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【子ども時代のちーちゃん12】女性として生きていくことを諦めたZくんとの一夜

このnoteでは、LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介はこちらから)
男性になりたいという思いを持ちながらも、「なれないならば女として生きていくしかない」と思っていた私は、男性とお付き合いをしてみます。今回は、そんなお話を赤裸々にお伝えしようと思います。
※これまでの【子ども時代のちーちゃん】の物語はこちらのマガジンから

短大時代に、「男になれないのなら、女になるしかない」「男の子と付き合ったら、心も女の子になれるかも」「心と身体の違和感が治るかも」と考え、Qくんと付き合いました。しかし、Qくんとのお付き合いは1か月で終わってしまいました。Qくんを「女性として」好きになることはできませんでした。

それでも私は、女性になることを諦めきれずにいました。心は男性でも、身体は女性なのだから、女性として生きるしかない。そう思っていました。

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お化粧も頑張り、女性らしい見た目でいようとしていた頃の私

Qくんと別れてしばらくして、私は幼なじみのZくんと再会しました。Zくんはたまに連絡を取り合う中でしたが、実際に会うようになったのは数年ぶりでした。

Zくんは小さな頃から快活な少年でした。女の子同士で「誰が好き?」と話題になったとき、たくさんの子がZくんの名前を挙げました。私もZくんの名前をあげました。そのときの私の気持ちは、「Zくんだと言っておけば当たり障りがない」という気持ちが半分、そしてもう半分は「Zくんのことを本当に好きかもしれない」という気持ちでした。

私の性自認や性的指向は思春期までは本当に揺れ動きました。男性を見て「いいな」と思うこともあったのです。それがZくんでした。

ある日、Zくんと2人で食事に行きました。その日まで、Zくんは私にとって「気の良い男友達」でしたし、Zくんにとっても私は「気を遣わないで済む女友達」だったはずです。

食事が済んで、あれこれおしゃべりしていて、気がつくと夜も遅くなっていました。「じゃあ、うちでもうちょっと話そうか」とZくんの家に行くことになりました。

「あれ、もしかして泊まることになるかも?」と思いました。困ったなとかイヤだなとかではなく、「もしも万が一、そういう雰囲気になったら……できるかなあ」と。不安がなかったわけではありませんが、Zくんが相手ならうまくいくかも、女性になれるかも。そんな期待めいた気持ちもあったと思います。

深夜まで一緒にテレビを見て、いい加減眠くなったので、Zくんのパジャマを借りて眠ることにしました。狭い部屋に、同じ布団です。布団の中でZくんの息づかいを感じました。

そのとき、頭の中で鮮明になった感情は今もはっきりと覚えています。「やっぱり無理だ!」です。男の子であるZくんは、自分にとっては同性なんだ。そして、自分は同性である男の子に対して恋愛感情は持てないのだとはっきり自覚しました。

その夜、Zくんとの間には何も起こりませんでした。夜中までおしゃべりしすぎて2人ともすぐに眠ってしまったため、私もZくんに対して気まずく思うことはありませんでした。でも、その晩を境に私は確信しました。「女性として男性を愛することが無理なんだ」と。女性として生きていくことはできないのだと自覚する出来事でした。

ちょっと不謹慎な想像で申し訳ないのですが、もしもあの晩、Zくんが私を抱こうとしたら、どうなっていただろうと思うことがあります。私が女性として身を委ねたら、私のその後の人生は変わっていたのか。女性として生きていくことができたのだろうか、と。

あの日に戻れない以上、もちろん答えはわかりません。でも、たぶん、私がZくんに身を委ねたとしても、結局私は女性にはなれなかったのではないか、その後の人生は変わっていなかったのではないか。私はそう思っています。

Zくんとの一夜をきっかけに、私は「女性」として生きていくことはやめようと決心しました。そして、女性らしい化粧も高いヒールも、成人式の日を境にやめました。次回、4月6日の投稿で、女性らしさにさよならした成人式の日を振り返ります。

【これまでの物語はこちら】


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