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スウェーデン留学記#49 アメリの情熱

フランスとドイツ出身のアメリは、お互いに料理が趣味ということもあって一番仲良くなったハウスメイトだ。一緒に北極圏へオーロラ観測の旅に出かけた仲でもある。信頼関係もそこで深まったように思う。
アメリは芸術家で、よく絵を描いていた。暇があると一日中キャンバスに向かって、人を描いたり、抽象画のようなものも描いていた。アメリの絵からはいつもエネルギーを感じたし、アメリ自身も人生において"エネルギー”というキーワードを大事にしているようだった。”情熱"といってもいいかもしれない。

私とアメリはお互いに何かに行き詰まると (大抵は勉強だったが、時に人間関係だったり、人生そのものであることもあった) よく一緒に散歩に出かけた。それは早朝だったこともあるし、試験前日の真夜中だったこともある。勉強がはかどらなくて自分に嫌気がさしたとき、人間関係に悩みどうにも出口が見えなくなったとき、人生の先行きが見えなくなったとき、というのは留学中でもいつでも起こりうることだ。そんな時、アメリと一緒にスウェーデンの真冬の寒い外気の中に出て黙々と歩いていると、止まっていた呼吸が再びできるようなった気がした。

家の近所の散歩コース
凍った池
春の気配

互いに何に悩んでいるか話すこともあった。アメリは自分に対して厳しい人だったので、何に対しても興味を持てなくなったり、勉強に対してやる気がわかなくなる時が来ると、自分がダメ人間に思えるらしく、そんな時は絶望したような声で私に助けを求めた。エネルギーが湧かないときに物事にどう立ち向かえばいいのか、というのが彼女がしょっちゅうぶつかる課題だったようだ。私達がよく話したのは、エネルギーは循環する、ということだった。ずっとエネルギーを出し続けることはできない。やる気がある時とない時があるのは当たり前で、やる気がない時は流れに身を任せて休むしかない。しかも、大抵やる気が出ないときは心や身体が疲れているときだ。心と身体はつながっているから、十分に休んだり、あるいは好きなことや新しいことなどをして栄養を与えることで、運動して酸素を取り込むと血行がよくなるのと同じように、心身のエネルギーの巡りがよくなる。こんな話をした後、その時々でアメリは絵を描いたり、あるいはひたすら寝たり、歩いたりと工夫を凝らして、数日後にはまた元の情熱的なアメリに戻っていった。一方の私はというと、研究者の卵としての一歩を踏み出さねばという、ちょうど人生の岐路に立っていた時期でもあるので、漠然とした不安を抱えていた。研究職は競争率の高い業界だ。論文という業績だけが肩書きの世界で、自分はやっていけるのか、自分に才能なんてあるのか、研究職なんてそもそも向いていないのではないか、としょっちゅう自分に自信をなくした。そもそも才能ある立派な研究者でさえ、任期付きのポストを渡り歩きつづけなければならない不安定な業界だ。女性である自分はいずれ結婚もしたいし、子育てもしたい。その道に一歩踏み出すことへの覚悟がまだできず、迷っていた。こんな詳細な話を全部アメリに話したわけではないが、要は「自信がないし、覚悟ができない」と言う弱気な私にアメリは「失敗するかもしれないという恐れに負けてはいけない!挑戦するのよ!戦うの!」と、熱い言葉でいつも背中を押してくれた。「失敗するかもしれないという恐れ」というのはまさに的確な言葉で、ハッと胸に突き刺さった。研究者として歩き出している今も、時々この言葉を思い出しては身が引き締まるような思いがする。

私を信頼してくれていたアメリは一度、「一週間ほど旅行で留守にする間、育てている花の世話をして欲しい」と私に花を預けてきたことがある。ちょうど見頃の時期だったようで、その大きな赤い花は満開に咲き誇って、アメリの部屋よりは少し狭い私の部屋で、窓辺から私を威圧的に見下ろしていた。「綺麗でしょ。部屋に花があると、毎日嬉しい気持ちになるわよ。楽しんでね!」とアメリは満足げに言い残して出かけた。「実は私は花を育てるのが苦手なのだ」とは言えなかった。昔から植物をうまく育てられたことがない。小学校のときみんなで一斉に植えた朝顔も、自由研究で家で育てたカイワレダイコンも、今まで私が育てようとした植物は皆、水のやりすぎで腐ってしまった。「土が乾いたら水をやってくれればいい」とアメリは気軽に言っていたが、私は毎日ハラハラしながらその大きな赤い花を見守った。
にも拘らず、ある日突然その花の一つがガクっと散ってしまった。ああ、預かり物の大事な花を散らせてしまった!と私は戦々恐々としてアメリの帰りを待っていたが、帰ってきたアメリは「綺麗だったでしょ!」と満足気。恐る恐る散った花の報告をすると、「それはそうよ。一週間くらいで散る花なのよ。ほら、新しいつぼみがまだあるでしょ?」と嬉しそうに指差した。なるほど、確かにまだ咲いていないつぼみがある。私の世話のせいで散ったわけではなかったようだ。
結局、散らせるかもしれないという恐れで一秒たりとも花の美しさを楽しむことができなかった。アメリはその赤い花が大好きで、見るたびにエネルギーをもらうのだという。なんという名の花なのかは知らない。だが、その燃える炎のような花はどこかアメリの姿と重なって、私の中に深く印象づけられたのだった。

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