性と生を考える仲間との出会い⑤区別、分断を生んだ「感動的な講演」
私は、32歳になったころから、教育委員会や学校などから人権に関する講演会の講師として招かれるようになりました。多いときには月に8回ほどの講演を行いました。
講演では、「女性の身体と男性の心」という身体と心の性が一致しない自分の苦しみ、そして性別移行など、自分の人生を時系列で語りました。
講演を通して、私は、「自分は特別な存在でも、まして奇妙な存在でもない。みんなと同じなのだ」という思いを伝えたいと思っていました。しかし同時に、「私が経験してきた悲しみ、苦しみをわかってほしい」という強い思いもありました。
次第に、私の講演は、自分が味わってきた様々な感情を聞く人にぶつけるようなトーンになっていきました。特に、子宮と卵巣の摘出手術をする直前、母からもらった手紙の中の「やっと男として認めてもらえる日がきたね」「どうか肩の荷を降ろしてこれからの人生を楽しんでください」「私の子どもに産まれてきてありがとう」といった言葉を紹介する時は、私自身、当時を思い出して時に涙を流しながら聴衆に熱く語っていました。
講演を聞いた人たちはみなとても感動してくれました。「よかった!」「心に響いた!」「涙が出た!」と褒められると、私も満足感を味わうことができました。そんなスタイルの講演会を5年間ほど続けました。
しかし、いつしか私の中で、ある疑問が生まれ、それがどんどん大きくなってきました。「私の講演は、本当に、性と生を大切にする社会のあり方を考えるきっかけになっているのだろうか?」。
確かに、講演を聞いて泣いてくれる人はたくさんいました。しかし、講演後の感想やアンケートを見ると、「田崎さんはかわいそう」「大変でしたね」「これからは幸せに生きてほしい」など、私に関することばかりで、講演を聞いた人自身の「性と生」を語る言葉はほとんどありませんでした。
田崎智咲斗という赤の他人のことを「かわいそう」と思っただけで、講演を聞いた本人の生き方を考えるきっかけにはなっていないのではないか……そんな疑いの念がどんどん膨らんできました。
そして、ある日、性的マイノリティの当事者をはじめ、様々な人が集まって性と生について考える会合で、会の主宰者から私はこう言われました。
「例えば部落差別の問題を考える時、田崎さんは部落差別に苦しんできた人の話を聞いて、『部落に生まれた人はかわいそう』って泣くんですか? 差別に苦しむ人は、泣いてほしくて話をしてるのですか?」と。
もちろん、私は泣いてほしくて講演をしているわけではありません。多様な性、多様な生き方が否定されることのない社会をつくりたいから、講演を聞いた人たちと、そうした社会を一緒につくっていきたいから講演をしているのです。
では、なぜ私は、講演で自分の感情をぶつけ、涙してもらったことに満足していたのか……私は自分が、講演を聞いた人から拒絶されることを恐れていることに気づきました。
身体と心の性が一致しない違和感、苦しみを語るとき、私には「あの人はおかしい、異常だ」と思われるのではないかという恐怖がありました。「アイツは変だ」と思われたくなくて、「私がこんなに苦しんできたことをわかってほしい」と感情を込めて話していたのではないか。だから、講演を聞いて泣いてくれる人がいたら、「拒絶されなかった」と安心していたのではないか……。
確かに、講演では、とてもつらい言葉をかけられることがありました。「あなたは種の保存の摂理に背いている」「生物学的にありえない存在だと思う」と感想を書かれたこともあります。「理解しなければいけないことはわかるし、差別をしていいわけではないけど、自分の子どもがあなたのような人と結婚すると言ったら、正直、受け容れられないと思う」と、人権施策に関わる担当者に言われたこともあります。
みんなと同じ人間として受け入れてほしいのに、実際には「普通の人たち」との間に大きな隔たりがあるという現実を突きつけられ、唖然としました。そして、そうした言葉をぶつけられるのが怖くて、自分の苦しみを知ってもらい、泣いてもらおうと思ったのでしょう。
しかし、結果として私は、「かわいそうな特別な私」と「かわいそうな私に涙する普通の人たち」を区別し、分断しているだけなのではないか…このまま講演を続けてはいけないと思うようになりました。
しかし、いったいどうすればいいのか……私は大きな壁にぶち当たってしまいました。
次回の投稿は、3月29日の予定です。
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