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図書館を巡る元本嫌い

 小学生の時の私は、本を読むことが大嫌いだった。というよりも、勉強が好きではなくて、なんなら文字を読むことに拒否反応を覚えていた。文字を読むことが嫌いだから、テストの問題文を読まずに大それた答えを書くという暴挙に出るような小学生として育ってきた。

今でも覚えている一番と言えるほどのエピソードがある。よく国語の選択問題で「適当なものを選べ。」という問いかけがある。私は本を全くと言えるほど読んでいなかったせいで、日本語すら怪しかった。だから当時の私は、「適当に選べば良いの?テストなのに?そんな簡単なことあるんだ!」と思って"テキトー"に選択肢を選んでいた。

これは、頭が悪すぎて塾に入り、初めての模試を受けた時の反応です。思い返せばあの時の偏差値は30ぐらいでしたね。(高校受験の時に猛勉強して偏差値70まであげて、"広島のビリギャル"と小さな塾で謳われてたのは良い思い出です。)

そんな私が本に魅了されたのは、高校3年生。中学時代は、毎朝「読書タイム」という強制的に本を読まされる時間があり、そこでしか本を読んでいません。読んでいたというよりも寝てたに近いですね。つまりは、まだ本は嫌いでした。

話は戻って高校3年生の時、受験生真っ只中。私は推薦を受けること(落ちたら一般を受ける)を選択していたから、志望理由書を書く必要があった。小論文と志望理由書を担当してくれる先生と話をしていく中で、「あなたの興味のあることは何?」と聞かれ、私は「ファッションに興味がある。」と答えました。先生は「じゃあそのファッションについて何を知ってるの?そこには、あなたが解決すべき課題はある?」と深いところまで問い詰められ、私は大好きなファッションのことなのに何も知らないのだなと痛感した。

先生は私に、ファッションに限らずいろんな分野の本をおすすめしてくれたり、貸してくれたりした。「自分が知らなかったことはこんなにあるんだ。」と実感し、そこから少しずつ私の知らない世界を知っている本の魅力に気づき始めました。

見えてない世界、自分にはない感性、心を救う言葉、人が生み出す創造物はこんなにも素晴らしいのかと生まれて18年経ってわかった、ようやくすぎる。卒業式の日、担当の先生から「本は生きる上での原点だから沢山読んで自分の生きる糧にするんだよ。」という言葉をもらった。

私は結局、推薦も一般も実らなかったから、せめて先生が最後まで教えてくれたことを生涯信じて生きていこうと思い、施設として十分すぎるほどの大学の図書館の本を読み漁ることを始めた。本だけでなく、本がずらーっと並ぶその空間さえも楽しむことができるようになった。

ここが私のアナザースカイ、と言えるほど大好きな場所となった本屋と図書館。大学の図書館や本屋に止まらず、今年の夏休みは、近場の図書館を巡るようにもなった。勉強も捗る静けさと外からうっすら聞こえてくる蝉の鳴き声が心底心地良い。世界中の人の想いと知識が詰まった本に囲まれる幸せ空間。いよいよ私は、本の沼にハマったのだ。

今まで、嫌になるほど「本をたくさん読みなさい」と大人たちから言われた。塾や学校の先生も親も祖父母も。今となっては、その意味を十分に噛み締めることができる。兄弟がいる私はそれを伝えてはいるが、弟も昔の私を見ているような気持ちになるくらい本が嫌いだ。素直に聞いてはくれない。でも、いつかわかる時が来るかもしれない。私の場合と同じように、些細なことをきっかけに、本と出会うことで自分の世界が広がるかもしれない。

だって今、私は文章までも書いているのだから。

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