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対話と僕⑫:「対話」が機能しないケース

・はじめに

前回までは「対話」を実施するうえで必要なモノやそれによって得られるモノを書いてきた。
今回は僕が体験した「対話」がうまく行かなった時の要因や課題について書いていこうと思う。

以前から述べている通り僕にとって「対話」はツールであって、使いどころを見極めながら活用する必要がある。
無理に使おうとすると逆効果になるので「対話」それ自体が目的になる事は極力避けるようにしている。
なので「とにかく対話が大事」という風潮にはあまり賛同できない。
機能しない状態で「対話」を強行すると効果が無いどころか逆効果で、関係性が悪化したり次回以降の参加意欲を大幅に削ぐことにも繋がる。
どんな時に「対話」が機能しないかを整理することで、効果的に機能させるために必要なモノが見えてくるかもしれない。

・「対話」が機能しないケース:「対話」する気が無い

これはいわゆる「対話する気が無い人とどうやって対話するの?」といった類のものである。
よく質問されることではあるが、答えはシンプルで「対話しない」である。
他者のやる気を引き出すことほど難しいことは無く、これができれば対人関係の殆どが解決するんじゃないかと思えるほど難解な問題だ。
こういった人は日々忙殺されていたり責任ある立場にいる人が多く「そんな悠長なことやっていられない」「周囲の意見を聞いたところで収拾がつかなくなる」と言った状態に陥っているケースが多いように思える。
そんな人たちに対して「『違い』の価値を感じましょう!」「批判的思考をぶつけ合って新たな視点を得ましょう!」と言っても逆効果だ。
なので前述の通り「対話しない」が答えになるわけである。

・「対話」が機能しないケース:意見が出ない

「対話」が機能しない二つ目のケースは「意見が出ない」である。
前述の「対話する気が無い」に近い状態であるが、少しだけ意味合いが違ってくる。
これについては普段から意見が抑制されている可能性があり、「言っても否定される」「言ったらやらされる」等のリスクを感じてしまっている。
また、「普段良くしてもらっているから反対意見を出しづらい」という理由でこのケースが発生することもある。
普段から気兼ねなく意見を言い合える場ではないのに「対話」だからと言って急に意見が出るという事は無い。
本当に意見が無いのか、遠慮からそうさせているのか、出ないこと自体を問題視するのではなく「なぜ意見が出ないのか」という視点を持てると感じ方が変わるかもしれない。
また、こういった機会を経験したことが少ないことで「意見を言う」という事自体に慣れていないパターンもある。

・「対話」が機能しないケース:否定的な意見は出る

このケースは前述の意見が出なくなるケースを誘発するようなパターンであり、とても危険な状態である。
ようやく出てきた意見に対して「理解」や「深掘り」より先に「現実的ではない」や「前例がない」などの理由でそれを塞いでしまう。
「対話」する気が無いという以前に、意見することへのリスペクトもなければその重要性の認識もしていない。
これも普段のコミュニケーションが影響している場合が多い。
正解不正解をジャッジすることやスピーディーに解決することがファーストチョイスになっていて、「違い」から生まれる新たな視点に目が行っていない。
ある種仕方のない事ではあるが「対話」するうえで一番大事なことを抑えつけてしまうケースであると言える。

・機能しないケースを防ぐ方法:ルールを設けて事前に承認を得る

ここまで挙げてきたケースに共通することは「普段のコミュニケーションや認識が影響している」という部分である。
これを「対話」の場で解消することは難しく、前述の通りそういった能力が備わっていれば多くの問題を解決できる。
そういう意味では「対話」の場でこういった意識を変えるのは不可能だと言える。

とはいえどのように対応するべきかは考えておく必要がある。
既に「対話」の場が開かれていて、その場にこの手の人が参加していた場合に放置しておくわけにはいかない。
対処療法的な方法論としていくつか考えてみたいと思う。

その一つは「ルールを設けて事前に承認を得る」という事が挙げられる。
「非難ではなく批判を」「意見を出すこと自体に価値を感じる」「判断の前に理解するように努める」と言ったような共通認識をその理由も含めてしっかりと伝えておく事が必要となる。
それを原則としてれば「対話」中にこういったスタンスを注意することができる。
更に人格や意見の否定ではなくあくまでもルールからの逸脱を指摘できるという状態にしておくことは非常に重要である。
これを疎かにしていると軌道修正ができなくなってしまう。

・機能しないケースを防ぐ方法:普段のコミュニケーションとは違う事を理解してもらう

もう一つは「普段のコミュニケーションとは違う事を理解してもらう」である。
前述のルールを伝えたうえで、恐らくは殆どの方が経験しているであろう「否定」や「言い出しっぺがやらされる」というような意見の表出を抑制する要素が無いことを伝える。
僕の経験上ではこれが意外と効果的で、特にアイデア出しの場では「予算や人員などの実現可能性は一旦といておきましょう」と伝えることが多い。
また壁打ちや1on1の場では「正解不正解ではなく表出した意見や生煮えの意見から新たな発見がある」といったように発言の内容ではなく発言自体の行動に価値があることを伝えることも効果的である。
ルールや前提の再認識によって徐々に矯正していってそれを意識的に利用できるようにするイメージである。
この「意識的に」という部分もポイントであり、無意識的に使ってしまう弊害もある。
この辺りはまた別の機会にまとめていきたいと思う。

ここまで述べてきた方法は前述の通り対処療法的なモノであり、根本解決するような力は持っていない。
その場限りの緊急回避策として使う分には問題ないが、これらを常用していくといつまでたっても「対話」が機能しないままになってしまう。
ただ、前述のようにルールを設けたり前提を再認識したうえで「対話」の場を経験していくとを重ねていく事でマインドセットが変化していく。
「違い」や「批判」の価値を感じ始めて矢印が他者に向く。
そうして相手から出てきた批判的な意見を自分に取り組むことができるようになる。
今までの経験では変わるためには実践しかないが、実践さえ積んでいけば変わることができるのである。

現状ではこうした「対話」を実践できる場所が少ない。
あったとしても既に利害関係が発生している関係性の中でしか存在していないのではないだろうか。
そのような状態では意見の表出を妨げる要素が数多く存在し、「違い」の価値を認識する機会を逸してしまう。
そういう意味では関係性に縛られない「対話」が実践できる場を作ってみるのは面白いのではないかと思っている。
そうした実践を重ねることで前述のようなマインドセットや普段のコミュニケーションに活かせるスキルを身に付けることができる。
もちろん既存の関係性の中で培われるものもあるが、それ以外に訓練としての「対話」が体験できる間には価値があるのではないだろうか。

・書籍紹介

今回紹介したい書籍は立教大学経営学部 教授の中原淳氏著の『話し合いの作法』である。
この書籍では「対話」に留まらずビジネスにおける意思決定までの流れが体系的に述べられている。
僕も耳が痛いのだが「対話万能症候群」という表現で対話さえ実施していれば良いという風潮に警鐘を鳴らしており、あくまでも対話は決断までの過程であることが明言されている。
話し合いにおける意見の発散と収束を「対話的」な技術を使って実現していき、可能な限り納得感のある決断に導いてく。
そんな道筋を学ぶことができる書籍である。
実践的且つ学術的な知見も盛り込まれているので学びながら自身の経験と結びつけながら読み進めることをおススメする。


・最後に

『対話と僕』を書き始めた当初から繰り返し述べているのは「対話はとあるスキルを身に付ける為のツールである」という事である。
今回はまさにそれに直結するような内容を述べてきた。
僕自身今まで体験してきた対話を通じて、コミュニケーションにおいて起こる課題を解決するためのスキルを身に付けられる可能性を感じている。
それは様々な場面で応用可能であり、自分自身と向き合うようなメタ認知に発展するスキルだと思っている。
これを身に付ける「対話」の場をどのように作っていくかが当面の課題となりそうだ。

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