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茶ノ湯の掛物;010 莫妄想

「景徳伝燈録」

莫妄想
まくもうぞう

妄想すること莫れ

無業禅師は、誰が訪ねてきても、
ひたすらに「莫妄想」と答えるばかりだったそうです。
「無業一生、莫妄想」と伝わるほどであったとか・・・

妄想とは、悩みや苦しみ、欲、邪念などのことです。
とらわれた心によって、真実でないものを真実であると誤って考えることも妄想です。

」は否定、禁止の意味です。

つまり、
こういった妄想を断ち切ること、
それが「莫妄想」ということのようです。
そして、それが悟りだと。

妄想が迷う心だとすると、
迷いが発生する根本ごと、
打ち砕くことが大切であるとのこと・・・

対立関係、相対する二つの概念があるから迷いが生じる。

善悪、生死、勝敗、上下、、、
金持ちがいれば貧乏人もいる、、

この対立関係が、迷いを生み、争いを生じさせる
この二つの根源ごと断ち切ってしまえ!
というのが「莫妄想」ということらしいです・・・

なんとなく、理屈はわかりますが、
妄想を断ち切ることは、そう簡単ではないと思います。

お腹はすくし、眠くもなります。
人の前では背伸びをしたいし、みんなからよく思われたい。
お金だって、あるにこしたことないです・・・

しかし、そういう虚心は、
私たちに笑顔を運んでくれないことを、
私たちは知っています。

悩みの種を増殖させ、
深い深い闇へ誘われてしまいます。

これをスパッと一刀両断するには、
目の前の小さなことに集中するべきだと、
高僧の書に記してありました。

目の前にあることにのみ、集中し、
心を空っぽにして、一生懸命に取り組む
それが大切だと。

そうしている間は、
黒い感情に心を包まれることはありません。

福沢諭吉も言葉を残しております。

人生は芝居のごとし、
上手な役者が乞食になることもあれば、
大根役者が殿様になることもある。
とかく、あまり人生を重く見ず、
捨て身になって何事も一心になすべし。

茶の湯に臨むとき、点前をする時、
余計なことを考えている隙間はありません。
考えていれば、おいしい茶はたちません。
茶の湯は、半ば強制的に、
そういう環境を私たちに与えてくれているのかもしれません。

働くときは働く
遊ぶ時は遊ぶ
目の前にあることに徹すること
それが、「莫妄想」の実践に近づく第一歩であるとのことであります。

そのために、私もこのnoteを公開後、
歯間の塵芥を全力をもって殲滅すべく、
「歯磨き」に一生懸命に取り組み、集中して睡眠に臨みます!

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