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短編260.『弟子 is back!』(中)〜野良の宿命篇〜

 かつて”ミーちゃん”と呼ばれた野良猫がいた。正式名称は”八幡ミー”。八幡神社に暮らしていたから、そんな苗字を授けたに過ぎない。私が。勝手に。本当は猫に名前など必要ない。猫はただ猫であり、人の世の習わしからはどこまでも自由なのだから。しかし、人は猫に、時に野良猫にすら名前を与える。個体識別、もしくはアダムが神の前でやった行為の反復なのかもしれない。でもどこからも「良し」などという声は聞こえない。

 そのミーちゃんと呼ばれる野良猫は地域猫として、近所の猫好きおばさん達に愛されていた。おばさん達の間に横のつながりはない。各々が各々、好き勝手に可愛がっていただけだ。撫でたり、餌をやったり、と。でも役割分担は勝手に出来上がっていたと思う。「私はごはん担当、あなたはオヤツ担当」みたいな。

 ミーちゃんという名も自然発生的に付けられたものだろうと思う。別に示し合わせて「この猫をミーちゃんと呼ぼう」なんてことはなかっただろう。でも何せその猫は”ミーちゃん”っぽい顔をしていた。それが故に、ミーちゃんと呼ばれるようになった。それが真実だろうし、実際、野良猫の名前なんてそんなものだ。

 物腰スマートで器量よし。人懐っこく甘え上手。それでいて、撫でてくれよ、と腹を出した反動で頭をアスファルトに打ちつける、強烈なお茶目さん。もし仮に人間に化けたとしても、相当な人気者になれることだろう。

 私がまだ病人として、独りひっそりとこの世に生を送っていた頃、私もミーちゃんと出会った。そこらへんの話はかつて『野良猫と共に』というエッセイに書いたので省く(本当は百万遍語ってもまだ語り尽くせないけど)。今回は弟子の話だ。そのミーちゃんが連れてきた、まだ子猫だった野良猫の。

          *

 ある晴れた日の月明かり眩しい夜。ミーちゃんを呼び出す為に、わざと石畳にスニーカーの底を擦り付けるようにして歩いていた。この音を聞きつければ、必ず何処からともなく走り出るようにして一目散に私の元へとやってくる。そして案の定、やって来た。

 しかし、その日のミーちゃんは様子が違った。足取り重く、後ろを振り返り振り返りしつつ、歩いてきた。このような姿を見るのは初めてのことだった。何か気掛かりなことでもあるのかと思い、ミーちゃんの後ろの暗闇に目を凝らした。

 緑色に輝く二つの目。小さな猫だ。前にいるミーちゃんの五分の一くらいサイズ感だろうか。遠近法的錯視を取り除いた上でも圧倒的に小さい。その小さな猫は、まだこの世界のこの地面に馴染んでいない足取りでミーちゃんについて歩いている。

 ミーちゃんは私の前に寝転んだが、その仔猫は遠巻きに我々を眺めていただけだった。幼くして既に発揮される警戒心。それは野生で身を守る為に備わった宿命としての本能なんだろう。

 その日はそのまま終わった。私と遊ぶミーちゃんとそれを小首を傾げて見つめる子猫。そのような構図で。

          *

 あくる日も、そのさらに翌日も、ミーちゃんは弟子を連れていた。歌舞伎役者の子役お披露目みたいに。その日以来、私はポケットに二匹分のチーズを持ち歩くようになった。

 持ってきたチーズをミーちゃんに差し出すと、まず自分が一口齧り、弟子の方を振り返る。恐る恐る近寄ってきた弟子はチーズの匂いを嗅ぎ、ミーちゃんを見つめる。アイコンタクトによる何かしらのやり取りが行われた後、弟子はチーズを齧った。口の端から何度も落っことしながら。

 毎日がそのような繰り返しで、仔猫は日一日と成長していった。

 ある時期、この世界の片隅は二匹と一人によって温められていた。それは混迷する世界にとっては何の役にも立たないことに違いないが、我々は我々にしか分からない友情を確かめ、我々なりのやり方で優しい世界を構築していた。

 毛とチーズの世界。私の服は常に抜けた白い毛にまみれていた。

          *

 ある日を境に、ミーちゃんはまた一人でやってくるようになった。その後ろに弟子の姿はない。元々、天涯孤独の身ですから、というような顔をして。お試し体験無料版のような形で人間世界の成り立ちを垣間見せたら後は各々一匹でやっていく。それが野良の宿命なのかもしれない。

 それっきり弟子に会うことはなかった。我々はまた一人と一匹に戻った。

          *

(下)へ続く。




#ミーちゃん #弟子 #猫 #野良猫 #神社 #小説 #短編小説

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