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短編249.『尾行』(上)

 普段ならそんな男のことなど気にも留めなかったに違いない。ただ、その日は休日で、暇で、かつ苛ついており、ちょっとした刺激が必要だった。たとえば誰かをぶん殴る、みたいな。

 男は顔に歌舞伎役者のような化粧を施し、アカデミー賞授賞式でハリウッド女優が着るようなドレスを着ていた。一見しただけで分かる奇矯な”なり”だった。現代社会の裂け目から突如として現れたような出立ち。そんな姿で街を闊歩していた。化粧や特殊な身なりのせいで正確には分からないが、体型や歩き方から推察するに、老年期に足を踏み入れて随分と立つような、そんな雰囲気を纏っていた。

 平日はスーツにネクタイ、生理的に生えてくる髭すら剃らなければならない私にしてみたら、そんな男を認める訳にはいかなかった。”普通”からはみ出す人間を見ると精神的に苛立ちを覚えるタチである。「いくら今が自由な時代だからって節度ってもんがあるだろ」心の中での呟きは昭和を引きずったまま、令和の今を生きている。私は男の後をつけることにした。

 新宿の雑踏でも男は当然、目立った。すれ違う人々は必ず二度見し、時にはスマホカメラを取り出し遠巻きに写真を撮る外国人もいた。旅行の思い出にでもするつもりなのだろう。帰国後に友人を集め、「This is Japan!」「Samurai!」「Oh,Fuckin’ Crazy!」…日本の恥だ。

 ウィンドウショッピングでもしているのだろうか、男はゆっくりとした歩幅で道を歩いていく。尾行するのは簡単だった。そもそも知り合いではないし、振り返りもしない。つかず離れずの距離を保ちながら、我々は伊勢丹を通り過ぎた。

 新宿御苑が近づくにつれて、大都市にも緑が増えてくる。緑葉によって冷やされた空気が頬を撫でる。私は我に返った。

 ーーー心地よい秋口の初めに何故、私は奇妙な男を尾行しているのだろう。職業・探偵である訳でもなければ、刑事でもない身でありながら。

 人垣、とも言えるほどのアルタ前に比べれば、ここら辺は人もまばらで歩きやすい。その分、尾行も難しくなるに違いない。ゆっくり空気を吸い込み、男の後を追いかけた。

 階数の少ない雑居ビルが増えてくる。そのどれも最新の建築様式からすれば随分とズレた時代遅れの産物だった。私の前に人はもういなかった。男と私、等間隔を保って歩き続ける。

          *

(下)に続く


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