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人は自分の刀で切腹することになる

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他人を批判するために使った文章、論理
あなたに向けられた時に避けられますか?

なんだかそういう感じの人をフォローしているせいか、Twitter上でバチバチの論争が繰り広げられることが多い。
最近だったらファミマが「子ども食堂」を始めるというものだった。

この内容に賛同する者と「企業の宣伝戦略」などと言って眉をひそめる者がいた。
個人的には営利企業がやろうが誰がやろうが子供が助かるなら何も問題はないと思うのだが、批判する人からすれば嫌らしい。
今回はこの子ども食堂の話ではないのだが、そういった話に頻出する、所謂「ブーメラン」についてちょっと書こうと思う。
後々は「刀」「切腹」なんて比喩で話を進める。

ネットスラングにおける「ブーメラン」というものは「言った当人の批判がそのまま自分にも適用可能である状況を自ら作り出す事」といったものだろうか。
わかりやすく言うと、ジョークとして語られる「俺は差別と黒人が大嫌いなんだ!」というやつ。
「いやお前差別してんじゃん」というこれがブーメランだ。
「お前が言うな」とも言い換えられるだろうか。

この現象(?)は昔からネット上には存在していて、ブーメランという言葉も最近出てきた言葉ではない。

で、このブーメラン。言論の場で発生しないよう封じ込めるのはなかなか難しい。
どれだけ首尾一貫した態度を心がけても、どこかで少し揺らげば攻撃されてしまうからだ。
そういった状況でも弁が立つ人(あるいはそう自認している人)はとても強い語気で声高らかに自説を述べる。
しかしそういう人がしばらくして自滅する姿をしばしば見る。

こういう人たちは何かを批判する時にそれはそれは大きな刀を振るって「どうだ」と言わんばかりに対象を斬りつけるのだが
その批判が自分へ向いた途端どうにもできなくなって(場合によっては敗北して)緩やかに自分の刀で切腹していく

実際の例がないので最近のものをいくつか
名前を挙げることはしないので気になる人は調べてほしい

1 日本企業の賃上げを求め運動している人、自分が運営する法人ではスタッフの月給17万円であることを指摘されると「この業界はそんなものだ」と開き直る

2 足やヘソなどの露出が多いキャラクターを「女性への性的搾取だ」として批判しているイラストレーター、露出の多い女性キャラクターを商業冊子へ描き批判されるも無言

3 Aという人物の発言に対して「ストローマン論法」だと批判していたBという人、Aの発言を正しく引用しておらずB自身がストローマン論法を使用していた。

こんな感じだ。
何が驚きってこれらの話題がここ1、2週間くらいでの話題なのだ。
結構ハイペース。

かなり正確に切腹まで至ってると思う。言い逃れ出来る部分はあるが、100%信頼できる回答は期待できそうもない。
特に1と2は黙っていればさほどツイッター上で怒られるようなことにはならなかったと思う。もちろん批判の余地はあるが、それでもプチ炎上のような事態にはならなかったはずだ。
3に関しては発言の中で切腹完了なので発言しなければ本当に何もなかっただろう。

ではなぜ炎上したのかと言うとやはり最初に「刀を振るった」からだろう。
批判する際に用いた「論理」という刀に斬りつけられた人々や
それを観察していた人々はその暴力性に対して少なからず反感を持つだろうし、反撃したいとすら思うかもしれない。
その振るった刀がここでは問題で、当人はさも自分にはその刃が向かないかのような振る舞いをしている。これが非常によろしくない。
余計に反感を買う。反撃は必至だ。

SNSが発達して簡単に自分の発言を世間に知らしめることが可能になったおかげで、その発言はどのような内容であれアウトプットの重さを失いつつある。
その際に刀を振るい「どうだ私の刀(発言)の切れ味は」と大見得を切ると、隙を突かれて防がれるどころか自らの刃で切腹しなければならなくなる。
自らの発言内容を覚悟の上でそれでも大見得を切り刀を振るうのならそれでもいい。

しかし多くの人は自らが正義だと疑わないので無自覚のうちに暴力的論理で相手を攻撃してしまう。
そうなったとき自らが切腹する未来があるということをもっと自覚する必要がある。
他人に向けた刃はいつ自分に向くかわからないのだ。

もちろん強気な、批判的な発言をするなとは言わない。発言するときに「この刃が自分に向くかもしれない」という自覚と覚悟を持っていた方がいい。という話だ。

僕は人間は矛盾のない生活を送る事は絶対できないと思う。
思考は日々アップデートされていくから過去と照らし合わせて思考を全く同じに、というのは出来ないだろう。また人は無意識にでも矛盾を抱えている、そのまま生きていくしかない。
あとシンプルに深く考えてなかったから矛盾に気付かず吐き出してしまうこともしばしばある。

ただそれらを無自覚のまま生きてしまってはいけないと思う。
それは人を斬りつける辻切りでありながら裸の王様でもあるような、とても滑稽なものだと思うからだ。

今回は自戒も込めてこの記事を書いた。
誰かを批判する際に用いた論理は自分にも適用されることがある。
その自覚と覚悟を持って僕も生きるべきなんだろう。

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