見出し画像

文という海を泳いでいる


祝日が芋づる式のように並ぶゴールデンウィークも終わり、学生である私は夏休みまでのかなり長めのカウントダウンを始めた。歴史上何があって祝日が誕生したのかについて無知な私にも、そう簡単には揺らがない暦は恵みを与えてくれることに感謝しかない。のんびり休むことができましたありがとう。



「五月病」という言葉があるように、今世間ではこの病への懸念がちらついている気がする。温暖化という箱船に乗って、またしても早期に輝かしい夏(私は夏が好きではないけど)が到来しようとしている反面、梅雨も負けじとやって来るんだろうなーと思ったのは、気圧による偏頭痛に連日悩まされているからだった。病気も患わず至って健康的なのに、朦朧としている。これが五月病と言うのか。
「病は気から」という言葉もあるせいで、自分で自分を論破していることを俯瞰してしまったのでもう考えることをやめた。



つい最近、バイトを辞めた。3ヶ月ごとにバイトを変えていた私にしては長く勤めたバイト先、と言っても8ヶ月程度。辞めた理由は大層ではないからこそ余計に虚しくなる。留学で3ヶ月バイトから離れてしまうと、人は(少なくとも私は)怠惰を覚えてしまうらしい。「ザ・最近の若者」こと放浪者になった私は親のすねかじりから抜け出せていない。学内バイトはしているものの、給料が今までの半分になってしまったのは趣味豊富な私にとっては痛手だった。



旅行欲は短期バイトを探して十分稼げたら計画を進める。ライブ欲は四半期に一度程度で心の安寧を保つ。持ち前のケチさと計画力で節約生活をしている中でも、本欲だけはどうしても譲れなかった。ほんの気持ち程度、ブックオフと大学の図書館の利用頻度を増やした程度だ。



バイトを介して繋がっていた社会が手元から離れると、言葉では表わしがたい感情が込み上げてくる。私はちゃんと社会で働けるのか、社会に必要とされる人間なのか。切っては行けないものを切ってしまう連続ばかりで、そろそろ自分に嫌気がさす。この悩みの種も何度蒔いたことだろう。
自分で自分を苦しめていることも目を反らしてはいけないこともわかりきってるけど、抗えない自分が情けない。





現実や社会という地に足固めることなく宙をふわふわと浮くことができる世界が、好きという言葉が持つ意味の範疇で表わせないくらい心地いい。それが本の中に広がる世界。数100ページで終わってしまう世界の続きを考えようとしたことは、かつて一度もなかった。
本の世界の物語は途中から始まり、途中で終わる。創作で生み出された世界とは言え、今までもこれから先もずっと続いてくであろう世界のほんの一部にすぎない。あれはあれ、これはこれと碁盤の目のように綺麗に区切りを付けることは大事なのかもしれないけど、どの世界にいても地続きでつながっているんじゃないかと思った。



時間を持て余す私は、文という海を泳いでいる。
どこにいても何をしても、世界はつながっているのだから、そこでしか得られないものがあるはずだと信じさせて。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?