隣に誰かがいるということ
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自立するためには様々な関係性の人々や環境が不可欠だ。
家族でも、恋人でも、趣味でも仕事でも。
その中でも個人的には家族、恋人の影響力は大きいと思っている。
もちろん場合にもよるが、およそそのどちらも人生においてずっとそばに居てくれる存在だ。
この距離感というのは非常に重要で、精神的安定をもたらすには安心できるものができるだけ近いほうが良い。
あ、ちなみにだがこれに関する明確な答えはまだ私自身導き出していない。
なので現状思うことをつらつら書くだけになる。あらかじめご了承いただきたい。
さて、その中でも恋人についてちょっとだけ書きたいのだけれど。
よく心理学のデータとして「物理的距離は精神的距離と比例する」というものが挙げられるが、経験則ではこれは事実だ。
なんでかは知らないが今までお付き合いさせてもらった恋人の内半数は遠距離だった。そしてどれも遠距離になった途端にフラれた。
気持ちが離れた。とのことだった。
気持ちが離れたとなったらしょうがない
きっと私はそれをただ見送ることしか出来なくて、嫌いになって終わりたくはないから
「良い人を見つけてね。いままでありがとう」
とだけ伝えてただただ自分の不甲斐なさに怒り、悲しみ、絶望するしかないのだ。
それでも世間には遠距離であろうとなんだろうとその関係性を維持し続けることが出来る人はいる。
国内だろうと、なんなら相手が外国にいようといつまでもお互いに恋して、その愛を育む事のできる人がいる。
その人達と私は何が違ったのだろう。
その答えの一つとしてタイトルにある「隣に誰かがいるということ」が大事なのだと思う。
私の経験では距離が離れたとき、精神的に一抹の寂しさを覚えた。
物理的でなく、精神的に隣に誰もいないような、ただ純粋な寂しさだった。
きっとこの距離感というのは遠距離であろうとなかろうと自分の人生、生活、全てを充実させ安心させうる方法なのだと思う。
逆を言えばどれだけ近かろうと「貴方が側にいる」と実感できないと厳しいということでもある。
ではどうすればその安心を得られることができるのだろうか。
相手との相性もさることながら、やはり相手への信頼をどれだけ築けるかが大事なんだと思う。
信用を築くのは比較的簡単だ。お互い真摯でいればいいのだから。
信頼となると難しい。それを形成する要素が多岐にわたる上に先述の信用を得ることは最低条件であるからだ。
しかしその障壁を乗り越えたとき。「誰かが側にいる」安心感を獲得できる。
私の失敗談で語るならここの信頼関係を気付くことが出来なかった。
もともと来る者拒まず去る者追わずという性格のためかこちらからのアプローチを怠っていたのだ。どれだけ好きだったとしても、それを表現しなければ相手に不信感をもたせるのも無理はない。
これでは信用を得ることすらままならない。
そして遠距離になった途端信頼関係を築くことが出来ていない事に気づき寂しさを覚えるのだ。
どう考えても自業自得だ。
身から出た錆だ。
しかしいざその時になってしまうとうまくいかない。
もはや今となっては昔のことなので恋愛というものがどういうものなのか思い出せなくなってしまった。
私は今そんな状況だが世間の人たちにはそんな事にはなってほしくない。
遠距離だろうが近距離だろうが、お互いの信頼関係を築き上げて「貴方が側にいる」という安心感のもとに幸福な生活を送ってもらうことを切に願う。
幸福な世界は個人レベルならきっと作り出せるはずなんだ。
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