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短編259.『弟子 is back!』(上)

 近所を散歩している時、必ず通る神社がある。どの町にもある、なんの変哲もない神の社(やしろ)。でも、人はそこで祈り、願い、通い詰める。いつかの私みたいに。

          *

 その日はおよそ十年ぶりに境内に入ってみることにした。別にこれといった願いごとがある訳でもない。もう願いごとは聞き届けられ、その後の日常を生きている身だ。金木犀の匂いに誘われたのかもしれない。

 数百年前から変わっていないように思える石畳を歩く。ここに来ると相変わらずスニーカーの底を地面に擦るように歩いてしまう。もうその音に意味なんてないのに。四メートルはあろうかという巨大な石に彫られた日露戦争の慰霊碑、幹の枯れ切った大木、偉人の言葉が掲載されたガラス張りの掲示板。そのどれもが懐かしかった。

 手水を済ませ、本堂に向かうべく歩を進めた。身体の線をなぞるように吹く風は秋のそれだった。柔らかさの中にどこか棘を含んでいる。これからやってくる厳しい冬からの警告状のように。

 賽銭箱に十一円を放り込む。昔からここに来ると、必ずその金額だった。何せひと頃は毎日通っていたので、そうそう大金を投げられる訳もなかった。それが故の単なる習慣といえば聞こえは良いが、十年経っても相変わらず金は無かった。

 ーーーおかげさまでなんとか生きてます。ありがとう。

 これ以外、言うことは思いつかなかった。こうして今もまだ生きて在る以上に何を望めば良いのだろう。そこまで欲深くも出来ていない。

 合わせた手を離し、薄目を開ける。その目の端を何かが横切ったような気がして、首を左に振った。視線の先には境内の隅にひっそりと祀られたお稲荷さんの祠。ーーー嗚呼、これもあったか。かつての懐かしい記憶に背を押され、私は祠に近づいた。

 咲き誇る金木犀の花に囲まれ、いや、半ば埋もれるようにしてその祠は建てられている。狐を象った一対の石像は、まるで人目を避ける隠遁者みたいに無口だ。初見なら見落としてしまっても仕方がないような造りの小さな、とても小さな鳥居をくぐった私はゆっくりと息を吸った。マスクをしていても尚、それを突き抜けて香る金木犀の佳芳。人をセンチメンタルにする為にこそあるような香り。

 賽銭箱に小銭の残りを放り込んで手を合わせる。願いごとはないが、伝えてもらいたいことはある。もし、狐が神様の眷属(けんぞく)であるならば。

 ーーーそっちはどうだい?俺は相変わらずこんな感じ。会えなくなってとても寂しいよ。

 我ながら感傷に過ぎるな、とは思いつつ目を開ける。木で組まれた小さな本堂が目に映る。風雨に晒された年月分、白く煙っている。格子状に組まれた扉の前、そこには見覚えのある色柄の猫が座っていた。

「弟子、じゃないか!」
 私は喜びと共にその猫に駆け寄った。

 この猫が何者(なにねこ)なのか説明する為には、少し時系列を遡らねばならない。

          *

(中)へ続く。



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