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正しいことを急速に広めることの犠牲「アンという名の少女シーズン3−7」から学ぶDXの話


ページズ書店の仲間たち1 ティリー・ページズと魔法の図書館
を読んで、赤毛のアンに興味を持ったので
Netflixで『アンという名の少女』を見ている。

ものすごく面白い。
小さな村社会でアン新しい時代を切り開くが
暴力的な改革ではなく
村社会で衝突を繰り返すものの
常に、村の人間たちは
それでも共に生きていかねばならない
が共通の認識の中に

もしかすると一生許せないかもしれないような出来事も、許すという機能を兼ね備えている

このドラマの中の出来事が
現代社会で巻き起こったならば
中世の魔女裁判よりしく
アンと対立する側が炎上されられたろうし
あるいはアンが炎上させられて
この村を追い出されるか
もしくは火炙りにされていたことだろう。

毎回、なかなかファンキーな衝突と成長を繰り返す村の人々だが

シーズン3の7「正義を信じる行い」が
かなり印象に残った。

正義を信じる行い

アンの友人の女性が、
婚約者の男性から許可なく体に触れられ
ショックを受けている矢先に

その男は
「彼女の方から求めてきたのだ」
周囲に吹聴しはじめる

その様子に怒ったアンは
周囲にこんなことはおかしいと訴えるが
周囲はこの出来事に関心を示さない

アンは誰に相談することもなく
ある行動を決意する

学校新聞に
女性の自己決定権についての記事を勝手に載せ、それを日曜日の教会(村のほとんどの人が参加する)で配るというものだった。

この学校新聞は小さな村では
ほとんど地域新聞に近い。

この新聞を目にした
婚約者に許可なく体を触られた女性は
ショックを受ける。
だってこんなことしてほしいなんて
アンには頼んでいない。

学校新聞の記事はあくまでも
女性の自己決定についてだけれど
このタイミングでのこの新聞の記事は
明らかに昨日の出来事に対するものだ。

村中で噂になる。
結婚も破談になるだろう。

アンはアンの親からも
学校のみんなからも
仲の良い親友からも
これはよくなことだと告げられる

アンは受け止めきれない

先生に聞いた
「私の記事の内容は間違っていますか?」
「いいえ、間違っていないわ
でも新聞はあなたのもではないし
編集長は先生であるわたしよ
学校のみんなで相談しないとね」

そう
アンの「女性の自己決定権」について
の主張は間違ってはいない。


例え婚約者だろうと
(そもそもこの時代のこの村の宗教価値観では婚前交渉はダメ)
相手の許可なく体に触れていいものではない。

でも、アンの目的が
友達を悲しませたその相手の男の行為が間違っているものなのだと村に訴えたいのならば
周囲の誰とも合意をとらず
学校新聞で訴えるのはよろしくない。

アンは
・友達に対しての想い
・自分の思想
・自分の正義
を混同して

何を目的として行動するかを
深く考えず情動に任せて行動している。

さらにもっと言えば
自分の恋心に対しての想いも混同してる

この出来事の前
恋心を寄せる村の男性が
他の女性と腕を組んで歩いてるところを見た
その二人の関係の真実がどうであるか
アンは本人に確かめることをしていない
だけれど、腕を組んでる時点で
なんらかの親密な関係であることは伺える

ここから嫉妬という名の
ヘイトが生まれている

そして、もっと遡ると
アンは友人からもらった本に
大きく影響を受けていた
そこには、ほとんどフェミニズムの宣言と
思われるような内容で
アンはそれに大きく感動し
友人たちと本の内容に準えた儀式を行なっている

「愛する人を自分で決める」
「私は自分の感情を表現する」

これらは現代から考えたら
至極当たり前であるが
アンの時代の地域では
完全なる自由恋愛とも言いがたく
結婚は財の交換、経済的な側面が大きい

単に愛してるから結婚するのではない
(ある意味それは現代もそうだけど)

女性がズボンを履くこと
コルセットしていないことが咎められ
進学することに眉を広めまれ
奥ゆかしさや料理や家事をすることを求められる時代に
(まぁ、現代もそんなことがあるけど)

アンたちが行った儀式は
力強い宣言だ

そうして、正しい思想は先鋭化され
村の状況や文脈を考えたら
今ここで「女性の自己決定権」に関する記事がいったいどんな意味を持つのか
アンは考えずに勝手に出した。

下手したらアンの友人は自殺したかもしれない
下手したら村八分だったかもしれない
強行的に正しい思想を広めるのは
何にせよバックラッシュがくる。

進むのは村の中の分断である。

アンが望むのは村の分断だろうか
友人たちが
それぞれに想いを寄せる男女の仲を
割きたいのだろうか。

このドラマはシーズン3で
アンは今16歳だ

シーズン1の時のアンは14歳だったかで
今よりももっと癇癪持ちで
口は立つけれど、やはり幼かった

シーズン3のアンは16歳で
現代で言えばまだ子供だけれど
結婚できる年でもある。


アンは親友に促されて
件の友人に謝罪しにいくと
ビンタをされて罵倒される。

すったもんだあって
なんやかんやのアンは学校の友達許される
(なんでだよ)

再び、件の友人に謝罪にいくアン
見事なご不快構文を決める
当然許されない

でも、友人はアンに聞く
「何故、
そんなにしっかりした意見を持ってるの?」

物語はドラマなので
そんなうまくいくかいな
というご都合的な展開を迎える。

吾輩が考えたいのは
アンが正しいことのために
友人の気持ちを考えなかったことだ

アンは村の革命をいくつも成し遂げてる
その成功体験が
反省の色を無くさせてる気がしてる。

そして待ち受けるのは報復。

DXは人を犠牲にしている


DXは改革だし革命だと思う
その急速な変化のもとで
犠牲になった人のことを忘れてはならない

変わらない周囲が悪いのだ
と責めるのは完全に人のせいにしてる。

なぜ変わらないのか
に思いを馳せる必要がある。

そして報復が待ち受けてることも。

参考書籍一覧

ページズ書店の仲間たち1 ティリー・ページズと魔法の図書館

赤毛のアン

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