェンガの相棒ペルダだった。彼はエスマを家まで送り、「どこかで会ったことがある。遺体確認で見掛けた」と言う。ペルダが別人の遺体を父と間違えた話をすると、エスマは微笑んだ。
ムハレムは生徒たちに、「父親がシャヒードの場合は、証明書を出せば修学旅行代が免除される」と告げた。サラは喜び、帰宅して母にそのことを告げる。するとエスマは「遺体が見つかっていない」と言う。サラに「軍人の証明書は?」と問われ、エスマは「何とかするわ、探してみる」と答えた。
サラと買い物に行く途中、エスマは伯母と遭遇した。エスマはサラを先に行かせた。伯母は葬儀の帰りだった。彼女は「誰でも死ぬのよ、貴方の母のように。貴方の母は、サラを見ずに死んで良かった」と言った後、「ごめんなさい、辛い過去を思い出させてしまって」と詫びた。
伯母と別れた後、エスマはサラから「パパに似てる?」と尋ねられた。エスマは顔を強張らせ、「いいえ、ママに似てる」と言う。サラに「パパに似てる所は?」と訊かれ、エスマは少し間を置いて「髪の毛の色が同じよ」と告げた。するとサラは嬉しそうに髪を撫でた。
ペルダとチェンガは、軍の司令官だったプシュカと遭遇した。プシュカは「あんな男の店で働いているのか。稼がせてやる。1万ユーロで、シャランを事故死に見せ掛けて殺せ」と持ち掛けるが、ペルダたちは断った。
エスマが仕事を終えて帰ろうとすると、ペルダが待っており、「俺を避けただろ」と口にした。2人はレストランへ赴いた。ペルダは「この国にいるのも、あと少しだ。姉のいるオーストリアへ行く」と告げた。
エスマがペルダに送ってもらって帰宅するのを目にしたサラは、露骨に不機嫌な態度を取った。ペルダは母の世話をした後、ボクシングジムへ行ってチェンガと練習をした。チェンガは彼がエスマに惚れていると知っており、「遠慮せずにホテルへ連れ込めよ」とからかった。
サラはサミルに誘われ、学校をサボった。サミルは死んだ父親の拳銃を見せ、「父親の最期は?」とサラに訊く、サラが「知らない」と告げると、サミルは「どんな死に様か知っておくべきだ」と言う。サミルに拳銃を撃たせてもらったサラは、「もっと弾をちょうだい」と興奮した。
エスマはサビーナと歩いている途中、「サラはとんでもない悪ガキよ。専門家に診てもらうべきよ」と告げられた。その途端、エスマは「貴方に子供の何が分かるの。干渉しないで」と怒鳴った。
エスマはペルダに電話で誘われ、バーベキューに出向いた。キスの雰囲気になるが、エスマは「食べましょう」と告げ、はぐらかした。その夜、彼女はサビーナに頼まず、サラを一人で家に残して出勤した。ヤボルカと男性客が激しく絡む様子を目にしたエスマは、控え室に駆け込んで泣いた。
サラはサミルを家に呼んだ。サミルは「俺だけの仲間が欲しい。ベンツのSクラスを買って、ボディーガードを雇う」と言う。彼の右目の周囲には、殴られたアザがあった。サラは彼に拳銃を出させると、「私に預けて」と告げた。
エスマはシャランの元へ行き、給料の前払いを頼んだ。するとシャランは「アンタが買った当たり馬券を出せ」と言い出す。エスマが「買ってません」と告げると、シャランは「なぜ俺のために賭けなかった?大穴だぞ」と理不尽なことで詰め寄った。
その場に居合わせたペルダはシャランを殴り倒し、エスマを店から連れ出した。エスマは「アンタたちはケダモノよ」と喚いて走り去った。
エスマはサビーナの元へ行き、修学旅行代のことを相談した。サビーナは職場の仲間に頼んでカンパしてもらい、200ユーロを集めた。エスマは学校へ行き、サラに「給料が出たから旅行代が払えるのよ」と言う。だが、サラは母が証明書を出さなかったことに不満を抱いた。
彼女はクラスメイトから、「戦死者名簿にアンタの父親の名前は載っていない」と言われる。帰宅したサラは、証明書のことを母に尋ねた。エスマがハッキリ答えようとしないので、サラは拳銃を突き付けて真実を話すよう要求した…。
監督&脚本はヤスミラ・ジュバニッチ、製作はバーバラ・アルバート&ダミル・イブラヒモヴィッチ&ブルノ・ワグナー、共同製作はボリス・ミチャルスキー&ダミル・リクタリッチ、撮影はクリスティーン・A・メイヤー、編集はニキ・モスベック、美術はケマル・フルスタノヴィッチ、衣装はレイラ・ホジッチ、音楽はエネス・ズラタル。
出演はミリャナ・カラノヴィッチ、ルナ・ミヨヴィッチ、レオン・ルチェフ、ケナン・チャティチ、ヤスナ・オルネラ・ベリ、デヤン・アチモヴィッチ、ボグダン・ディクリッチ、エミル・ハジハフィスベゴヴィッチ、エルミン・ブラーボ、セムカ・ソコロヴィッチ、マイク・ヘーネ、ヤスナ・ザリカ、ナーダ・ジュレフスカ、ミンカ・マフティッチ、他。
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ベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)、エキュメニカル賞、平和映画賞を受賞した作品。監督と脚本はサラエボ生まれの女性ヤスミラ・ジュバニッチで、これが長編デビュー作。
エスマをミリャナ・カラノヴィッチ、サラをルナ・ミヨヴィッチ、ペルダをレオン・ルチェフ、サミルをケナン・チャティチ、サビーナをヤスナ・オルネラ・ベリ、チェンガをデヤン・アチモヴィッチ、シャランをボグダン・ディクリッチが演じている。
1992年に勃発したボスニア紛争は、1995年に一応の終結を迎えた。それから12年後のサラエボが舞台である。既に戦争は終わっており、劇中に激しい暴力シーンは出てこない。エスマがフラッシュバックで過去の映像を見るような演出も無い。
だが、そこには戦争の深い傷跡が、まだ残されている。「もはや戦後ではない」という言葉があったが、この映画の舞台は、まだ戦後の真っ只中にあるのだ。
最初にナイトクラブの面接シーンがあるのに、なかなか勤務のシーンが訪れないなど、構成や編集は滑らかとは言えない。エスマが店を出たところでペルダに「俺を避けただろ」と声を掛けられたのに、次のシーンで2人がレストランにいる時には朝になっている辺りは、どういう繋ぎ方なのかと戸惑った。
後で、「けだもの」と怒鳴って店の前からエスマが走り去り、カットが切り替わると朝になっているという場面があるので、どうやら「ナイトクラブからレストランの辺りまでは距離があり、移動する間に夜が明ける」ということのようだ。でも、それは分かりにくいわ。
セラピーのシーン、辛い過去を語っている女性の近くでクククとバカにしたように笑っている女がいるが、あれは何の狙いがあるんだろう。もっと困惑するのは、その女性の笑いにつられて、エスマや他の女性たちも笑い出すという展開。
それって、かなり無神経に思える。エスマは自分だって辛い経験をしているわけで、それなのに笑わせるというのは、どういう意図によるものなんだろうか。
薬を飲んでいるエスマを心配したり、車に乗るよう誘ったりするのはチェンガなのに、その後、彼女と親しくなるのは運転していたペダルというのは、キャラの使い方がおかしいでしょ。だったら、トイレで心配したり、乗るよう誘ったりするのもペダルにすべきでしょ。
あと、ペルダがプシュカからシャラン殺害を持ち掛けられたり、母親の世話をしたりするシーンがあるが、それは要らないだろう。様々な形で「戦争の傷跡」というのを見せたかったのかもしれないが、エスマとサラの関係に絞り込んで描くべきだった。
まだ国は復興の途中であり、わずかな助成金での貧しい暮らしを余儀なくされている。表面上は平和でも、あちこちに戦争の傷跡は残っている。
エスマと違って、サラには戦時中の辛い体験が無いが、子供たちの世代にも戦争の傷は受け継がれている。それでも子供たちは健やかに、そして元気に育つ。ごく普通に親への反抗期があり、淡い恋をする。ケンカもすれば、つまらない嘘もつく。
サラは父がシャヒードだということを誇るが、一方で父を亡くした喪失感を抱えている。エスマから「髪の毛が同じ色」と言われ、サラは嬉しそうに髪を撫でる。全く知らない父の存在を、そこに感じることが出来たからだ。
彼女が父のことを知りたがるのは、娘としては当然のことだろう。しかし、エスマは詳しいことを話そうとしない。それどころか、証明書のことも、はぐらかそうとする。
なぜエスマが証明書を取ろうとしないのかは、エスマが終盤に真実を明かす前に、たぶん大半の観客が察知するだろう。
サラに馬乗りになられて両手を掴まれると、急に怖い顔になって弾き飛ばす。通勤バスで胸毛を露出した男が近付いた時、急に怖がって降りてしまう。ナイトクラブで男女の絡みを見ると、トイレに駆け込んでしまう。そういう彼女の態度で、「ああ、戦争中に敵兵にレイプされたのだな」と、たぶん気付くだろう。
だが、それが先に分かっても、この映画にとっては何のマイナスにもならない。これは、そのように深い心の傷を抱えたエスマという女性に、観客が寄り添う映画なのだ。
エスマは銃を向けたサラに向かって、「そんなに聞きたいのかい。お前は収容所で犯されて妊娠したんだ。お前は私生児なんだよ」と、荒っぽく吐き捨てる。
そんな言い方でしか、真実を打ち明けられない切なさが、そこにある。直接的な暴力描写、生々しい惨劇の描写が無くても、戦争の悲劇は、そこに確かに存在している。
その後、エスマは集団セラピーへ行き、「娘を殺したかった。お腹を力一杯に叩いた。産まれた後、見たくないから連れて行ってと要求した」と過去を吐露する。
だが、そんな彼女も、実際に子供が産まれると、考え方が変化する。「翌日、母乳が溢れた。一回だけ母乳をあげると告げ、娘を腕に抱き上げた。この世に、こんなに美しいものがあることを知らなかった」と、彼女は語る。
子供に罪は無い。そしてエスマは子供に愛を感じた。だから彼女は、サラを受け入れることにした。父親のことさえ除けば、2人は強い愛で繋がっているのだ。
サラにとって英雄だったはずの父は、民族浄化によって母をレイプした男だった(しかも集団レイプだから誰が父親か特定できない)。
真実を知った後、サラは「父と同じ色」と言われた髪の毛を剃り落とす。彼女は丸刈り頭の状態で修学旅行に行く。見送りに来たエスマは彼女をギュッと抱き締める。サラはバスに乗り、窓からエスマを見つめて手を振る。その様子を見て、エスマは微笑みを浮かべる。
このギュッと抱き締めるシーンと、微笑むシーンで、私は泣いた。ずっと隔たりがあった母と娘は、真実を分かち合ったことによって、初めて本当の意味で向き合えるようになったのかもしれない。
ただ、そこには確かに愛があるが、とても痛々しくて、やり切れなさの残る愛であることは否めない。かなり重い映画だから、体調と気持ちに余裕の無い人にはお薦めしない。
(観賞日:2010年12月28日)
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