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短編149.『五階以上』(4/4)

 ーーー遂にここまで来た。

 妙な達成感と高揚感がそこにはある。今自分の顔を鏡で見たのなら、私立探偵の面持ちをしていることだろう。もしくは、獲物を追い詰めるハンター。押し着せられそうになる恐怖心は既に脱ぎ捨てられている。私はライトを使ってこのフロアの全容を調べることにした。

 最上階であろう七階は、デパートの屋上のようだった。昭和の時代に流行ったであろう造り。パンダの乗り物やUFOキャッチャーにメダルゲーム。百円玉を入れると小さな人形がおみくじを運んできてくれる占いマシーン、柵で囲われたエリア内を走る汽車。それらは全て朽ち果ててはいるが、今でもコインを入れれば動き出しそうな気配があった。

 なんだかとても懐かしい気持ちだ。幼かった自分が目の前で遊んでいるような不思議な錯覚を覚える。屋上遊園地になど行ったことはないのだが。

 しかし、このビルの五階以上は何の為に存在しているのだろう。通路と空間とミニ遊園地。その三つに何の脈絡もないが、全てがここに至る為の道筋のようにも思える。

 本来ならデパートの屋上にあるような遊具が、ビルのワンフロアに移されているのは奇妙を通り越して悪趣味だった。日に照らされて在るべきものが影に在る。右と左、上と下、森羅万象が反転した世界にいるみたいだ。

 もしかするとこれは夢で本当の私は、まだ五階で気絶しているのかもしれない。頬をつねる。そんなことはなかった。

 ーーー聖杯を傾けていた者の正体を暴かねばならない。

 このフロアには私以外の誰かがいて、今この瞬間も息を潜めてこちらを見ているはずだ。私は一つ一つと遊具の確認を始めた。

 ーーーいや、そもそも私はこのビルに何をしに来たのだっけ?

 心に手を入れ、探ってみる。確たる理由は何一つ見つからなかった。ただの好奇心か覗き見根性でしかない。結果、真っ暗なフロアで誰とも分からぬ者と対峙する羽目になっている。ゴールは何だろう?そいつを倒せば良いのか?人生はゲームほど明確な目的意識など備えてはいない。一秒前があって一秒後がある。ただ、その繰り返しだった。

          *

 “そいつ”は五つ目の遊具を探索している時に見つけた。それは、アーケードゲーム機の影にいた。身の丈は百センチほど。小学一年生くらいの身長だった。

 よく知った顔だった。かつて、と付けるべきだろう。”顔”は全てに似ていた。男にも女にも。あらゆる特徴がそこにあり、同時にそのどれでもなかった。

 “顔”はこちらを見上げたまま微動だにしなかった。よって私も話しかける機会を失ってしまった。そもそも何を話せば良いのだろう。

「久しぶり」か?
「あの時はごめんね」か?
「”あれ”はそっちにも非があったと思うよ」か?

 罪の総体、とでも呼ぶべきだろうか。私がこれまでの人生で犯した大小様々な犯罪の、いや、大部分は犯罪とも呼べないほどの些細な日常の出来事だが、その被害者の顔だった。

「僕のこと覚えてる?」と”顔”が言った。くぐもり、反響し、地の底から響いてくるような声だった。
 それは子どもの頃、川に突き落とした同級生だった。 

「アタシのこと覚えてる?」と”顔”が言った。
 それは若い頃、同棲していた女だった。借りた金を返さず、そのままにしてある。

「俺のこと覚えてる?」と”顔”が言った。
 これは高校の先輩で、酔っては殴り飛ばした。

「私のこと覚えてる?」
 バイト先の店長。在庫の万引きか?

「ウチのこと覚えてる?」
 えっと。こいつは確か…クラブで?

 見覚えのある顔も記憶が掠れた顔も、あらゆる顔が「覚えてる?」と言う。覚えている訳がない。一つ一つの罪を自覚してその度に背負っていたら、身が持たない。あとは狂うしかなくなる。

「私のこと覚えてる?」
 紛れもない動物の顔だった。鶏。今までどれほどの鳥肉を食べてきたと思っているのだ。

 罪の自覚、それは加害者にこそ少ない。生きていれば必ず傷つける。例え、そのつもりはなくとも。生き抜く為には仕方ない、と割り切らなければ、この世は渡っていけない。洗っても落ちないくらい真っ黒な手。長年、整備工として働いてきた場末の工場主の如く。言い訳か?

「僕のこと覚えてる?」
「私のこと覚えてる?」
「俺のこと覚えてる?」
「アタシのこと覚えてる?」

 声は合唱のように耳に反響する。秋の始まりを告げる虫たちの鳴き声みたいに重なり合い、ズレて、また何層にも連なる。

 頭がどうにかなりそうだった。もしかすると、もう”どうにか”なっているのか?ある種の精神病患者が視、聴く、具体性はないが切迫した”誘い手”に掴まれているのかもしれない。

「僕のこと覚えてる?」
「私のこと覚えてる?」
「俺のこと覚えてる?」
「アタシのこと覚えてる?」

 気を失ってしまいたかった。失神したかった。この場から逃れられるなら何でも良かった。しかし、私の内なる神は先刻既に一度失われており、もう失くすべきものは残されていなかった。

「僕のこと覚えてる?」
「私のこと覚えてる?」
「俺のこと覚えてる?」
「アタシのこと覚えてる?」

 繰り返されるその言葉は、蚊取り線香のように渦を巻く。蜷局(とぐろ)を巻く。大海の渦潮のように何もかもをも呑み込んでいく。

 日常的な言葉も塗り重ねられるうち、宗教的な色合いを帯びてくる。それは言葉の意味も形も響きも変えて、人の世に生きることの贖罪と生きて在ることへの根本的な疑問を提出する。

 伽藍から響く真言。

 それは罪を注(そそ)ぐものなのか、それともその罪を雪(そそ)ぐものなのか。



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