生き様
「人は生きてきたように死んでいくわね」
二年ほど前、写真家である小学校来の幼なじみが個展を開いていたので立ち寄った際、そのおばあちゃんと偶然お会いしたことがある。たしか小学校の敬老の日のイベントが何かで、お手玉を教えたいただいた記憶がおぼろげにある。そんな昔話をしているうちになぜか意気投合し立ち話もなんだということでそのまま喫茶店で2時間ほどお話しした。
昔話など興味深い話をいろいろ伺った中で心に残った言葉がある。
「人は生きてきたように死んでいくわね」
その言葉の真意を正確に受け止め切れているか自信はないが、おそらく人の死にざまはそのままその人の生き様と似ているというお話だったと思う。「終活」という言葉が近年流行っているが、その終活にもその人らしさが表われるということだと。
その時は分かったような分からないような気がした。それが先日ふと腑に落ちた瞬間があった。
私は博士課程に進学するにあたり、とある財団から奨学金をいただいていた。毎年5人ほどの奨学生がいて、全員で月に一回研究発表会などを行った。研究発表会といっても、各自が自分の専門分野の紹介を行った後にみんなでお弁当などをいただきながら、ああだこうだと質問をしたり議論をするお茶会のような雰囲気だった。自分は普段生命科学の分野を専攻しているが、その財団では芸術分野や文学、社会学など様々な分野を専攻している奨学生がいて他の分野の研究の話を聞くのはとても楽しかった。自分の研究の話を他の分野の人に聞いてもらうことで、面白い意見をもらうこともあったし自分の研究が社会とちゃんと繋がっているという実感を得ることもできた。その発表会は毎回財団の理事長の自宅で開催され、もちろん理事長も参加していらしたのだが、何よりその理事長が最高に素敵な人だった。80歳ほどのおばあちゃんだったが、とんでもなくパワフルで明るい人だった。好奇心も旺盛でその年であちこち旅行に行ったり、新しいことを始めたり、我々奨学生の話もうんうんと大変熱心に聞いてくださり、そして私達奨学生をいつも応援し、励ましてくれた。理事長自身は芸術分野に造詣が深く、色々と思いついてはリビングの飾りやお皿を作っていた。家も大変お洒落で、風呂場の装飾や各部屋のデザインなどもご自身でされたそうである。新しくピクルスを漬け始めたり、京都に旅行に行きサイクリングであちこち回られた話や、若いころの苦労された話なども毎回楽しくお話ししてくださった。
奨学金をもらえるのは一年間ということで、年度末に最後の定例会を行った。何人かは無事博士課程を卒業ということで、次の場所を報告したり一年間のお礼を言いながら和やかな会となった。その時に理事長が一人一人に応援のメッセージを送ってくださった。私には「あなたは明るくて知的でユーモアのセンスもあって見た目も最高!いつも会を盛り上げてくれてありがとう!これからも頑張って!」というような、大変身に余る誉め言葉のオンパレードでこの年になってそんな風にストレートに褒められることもないので気恥ずかしい反面、まるで小さな子供に戻ったようにとても嬉しい気持ちになった。
晩年は海外に移住したいと言ってまだまだお元気そうな理事長だったが、理事長に会ったのはそれが最後となってしまった。再度まで全力疾走で常に人生を楽しみ、まるで太陽のように周りの人を元気づけ与えることを惜しまない人だった。最後に私にかけてくれたのがあの誉め言葉だったというのが、理事長らしい。人はいつ死ぬか分からない。だからこそいつも周りの人を勇気づけ続けた理事長の最後の言葉があの一言だったことに感動したと同時に、冒頭の「人は生きてきたように死んでゆく」という言葉の意味が腑に落ちたのである。
もし私ならあのような素敵な言葉を最後に言えるだろうか。いつ死ぬか分からないからこそ、生き様がそのまま死に様になる。いつ死んでも胸を張れるような、素敵な生き方をしたい。