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茶ノ湯の掛物;001 和敬清寂

茶掛けの禅語を勉強するために1つずつ、その語について考えてみたいと思います。

禅語を中心とした茶席で掛けられることの多い言葉を自分なりに咀嚼した戯言集のようなものです。

誤った解釈等多々あると思います。失礼を、まずお詫び致します。

【001 和敬清寂】

和らぎて流れず、
敬してへつらわず、
清しく潔く、
寂にしてやかましうせざれなり。
されば、
倹にして簡なるによろしく
奢にして、繁なるは悪し

茶の湯のすべてを表現する言葉として、目にする機会も多いと思います。
利休の師の師である村田珠光の言葉であるとも言われています。

1字ずつはそこまで難しくないと思われます。
ほとんどが小学校で習う漢字です。

「和」
⇨和合、調和。

「敬」
⇨敬う、尊敬。

「清」
⇨清い、清らか

「寂」
⇨侘び寂びの境地。涅槃寂静の境地。

ざっくりと噛み砕くと、、、小学校1年生に先生方がしばしば言う「正直な心で、みんな仲良くすることが大切ですよ」という意味に近いかもしれません。

これが甚だ難しい。
学校でも社会でも、世界情勢でも・・・

清らかな心で、お互いの価値観、人格、個性を尊重しあうことができれば「和」が達成されるのかもしれません。

問題は「清らかな心」を養うこと。
これを訓練することが茶の湯の目的の一つと云えるかもしれません。
茶の湯の所作の殆どは清めることに費やされています。

煩悩が焼き尽くされた悟りの境地が涅槃だとすれば、そこにはじめて寂静があったことに気づくのかもしれない。

泥だらけでも、もがけばもがくほど沈んでいく沼にいたとしても、一秒一秒を一生懸命、もがいて、もがいて、もがいて、もがいて踏み出した1歩は、とてつもなく清らかな一歩だと思うのです。

次回は、一文字目の「和」について考えたいと思います。

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