見出し画像

『カメレオンマン』:1983、アメリカ

 作家のスーザン・ソンタグはレナード・ゼリグについて、1920年代にはリンドバーグに負けないぐらい有名だったと評する。文芸評論家のアーヴィング・ハウは、ゼリグは時代の産物だったと語る。作家のソール・ベロウは、ゼリグは面白い男だったが人の神経を逆撫でする部分があったと言う。
 1928年、当時のアメリカは好景気に沸き、華やかなパーティーが各地で開かれた。社交界の花形で美術界のパトロンでもあるヘンリー・サットン夫妻の屋敷でもパーティーが開かれた。客の中には、小説家のスコット・フィッツジェラルドもいた。会場にいた男についてフィッツジェラルドは、社交界の中で上品に語っていたが、1時間後に台所の手伝いと話す時は下品な口ぶりだったと記している。

 1年後、ニューヨーク・ヤンキースのキャンプに同行した記者団は、ルーキーとして参加している男を目撃した。しかし男はメンバーとして登録されておらず、保安要員によって外へ連れ出された。同年、シカゴの潜り酒場で開かれた秘密のパーティーに、初顔の白人がいた。その男と酷似した黒人が、ステージでトランペットを演奏した。
 数ヶ月後、警察は行方不明となったゼリグを捜索していた。情報を集めた警察は中華街の隠し部屋へ赴き、ゼリグに酷似した中国人を発見した。しかし救急車でマンハッタン病院へ運ばれると、ゼリグは白人に変貌していた。

 精神科医のユードラ・フレッチャーが診察し、ゼリグに強い関心を抱いた。彼女の質問を受けたゼリグは、自分は精神科医で、フロイトの研究もしていたと語る。彼の披露した知識は簡単に会得できるレベルだったが、その話しぶりは淀みが無かった。ゼリグの父親はモーリスというユダヤ人で、2度目の結婚では喧嘩の連続だった。
 少年時代のゼリグは、半ユダヤ人の子供たちからイジメを受けた。しかし両親はゼリグを守ろうとせず、むしろ半ユダヤ人の肩を持った。モーリスは死の間際、ゼリグに「人生なんて悩みだけが続く悪夢だ。早く大人になれ」と告げた。兄のジャックは強度のノイローゼで、姉のルースは万引きの常習犯でアル中だった。最初はマトモだったゼリグにも、やがて奇行が見られるようになった。

 ユードラは病院のスタッフを集め、ゼリグの実験を公開した。ゼリグは対面させられた相手に合わせて、同じ人種や体格に変貌した。この出来事を新聞が大きく取り上げ、医師たちの話題もゼリグに集中した。しかし病気の診断に関しては、大きく意見が分かれた。
 ユードラは心理的な影響によって体質が変化するのではないかと考えるが、病院の理事会は否定的だった。ユードラが催眠術を使って「一緒にいる人と同じになろうとする理由は?」と問い掛けると、ゼリグは「安全だから」と答えた。

 やがてユードラは医師の集会で、ゼリグは人間カメレオンだと説明した。人々の話題はゼリグ一色になり、ダンス音楽にも取り入れられた。しかし急進主義者たちや白人至上主義者にとって、ゼリグは糾弾の対象だった。
 ユードラはゼリグに質問し、小学生の頃から周囲と同化するようになったこと、体が自然に変化するようになったのは数年前からであることを聞き出した。しかし病院は相変わらず彼女の方針に反対しており、アラン・シンデル医師は投薬治療を行った。

 ゼリグは新薬を投与されるが、症状の改善は見られなかった。再びユードラがゼリグを預かるが、ルースと恋人で不動産ブローカーのマーティン・ガイストが現れて退院させると言い出した。
 医師団は厄介払いになると考え、ユードラの反対を無視してルースにゼリグを引き渡した。するとルースとガイストは、入場料を取ってゼリグを見世物にした。1935年にはゼリグを題材にした映画が制作され、数多くのキャラクター商品や楽曲も発売された。

 ゼリグ自身も引っ張りだことなり、大女優のクララ・ボウやボクサーのジャック・デンプシーとも対面した。フランスでも彼は大人気で、ジョセフィン・ベイカーは彼のために踊った。ルースとガイストが裕福になる一方、ゼリグは次第に人間性を失っていった。ユードラはゼリグを引き取るための法廷闘争を続けていたが、弁護士のチャールズ・コズロウから求婚された。
 春になり、ガイストはスペイン興行を企画した。その頃にはルースとの仲が険悪になっており、彼女は二流の闘牛士であるマルティネスと愛し合うようになった。それを知ったガイストは激怒し、ルースとマルティネスを撃ち殺して自殺した。

 ゼリグは失踪し、やがて人々は彼のことを忘れた。しかしローマ教皇であるピウス11世がサンピエトロ広場で集会を開いた時、乱入者としてゼリグは出現した。ゼリグは強制送還され、ユードラが再び担当医として指名された。
 ユードラはマンハッタン病院ではなく、静かな環境である田舎の家でゼリグの診療を行うことにした。彼女は診療経過を記録するため、カメラマンである従兄のポール・デゲーに来てもらった。しかしユードラが診療を始めると、ゼリグは必ず医者に成り切ってしまう。

 催眠術を使おうとすると拒否され、ユードラは焦りを抱くようになった。ポールの助言を受けたユードラは、気晴らしのためにコズロウとデートした。すると彼女は、悩みを吐露してゼリグに質問するアイデアを思い付いた。
 ユードラはゼリグに「実は医師じゃない。医師のフリをしていたただけ」と言い出し、見た夢の意味を尋ねる。ゼリグは混乱し、自分が誰だか分からなくなった。彼がガードを外し、その隙にユードラは催眠術を掛けた。

 ゼリグは自分の過去や家族のことを語り始め、ついにはユードラへの愛まで告白した。一方、ユードラの方も彼に好意を抱くようになっていた。ユードラは診療に自信を持ち、ゼリグを妹のメリルに会わせた。
 3ヶ月が経過し、医師会はゼリグの状態を確認する。ゼリグは医師に変身しようとせず、自分の意見を押し通すほど頑固な一面を見せた。ゼリグの治療に成功したユードラの偉業は大きく報じられ、2人はチャールズ・チャップリンやジェームズ・キャグニーらと対面した。

 野心の薄れたユードラはコズロウと別れ、カメレオンから脱却したゼリグとの結婚を発表した。ところが結婚式の2週間前になって、リタ・フォックスという女優が「自分はゼリグの妻で子供も1人いる」と名乗り出た。
 リタは1年前に役者に変身していた頃のゼリグと結婚したことを明かし、証明書も持っていると主張した。彼女が裁判所に訴えると、ゼリグは法廷で戦うことを表明した。しかし世論はリタの味方に立ち、さらには他にもゼリグの妻だと主張する女性たちが次々に現れた…。

 脚本&監督はウディー・アレン、製作はロバート・グリーンハット、製作協力はマイケル・ペイサー、製作総指揮はチャールズ・H・ジョフィー、撮影はゴードン・ウィリス、美術はメル・ボーン、編集はスーザン・E・モース、衣装はサント・ロカスト、音楽はディック・ハイマン。

 出演はウディー・アレン、ミア・ファロー、ギャレット・ブラウン、ステファニー・ファロー、ウィル・ホルト、ソル・ロミタ、ジョン・ロスマン、デボラ・ラッシュ、マリアンヌ・テイタム、メアリー・ルイーズ・ウィルソン、スーザン・ソンタグ、アーヴィング・ハウ、ソール・ベロー、ブリックトップ、ドクター・ブルーノ・ベトルヘイム、プロフェッサー・ジョン・モートン・ブラム、ジョン・バックウォルター、マーヴィン・チャティノヴァー、スタンレー・スウェードロウ、ポール・ニーヴェンズ、ハワード・アースキン他。
 ナレーターはパトリック・ホーガン。

―――――――――

 『スターダスト・メモリー』『サマー・ナイト』のウディー・アレンが脚本&監督&主演を務めた作品。ヴェネチア国際映画祭のイタリア批評家賞、NY批評家協会賞の撮影賞などを獲得している。
 ゼリグをウディー・アレン、ユードラをミア・ファロー、俳優時代のゼリグをギャレット・ブラウン、メリルをステファニー・ファロー、ラリーをウィル・ホルト、マーティンをソル・ロミタ、ポールをジョン・ロスマン、リタをデボラ・ラッシュ、映画のユードラ役をマリアンヌ・テイタム、ルースをメアリー・ルイーズ・ウィルソンが演じており、ナレーターをパトリック・ホーガンが担当している。

 いわゆるフェイク・ドキュメンタリー方式で作られており、冒頭には著名人のインタビュー映像が用意されている。スーザン・ソンタグやアーヴィング・ハウ、ソール・ベロウといった面々は、いずれも本物の著名人だ。
 ソンタグたちがゼリグについて喋っている内容は全面的に嘘なのだが、そこは「本物の著名人に、いかにも事実のように嘘を喋らせる」ということでドキュメンタリーらしさを出しているわけだ。この方式は、フェイク・ドキュメンタリーの面白さを出すうえでは、かなり有効な手段である。

 ソンタグたちの登場シーンと同じような方式で、「サットン夫妻の屋敷でゼリグを目撃したロイター紙の元記者」や「現在のユードラ」、「デイリー・ミラー紙の元記者」といった面々のインタビュー映像が挿入されるシーンもあるが、こちらは本物ではない。しかし、前述した「実際の著名人」のインタビューと混ぜ合わせて盛り込むことによって、こっちにも本物っぽさを醸し出しているわけだ。
 ただし、こちらには1つ大きな問題があって、それは「現在のユードラ」に関しては最初から嘘がバレバレってことだ。何しろ過去の映像で彼女を演じているのはミア・ファローなのでね。

 まあ、それを言い出したら、そもそもミア・ファローが出ている時点でドキュメンタリーらしさは著しく弱まるので、徹底するのであれば、ウディー・アレンや彼女のような人間は登場させない方がいいんだけどね。
 でも、どっちにしろウディー・アレンが撮っている時点で本物のドキュメンタリーじゃないことは分かり切っているわけだから、その辺りは別にいいかなと。それよりも、「フェイクだと理解した上で、それでも面白い」ってのを狙えばいいわけで。

 映画はナレーションによって進行し、「過去の映像」や「過去の写真」によって構成される。そこには、過去に撮影された本物の映像にゼリグを潜り込ませたモノもあれば、新しく撮影した写真もある。
 例えば、「ヤンキースのキャンプに参加しているゼリグ」は実際の映像を加工した物であり、「ユードラや医師たちの実験を受けるゼリグ」は映画のために用意された映像だ。こちらもインタビュー部分と同様、虚実が入り混じった状態で構成されているわけだ。

 ゼリグは「周囲の人々に同化して変貌する」という能力を持っている設定で、だから黒人や中国人になったことを示す写真が挿入されたりする。しかし一方で、「ヤンキースのキャンプに入り込んで追い出される」とか「ローマ教皇の式典に乱入して追い出される」というのは、「同化している」とは言えないんじゃないかと。
 そこで「乱入者だと気付かれて追い出される」ってことになると、単に「野球選手のフリをしている」とか「教会関係者を装っている」というだけになってしまう。しかも、例えば「野球選手」とか「教会関係者」ってのは、同化のために体格や肌の色を変化させる必要性も無いんだよね。その辺りは、ブレているわけじゃないけど、ちょっと引っ掛かるトコもある。バレずに済んでいるのなら、何の問題も無いんだけどね。

 ウディー・アレン作品と言えば、本人の演じる主人公は「神経質で卑屈」「やたら早口で多くの愚痴を語る」「意気地が無いが妙に自信だけはある」「矮小で短気」「なぜか女性にはモテる」という特徴がある。しかし今回の作品では、そういった特徴が見られない。
 何しろナレーション進行のフェイク・ドキュメンタリーなので、そもそも主人公が早口で喋りまくるシーンが少ない。そして「周囲に同化する」というゼリグの設定上、性格を表現することも難しい。だから、いつものウディー・アレン作品における主人公の特徴は無い。

 その一方で、「ユダヤ人をネタにする」という部分は使われている。というか、前述したような主人公の特徴が見られないので、その部分が今までの作品に比べて際立っているという捉え方も出来る。
 ただ、たぶん最初からウディー・アレンは、この映画に関しては「ユダヤ人としてのアイデンティティー」をテーマに掲げていたんじゃないかと思われる。ユダヤ人は様々な場所で「その国の人」に同化し、そこに順応して生きている。それはユダヤ人だという理由で迫害を受けた歴史から来る「自分を守るための術」である。

 ゼリグは周囲に同化する理由について、「安全だから」と説明する。周囲と同じようになっていれば、安全に暮らせるというのが彼の考えなのだ。それは幼少期からの体験によって辿り着いた処世術だ。
 ユダヤ人である彼は、その血筋のせいでイジメを受けた。家族は人間的に問題のある面々ばかりで、ゼリグは幸せとは縁遠い幼少期を過ごした。孤独を恐れたゼリグは、周囲と同化することで「仲間がいる」という安心感を得るようになった。

 ゼリグは実際に人種や言語まで変貌してしまうが、「孤独を恐れ、好かれたいから周囲に同化しようとする」という考え方や行動だけを取ってみれば、きっと多くの人にも見られることだろう。つまりゼリグは特異な人間だが、その内面は多くの人と何ら変わらないのだ。
 だから、前述したように「ゼリグはユダヤ人」という要素は重要なポイントではあるが、他の人種でも共感できる部分は多いはずだ。周囲に順応することも大切だが、そのために自分自身を見失うことは恐ろしい。

 裁判沙汰や世論の糾弾によって追い込まれたゼリグは失踪した後、ドイツへ渡ってナチス親衛隊に同化する。ファシズムは「行き過ぎた同化」なのだが、個性を消されることはゼリグにとって望ましい環境だった。
 皮肉なことに、ユダヤ人としてナチスに迫害される立場であったゼリグは、迫害する側に同化することで安心を得ることが出来たのだ。その展開は、周囲との同化を望む人々や、際立った個性を否定しようとする世論及びマスコミへの皮肉になっている。

 ゼリグは「カメレオン」と称されるが、そんな彼を取り巻く世間の反応もカメレオンのようにクルクルと色を変えている。ゼリグが出現すると見世物として喜び、失踪すると忘れ去り、再登場して治療に成功するとチヤホヤし、裁判沙汰になると糾弾する。
 しかしゼリグが奪った軍用機でドイツから帰還すると、人々は大西洋横断を成し遂げた彼を英雄として歓迎する。そこにあるのは「衆愚」だ。痛烈な皮肉を放ち、この映画は幕を閉じる。

(観賞日:2016年7月6日)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?